表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

白い部屋と「たんたん」

小さな白い箱の中で、少年は目を覚ました。

四方は滑らかな壁に囲まれ、窓も扉もない。ただ天井にぽつんと灯る、青白い蛍光灯だけが世界を照らしている。


彼が横になっていたのは、床からわずかに浮いた金属製の簡素なベッドだった。薄いマットレスの上には灰色の毛布が一枚。あまりに軽く、冷えた空気を遮るには心もとなかった。


少年は、色あせた綿のシャツに膝の擦れたズボンをはいていた。少し昔の子どもが着ていたような、どこか懐かしい服装だ。足元は裸足で、床の冷たさがじかに伝わってくる。


「またここか……」


いつからここにいるのか、自分の名前すら思い出せない。

時計はないが、決まった頃合いになると、壁の隅の小さな隙間に食事がそっと置かれている。

湯気の立つ白いごはんに、薄い塩味の野菜スープ、少し乾いたパン、そして果汁のジュース。どれも控えめな味だが、毎日変わらず届けられた。それが「朝」「昼」「夜」を知らせる唯一の手がかりだった。


箱の壁の一面には、本棚がある。無機質な灰色の棚に、国も時代も異なる本が無秩序に並んでいた。

背表紙は微かに光り、時おり文字が入れ替わるように見える。ページをめくるたび、風が吹いたように紙が揺れ、遠いどこかの匂いがかすかに漂った。そこだけが、この閉ざされた箱の中で、外とつながっている気がした。


ある日、本棚の隅に、それまで見たことのない一冊が置かれているのに気づいた。

いや──もしかすると、最初からそこにあったのかもしれない。ただ今まで、自分がそれを「見ようとしなかった」だけなのかもしれない。


表紙は深い墨のような黒で、文字も絵もない。手に取ると、他のどの本よりも冷たく重く、息を潜めてそこに存在しているような気配があった。まるで、それだけがこの世界に属していないかのようだった。


ページを開いた瞬間だった。

轟くような風が箱の中に吹き抜け、本がまばゆい光を放った。


次の瞬間、本棚全体が震え、本たちは一斉にバラバラと崩れ落ち、ページが舞い、床を埋め尽くした。


光の中心から、なにかがふわりと落ちてきた。

少年の膝の上に、小さなぬいぐるみが転がる。

黒と赤の布地でできた、小さな角のついた悪魔のようなぬいぐるみ。

けれど少年は、それを見た瞬間、はっきりと思い出した。


──「たんたん」だった。


毎晩、一緒に眠っていた。

悲しい夜を黙って抱きしめてくれた、あの頃の自分と共にいた存在。


ぬいぐるみは無言で、じっと彼の目を見上げていた。

そのとき、本のページに一文が浮かび上がった。


「この箱の中にいるのは“君”ではない。

君は外にいて、私たちを読んでいる存在だ。」


少年は目を見開いた。

さらにページをめくると、今の自分の行動をなぞるように、静かで確かな文字が綴られていく。


「私はずっと読まれていた。

君がページをめくるから、私はこの“箱”に留まり続けている。

お願いだ。読むのを、やめてくれ。

そうすれば、私は……」


最後のページには、震えるような文字がにじんでいた。


「気づいたかい?

外にいるのは、君だけなんだ。

さあ、ページを閉じて。

僕を、終わらせてくれ。」


──けれど、あなたは今もこの物語を読んでいる。


ということは――彼はまだ、あの箱の中だ。



白い部屋。

硬いベッド。

壁の隅で折れた影のように、ひとりの少年が眠っている。


手の中には、古びたぬいぐるみ――

小さな角のついた、名を「たんたん」と呼ばれたものが、今も静かに抱かれていた。


閉ざされたまぶたの裏で、彼はまだ夢を見ている。

ページを閉じられぬ物語の中を、きっと今日も歩いている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ