白い部屋と「たんたん」
小さな白い箱の中で、少年は目を覚ました。
四方は滑らかな壁に囲まれ、窓も扉もない。ただ天井にぽつんと灯る、青白い蛍光灯だけが世界を照らしている。
彼が横になっていたのは、床からわずかに浮いた金属製の簡素なベッドだった。薄いマットレスの上には灰色の毛布が一枚。あまりに軽く、冷えた空気を遮るには心もとなかった。
少年は、色あせた綿のシャツに膝の擦れたズボンをはいていた。少し昔の子どもが着ていたような、どこか懐かしい服装だ。足元は裸足で、床の冷たさがじかに伝わってくる。
「またここか……」
いつからここにいるのか、自分の名前すら思い出せない。
時計はないが、決まった頃合いになると、壁の隅の小さな隙間に食事がそっと置かれている。
湯気の立つ白いごはんに、薄い塩味の野菜スープ、少し乾いたパン、そして果汁のジュース。どれも控えめな味だが、毎日変わらず届けられた。それが「朝」「昼」「夜」を知らせる唯一の手がかりだった。
箱の壁の一面には、本棚がある。無機質な灰色の棚に、国も時代も異なる本が無秩序に並んでいた。
背表紙は微かに光り、時おり文字が入れ替わるように見える。ページをめくるたび、風が吹いたように紙が揺れ、遠いどこかの匂いがかすかに漂った。そこだけが、この閉ざされた箱の中で、外とつながっている気がした。
ある日、本棚の隅に、それまで見たことのない一冊が置かれているのに気づいた。
いや──もしかすると、最初からそこにあったのかもしれない。ただ今まで、自分がそれを「見ようとしなかった」だけなのかもしれない。
表紙は深い墨のような黒で、文字も絵もない。手に取ると、他のどの本よりも冷たく重く、息を潜めてそこに存在しているような気配があった。まるで、それだけがこの世界に属していないかのようだった。
ページを開いた瞬間だった。
轟くような風が箱の中に吹き抜け、本がまばゆい光を放った。
次の瞬間、本棚全体が震え、本たちは一斉にバラバラと崩れ落ち、ページが舞い、床を埋め尽くした。
光の中心から、なにかがふわりと落ちてきた。
少年の膝の上に、小さなぬいぐるみが転がる。
黒と赤の布地でできた、小さな角のついた悪魔のようなぬいぐるみ。
けれど少年は、それを見た瞬間、はっきりと思い出した。
──「たんたん」だった。
毎晩、一緒に眠っていた。
悲しい夜を黙って抱きしめてくれた、あの頃の自分と共にいた存在。
ぬいぐるみは無言で、じっと彼の目を見上げていた。
そのとき、本のページに一文が浮かび上がった。
「この箱の中にいるのは“君”ではない。
君は外にいて、私たちを読んでいる存在だ。」
少年は目を見開いた。
さらにページをめくると、今の自分の行動をなぞるように、静かで確かな文字が綴られていく。
「私はずっと読まれていた。
君がページをめくるから、私はこの“箱”に留まり続けている。
お願いだ。読むのを、やめてくれ。
そうすれば、私は……」
最後のページには、震えるような文字がにじんでいた。
「気づいたかい?
外にいるのは、君だけなんだ。
さあ、ページを閉じて。
僕を、終わらせてくれ。」
──けれど、あなたは今もこの物語を読んでいる。
ということは――彼はまだ、あの箱の中だ。
⸻
白い部屋。
硬いベッド。
壁の隅で折れた影のように、ひとりの少年が眠っている。
手の中には、古びたぬいぐるみ――
小さな角のついた、名を「たんたん」と呼ばれたものが、今も静かに抱かれていた。
閉ざされたまぶたの裏で、彼はまだ夢を見ている。
ページを閉じられぬ物語の中を、きっと今日も歩いている。