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第6話 青熊狩り

 陽光の色が変化して、間もなく夕方が過ぎようとしていた頃。昼食後にそれぞれ散会した冒険者たちは、それぞれの趣で午後を過ごしていた。


 石材資源の宝庫である、エリュ・トリを囲む連峰のふもと、スカーとジーンは山々から吹き降ろす冷たい風を感じながら、火エナジーの火種を囲んでいた。


 スカーの横には、丁寧に剝がされた鹿の毛皮と角、そして猪の毛皮が洗いたての衣服のように畳んで積まれていた。


 一方でジーンの横には、肩掛けカバン一つに入る程の肉の塊が、大きな葉っぱでくるまれて鎮座していた。


「平時なだけあって、鹿に猪、増え過ぎたら困る獣も安定して供給があるわね、マグリットもしばらく材料に困らないでしょうね」

「まったくだ。スィンツーが領土紛争なんて仕掛けてこないことを願うばかりだよ」


 夕鳴き鳥や虫の鳴き声が重なりあって、エナジーの火種のともしびに顔を照らされた二人の周囲の静けさを和らげる。


 しかし、スカーはその中に混じる「パキッ」という枝が踏み折られる音を聴き逃さなかった。


「人……ではなさそうね。足音が重い」

「今日の討伐は水使いの熊だったか、どうする、感知する術張るか?」

「必要ないわ。完全に気配を絶つくらい頭がよくなけりゃあたしたちには無意味でしょう?」

「それも……」


 ジーンがいつものようにやれやれと一息ついていると、不意に二人の間の火種が光を消した。そして、火種があった場所が湿り気を帯び、次第に水たまりの様な変容を始める。


「……そう、だなっ!!」




 グウォン!!




 ジーンの掛け声と共に二人はその場から飛びのくと、火種跡にできた水たまりから、樹の幹ほどの巨大な獣の前足と鋭利な爪が飛び出してきた。


 爪が周囲の土に深々と爪痕を残し、水たまりが次第に広がって、中から奇襲の主が二人の前に姿を見せた。


「グゥゥ……!」

「水に潜んで奇襲する『浸水』の力を持つ熊、なかなか珍しい個体ね」

「感心してる場合か、討伐はまかせたぜ!」


 呑気な返事をするスカーに対して、ジーンはいそいそとその場を退散する。


 スカーはおろか、男としてもそれなりに背の高いジーンよりも、はるかに身の丈の高い二足の熊。濃紺の毛皮を有するそれは、目の前のスカーに殺意をむき出しにして構えている。


「水のエナジーに弱いのは相変わらずね……さて、何処から料理しようかしら」


 熊の荒い息にも全く動じないスカー。そして、動きのないスカーより先に、熊のほうがしびれを切らして襲いかかってきた。


 「バリィ!!」という音と共にスカーの後ろの木に熊の爪痕が残る。そしてその爪痕はしとどに濡れており、熊が振り抜いた前足からは水が飛び散った。


「液体? 毒性はないか。水をまとった一撃? でも攻撃力に上乗せしてるわけでもない、これは、制御できてない? おそらく浸水での襲撃しか生得してない。ならこれは、水をまとった何らかの攻撃方法……有りうるとしたら……水密カッター。ならこれはなり損ないの水付着……って!」


 スカーは深くしゃがみ込んで熊の一撃をかわしながら、その攻撃に付随する情報をいち早く読み取った。熊は自分の股ぐらに座り込んだスカーを見失い、動きが鈍る。


 本来ならスカーにとっては討伐してもお釣りが来るぐらいの猶予時間だったが、スカーはその時、突然叫びを上げた。


「この汁、獣くさいっ!!」


 スカーの叫びに、彼女を見失っていた熊が顔を下に向けた。そして、チャンスを逸したスカーに再び水をまとった前脚の一撃を振り下ろす。


 スカーはもちろん、熊の脇を風のように走り抜けて、ズゥン……という土をえぐる音がする頃には、スカーは熊の背後で、鼻と口を押さえて勝機をうかがっていた。


「ねえっ! ジーンっ! こいつの水、すごく臭いわよ! なんか腐った卵みたいな臭いがするっ!」


 スカーの訴えに、影で見ていたジーンが大声で返す。


「もしかしてそいつ、自分の能力で体内の水不足になってるんじゃねえの? もしそうならさっさと倒さないと、全身の体液使いつくして死んじまうぞ」

「こそこそしてないでスカーも支援してよ!」

「悪いな、後で解体は手伝うからそのにお……水使いの熊は任せた!」

「においって言った! 今においって言ったわよね!」


 どう見ても臭いが理由で出てこないジーンに、恨みの念を垂れ流すスカーだったが、これを倒さないと依頼も進まない事を思い出して、気合を入れなおす。


「恨み言は後で。まずは……」


 そこまで言うと、スカーは自分の立っていた場所から熊までの距離を、音のような速さで詰める。瞬間移動のように距離を詰められた熊は、まだ今の状況を把握できていないのか、何の防備もなく警戒の顔だけを浮かべていた。


 対するスカーは、熊との距離がゼロ近くになったときには、腰に携えていた二振りのダガーを熊の首につがえていた。刀身は交差して首に当てられており、ハサミのように熊の首を捉えている。


「はい、おわり」


 スカーがそう言って、静寂をまとって熊の背後に瞬間的に移動すると、熊の首はスカーの足元に転がり、熊の身体はまだ立ったままそこに佇んでいた。


 胴体の、首のあった場所からは血が吹き出て、まるで時間が切り取られたかのような一瞬が終わると、今まで吹くことのなかったつむじ風が遅れて辺りの木々を揺らした。


「あー! 血液毛皮につくだろお前、早く死体を寝かせろ!」

「へいへい」


 風を感じて姿を現したジーンが、彼女よりもクマの毛皮を心配する声とともに、二人の依頼は一段落した。二人は手際よく熊を解体して、その肉と紺色の毛皮などを素材として持ち帰る準備をした。


 その後、スカーが熊から抽出した水エナジーをジーンに投げつけて、二人揃って、えも言われない臭いを残しながらギルドに帰ることになったのは、ここだけの話である。




「ふぅ、さっぱりさっぱり。石鹸で臭いが落ちてよかったわ」


 冒険者ギルド会館の三階。冒険者たちの宿直のための宿で、スカーは活動の汗と、先ほどの熊の臭いを落とすために、入浴場に入っていた。生き返ったような事を言いながら入浴場を後にして、濡れた深紅色の髪を乾かしながら、普段寝泊まりをしている宿の一室に帰ってくる。


「おーい、俺も同室なんだからせめて服を着て部屋に戻ってこい」

「別にいいじゃないの、通り道に人はいなかったし、ジーンならあたしの裸ぐらい見慣れてるでしょ」

「恥じらいを持てと言ってるんだよ」


 ジーンが言ったはつまり、同じ階層にある入浴場と寝室、スカーはわずかとは言えその間を全裸の状態で渡り歩いていた、と言う事実だった。


「だいいち、あたしの身体なんて見たって面白いことはないでしょ、こんな……」


 スカーはそこで言い淀む。ジーンが見た彼女の肢体は、一言で言えば「傷痕しか目に入らないもの」だった。全身にある、赤くあざのように残る傷痕。顔が左頬一箇所だけなのが意外なくらいに、スカーの身体には傷があった。


「案外、物好きもいるかも知れないぜ? 世界は広いからな」

「はいはい、着替えるから服を取ってちょうだい」

「ほらよ」




――エリュ・トリは世界樹の都の中でも西端に位置しており、その領土は隣国のスィンツーと接している。何度かの侵略もあり、その度に冒険者たちでどうにか押し留めていたが、ほんの三年前、三千のスィンツー法術兵が、新たに侵攻をして、冒険者ギルド720人足らずで迎え撃った。


 前線は防戦一方で、衝突ラインは少しずつエリュ・トリ側に押されていた。その時、たった二人でスィンツーの兵士の前に立ちふさがった冒険者がいた。


 冒険者、スカー・トレット・フレスヴェルグ

 冒険者、ジーン・デニー・ムスタング


 防衛ラインを他の前線組の冒険者に任せて、二人は迷いなく三千人の部隊へ突入していった。そして、スィンツー三千人が一人残らず死傷を受けて、この紛争が終了したのは、二人の突入からおよそ五時間後の事だった。――




「今度はあんな無茶な事態は起きないでほしいわね」

「それは大賛成だ、やっぱり平和に勝るものはねえよ」


 未だ何も身に着けずに、スカーは窓辺に立つ。夜も深くなり、家々の明かりもまばらとなったトリ・セントレの街並みを眺めて、スカーは不意に何かを思い出したかのようにジーンに尋ねる。


「そう言えば、さっきの熊討伐の時、あんたは何か変な事に気付いた?」

「変なこと? 熊の臭い水以外にか?」

「あれもそうだけど……まあ、いいか」


 スカーは、自分の感覚がただの思い違いだろうとそれ以上考えるのをやめて、下着、肌着、内鎧、外鎧と、冒険用の装備を改めて身に付ける。最後に二振りの戦闘用ダガーを腰のバックルに装着して、臨戦状態でベッドにうつぶせに倒れ込んだ。


 ジーンはと言うと、スカーの気ままな行動を一通り目にした後、自分の得物であるガンナイフを鎧から外して、服だけの状態で、先程スカーが入っていた入浴場の方へ歩いていった。

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