第19話 人間の分身
エリオとシルヴィの依頼から翌日。未明の静かなエリュ・トリの町で、スカーは街道を歩いて家々を見回っていた。
先日の分担によって、街中で自分の分身を見たという人間に話を聞いて、その調査をするという役目を受けた彼女は、まだ薄暗い街並みから目的の家にやってくる。
「ここ、か」
【つつじ屋】と書かれた看板を下げた食堂。石炉亭の豪快な佇まいとは違う、四席程度の小料理屋。トントンという軽妙なリズムが響く音を聞いて、スカーは入り口からソロソロと入っていき、中で料理の仕込みをしていた男を見つけた。
「おや、まだ開店前なんだけど、どうしたんだい?」
「どうも、冒険者ギルドの人間なんだけど……ちょっと聞きたいことがあってね」
スカーがそう言うと、男はその理由に心当たりがあるように、仕込みの手を緩めてスカーの質問に答えた。
「あぁ、こないだの不思議な話を聞きに来たのか。良かったよ、すぐに来てくれて」
「まあね、その話は早く詳しく聞きたかったから。それで、あなたが自分の分身と出会ったって事で合ってるのよね?」
つつじ屋の男店主は、一旦仕込みを止めて、スカーを座らせて自分も隣に着いた。そして自分が経験した話を思い出せる限り細かく話していく。
「そうなんだよ。大体今みたいな時間なんだけど、俺が仕込みをしてた時、路地の向かい側の店ん所から人が覗いてるのが分かったんだ。最初は開店待ちでもしてんのかって思ったんだが、何度かちらちら見てると、そいつが俺とそっくりの顔をしてる事に気付いたんだ」
スカーは、店主の証言に基づいて席から入り口を見る。街道を挟んで向こう側には、店や民家と、そのすき間のような小道が一本ある。店主は「そう、あの小道だよ」とスカーの視線の先を指さして、そこから話を進める。
「そいつが不気味でな、あの小道で直立不動でこっちを見ててよ、時間的に人も通らないからしばらく見てるんだよ。俺途中から気味が悪くなってよ、しばらく見ないようにしてたんだ。そんですっかり夜も明けて、仕込みがようやく終わったと思ってその小道を見てみたんだが、その時には小道に誰もいなかったんだよ」
「なるほどね……」
スカーは、店主の言っている事を頭で整理して、今回の分身騒動を照らし合わせつつ、店主に質問を重ねる。
「それを見かけてから、何か身の回りで危険にさらされたりとかはしなかった?」
「うーん、そう言ったもんはなかったかなぁ。買い出しも普通にしたし、何かのトラブルに巻き込まれたこともない。ただただ顔の似たやつが不気味に立ってたってだけさ」
「わかった、重要な情報ありがとね。今度平和な時に一回立ち寄らせてもらうわ」
「おう! 一回と言わず常連になってくれてもいいんだよ、はっはっは」
店主からの情報を受けて、スカーは大きな街道への道を歩いていく、街道同士をつなぐいくつかの小道を渡りながら、あの店主の証言した分身が立ちそうな場所を巡る。そしてしばらく散策して、空が次第に明るくなる頃、スカーはいつの間にかメインの街道まで出てきて、すぐ目の前には石炉亭が構えていた。
「なんだかんだで、すぐ石炉亭にやって来るのは長年の性ってやつね……おっ?」
そんなボヤキとともに石炉亭の中を覗くと、朝早くからテーブルを拭いて回るウェイトレスの女の子が目についた。クリームイエローのセミロングを二つにくくった彼女は、いそいそとテーブルを拭き上げて、注文票や会計の小銭等をテキパキとチェックしている。そんな姿を見て、
スカーは静かに歩いて、石炉亭へ近付いた。
「ふぅ…最近お客さんが無駄に増えたせいで、明け方のお掃除が大変。何だか来店する人が倍になってる気がします」
掃除を追えて、腰に手を当てて苦労を口にするウェイトレス。少し不満げに頬を膨らませながら、お客様に渡すメニューや注文用紙を揃えて開店までの事準備をテキパキとこなしていく。そして、ようやく自分なりに整えて自慢げに鼻を鳴らしていた所で、彼女にとっての悪夢の始まりが声をかけた。
「キュロちゃーん……?」
「っ!? い、いらっしゃうわぁぁぁぁっ!!!」
「久しぶりねキュロちゃん。どうやらお店にも慣れてきたようで」
満面の笑みを浮かべるクロス・リッパー、手を後ろに組んで、逆光でソロリソロリと近寄る様は、キュロと呼ばれたウェイトレスの彼女には、夢に出てくる程のホラーな光景だった。
「ひゃ……す、スカーさん……あの……朝早くから、どうしたんです、か?」
「いやぁね、人探しついでにここに寄ってみたら『新人の可愛い子』が『ひとりで』開店準備をしていたから、その労いを、ね」
「あの、労いとかは大丈夫です。スカーさんはいつも……はい、ここを利用してくださってますので……あの、そろそろ近づくのやめてもらえませんか……?」
5メートル
4メートル
3メートル
店の中に入って、ネズミを取る猫の動きでキュロに近づくスカー。そしてある時スカーの足は止まり、キュロの瞳の端には既に震えた涙が溜まっていた。
「それで、これは真面目な話なんだけど、キュロちゃんは最近、顔の似た別人とか見たりした?」
「ふぇ……? い、いえ…わたしと同じ人は見たことがありませんよ。みっ、見ての通り私は髪色が特殊なので、同じ人がいたらすぐに分かります、から」
緊張が張り詰めきっているこの状況で、スカーからされる普通の質問。どういう情緒で聞けばいいのか分からないその言葉にキュロも必死で応える。まじめな質問の受け答えをしているだけなのに、キュロの心の中は「身代金を要求されて首元にナイフを突きつけられた時」のそれと何も変わらなかった。
「そっか。質問に答えてくれてありがとう。あたしもそういう調査をしなきゃいけなくてね、見知った人にはとりあえず聞いておこうと思ったのよ」
そう言うとスカーはくるりと後ろを向いて、両手を広げたままコツコツと歩いて店の入り口に向かう。スカーが自分から離れていく事に、心の緊張が少しずつ緩んでいくのが分かり、彼女は思わず「はぁ」と身体の警戒を解いたその時、キュロから視線を外していたスカーの目が光った。
バサッ……!
「えっ」
「へっ!?」
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!?!」
キュロが息を吐いて身体の緊張を解いた瞬間、スカーは誰にも見えない速さで再び身体をキュロの方に向けて、電光石火で彼女の身体を通り抜けた。そしてカウンター近くに立ったスカーの腕には、給仕服とエプロン、肌着、そして下着を隠すための黒のキュロットスカートが、丁寧に折り畳んだ状態で抱えられていた。
「あーっ! あーっ!」
髪色に程近い、花の刺繍が施されたイエローの下着を残してほぼ全て剥ぎ取られたキュロは、言葉にならない言葉を発してその場にうずくまった。そしてキュロの叫びを聞いた瞬間に、厨房から荒々しい足音が突撃してきた。
「クロス・リッパーぁ!! またアンタ、キュロを剥いたね!!」
「げっ! マグリット姐さうわぁぁぁっ!!?」
「さっさと出ていきなこの変態冒険者が!!」
「ぐあぁぁっ!! 折れる折れる折れる!!」
マグリットが厨房から出てきてからの動きはあまりに早く、スカーが驚いている間に首根っこを掴み、されるがままにスカーは放り出される。手放したキュロの服一式はキュロの手元に戻り、店の外に投げ出されたスカーはそのままマグリットの馬乗りを食らい、腕と足をきめられて完全に身動きが取れなくなる。
キュロの叫びからここまで、わずか30秒。通りすがりがスカーを袋だたきにするような暇など与えられることもない手際の良さで、脱衣犯は無力化されてしまった。しかし、手足の自由を奪われていたスカーは、顔を外に向けて驚きの光景を見た。
「……えっ、キュロ?」
スカーの視線の先、石炉亭の真向かいの民家の影、ぼんやりとした姿で、クリームイエローの二つくくりを揺らす女の子の姿を目にした。肝心のキュロ本人は、座り込んだ膝の上に脱がされた服を置いたまま、下着姿で涙目になっている。ならば、スカーの目に映っているのはまさしく……
「ねぇっ! マグリット姐さん! チョット向こう見てよ!」
「あぁん? そんなこと言ってごまかそうったってそうは行かないよ。話を聞いてほしけりゃ日ごろの行いを正すことだね!」
「ちがっ! いった! そうじゃなくて、ぎゃぁっ! に、偽物がっ……!!」
スカーが偽物と言葉にした時、キュロによく似たその影はそそくさと家の影に隠れ、わずかな足音をスカーの耳に残して逃げ去っていった。スカーはマグリットに羽交い締めにされながらも、そこで見た光景を目に焼き付けた。
「……」
冒険者ギルドの処罰牢、スカーの牢の前で苛立ちと呆れと面倒臭さが全部混ざったような表現しがたい表情をしたジーンが、スカーを見下していた。
「俺と合流するまで手は出さねえんじゃなかったのか?」
「いやぁ……偶然石炉亭があって、偶然キュロが一人でいたから」
「もういっそ、いっぺんくたばれ……」
力の抜けた声で、絞り出したような罵倒をかまして、ジーンはスカーが出てくる昼過ぎまでの時間をギルドで過ごす事となった。




