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第二段階:美濃高山城侵攻

1584年6月 美濃国 妻木城


 天海を名乗る明智光秀は久しぶりに妻木(つまぎ)城の曲輪に足を踏み入れた。

 この城は土岐郡内でも金山城に伍する規模の立派な山城である。織田系城郭の常として要所には石垣が積まれているのみならず、天然の巨岩がゴロゴロと転がっていて、自然に生じた割れ目がそれを巨人が積んだ石垣のように見せかけていた。

 防御にとって邪魔な巨岩――敵兵が接近するときの盾になる――が、どけられないままになっている箇所もあったが。

 妻木氏単独での守勢なら外側の曲輪を切り捨ててコンパクトに改修させるところだが、攻勢のための援軍を入れるには城の規模は好都合だった。今は亡き――者にした織田信長が東濃で武田氏と戦う軍勢を駐屯させるために妻木城の曲輪を拡張させたとも聞く。


 ここでは小者であっても光秀の顔を知っている者がいておかしくないので、顔は頭巾で隠していた。面と向かって顔を合わせるのは事情を知る一部の上位者だけだ。

 光秀には人脈に留まらず戦の経験を活かすことも期待されていた。(東北の大名という意味ではなく)伊達に織田の方面軍司令官を務めてきたわけではない。自慢の家臣団こそ失ったが、遊撃軍として各地を転戦しながらも丹波を切り従えた智謀は健在である。

 家康が菅沼定利に「あやつに取り込まれぬように」と注意を促したほどであった。


 楚漢戦争の韓信が疑われたように、戦のどさくさに紛れて独立勢力を築く心配をされるほどの実績が光秀にはある。

 ただし、致命的な前科もあるので秀吉方に寝返る心配は基本的にされていなかった(戦国の世のならいでまったく警戒されていないわけではない)。同じ事情から味方の織田信雄や佐々成政にも存在を知られてはいけない手駒ではある。


「高山城攻めは小里城攻め、池田城攻めと足並みをそろえて行う。尾張の敵を引き付けるため浜松(いえやす)殿も小牧山に戻られた。高山城だけは何としても抜かねばならぬ!心してかかるように」

 本丸の屋敷で菅沼定利が妻木貞徳・頼忠親子に方針を語って聞かせる。若年の頼忠は大将よりも光秀の方を意識する素振りを見せていた。光秀の側は、城に残る妻の影を追うのに意識を奪われていた。


(この戦を秀吉への復讐と考えるのは勝手がすぎるであろうか……)



 妻木城の西方では徳川が密かに瀬戸から通じる山道沿いに城を築き、多治見村――土岐川流域に打って出る準備を進めていた。この城は一部では便宜的に「笠原の取手」と呼ばれている。

 ここには羽柴との戦いで弟を失った岩崎城主の丹羽氏次が兵を入れていた。土岐川の向こうにある池田城が彼らの目標になる。

 他方、東の小里城はかつて森氏に追い出された小里光明が遠山氏の支援の元で攻めかかる予定だった。小里城は主郭部のみは石造りで豪華だが、全体的な防御は地形の要害性に依存している。どこかちぐはぐな城である。金山城からの援軍も期待できず、勢いに乗る東濃衆には敵わないと思われた。


 東濃の「森長可被害者の会」が森家に抱く怨念は凄まじい。

 明知遠山氏の現当主、遠山一行などは森家へ人質に出した幼い娘「阿子」を矢作川上流域の河原で世話の老女二人とならべて磔刑にされている。今回の戦で遠山一行は依田康国につけられて小諸城にあったが、森領総攻撃を機に東濃へ呼び戻されていた。

 恨みを買った張本人の鬼武蔵はあっさり討ち死にして、恨みをぶつけられるのは弟や家臣なのだから、いささか憐れではある。

 まあ、家臣たちは長可の命令にしたがって蛮行の実行部隊となってきたのだから無実というわけでもない。復讐を受けるのが嫌なら森家を出奔することも出来たのだ。

 それはそれで後が怖い相手であるが……。



 妻木城でしばらく英気を養った徳川軍は、他の部隊と歩調を合わせ、高山城へ襲いかかった。妻木城が寝返った以上、森家にとって高山城の失陥は土岐川流域の損失を意味する。なけなしの兵三百を込めて抵抗を試みた。

 かつて高山城には七百の兵が立てこもって武田軍と衝突したことがある。主郭の東にある峰と二つの峰に挟まれた谷部を含めれば、なかなか広大な城域を誇っていた。

 しかし、それを三百では守りきれないので森勢は最初から防衛線を主郭周辺に限局して、敵を迎え撃とうとした。

 徳川勢の先鋒は慣例的に寝返ったばかりの妻木勢がつとめる。彼らにとって高山城は妻木城を監視する目の上のたんこぶであり、表向き森氏に従っていた時代から攻略方法を練っていた。


挿絵(By みてみん)


 東西と北が切り立った主郭の尾根を麓から囲むのは他の部隊に任せ、妻木勢は南の山地に登る。山地と主郭部の間には堀切が設けられ、柵も巡らされていたが、高低差はほとんどない。むしろ、城外の南側に微高地があって、本丸の南を守る曲輪を見下ろすことが出来た。

 妻木貞徳・頼忠親子はここから指揮を取り、前方に味方から抽出された鉄砲足軽隊を並べた。


「放てーっ!!」


 ドッパパパパパッ


 それまで竹束の影に隠れ、高山城からの散発的な射撃に耐えていた鉄砲足軽たちが、できるだけタイミングをそろえて火縄銃を放った。

 小領主には持ち得ない集中された火力に、森勢はまたたく間に圧倒される。昨今の本格的な射撃戦に耐えるには高山城の守備力は不足していた。高所を押さえられているため、多少の土塁は用をなさない。勇ましく抵抗を試みる櫓には銃弾が集中する。ひとたび櫓が沈黙すると、新しく登る者がいなくなるまで梯子が狙撃された。


「かかれーっ!」


 頃合いよしとみた若き妻木頼忠が采を振ると、妻木勢は士分の者たちを先頭に防衛線に襲いかかる。彼らは堀を乗り越え、電撃的に最初の曲輪を攻め落とした。背後からの誤射を浴びて怪我をする者の方が、敵から手負いにされる者より多かった。

 彼らは敵を徹底的に痛めつけ、仕上げになる本丸攻略の手柄は家康直臣の部隊に譲った。ひたすら尽くさねばならない新参者の弱い立場を、光秀は自分に写し見た。

 徳川軍の高山城攻めにおいて主郭がある尾根の東側だけはあえて空けられていた。敵に必死の抵抗をさせないためである。

 東の谷にある小さな寺院に逃げ込んだ森兵たちは徳川兵に武装解除されて助命された。


(あやつが主君だったら寺ごと焼き殺しておったであろうな……)


 と自分が下剋上をした人物の顔を思い浮かべて、明智光秀は思った。

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