第3話 紛争を生きた者たち
木漏れ日が通る、山の麓の林の中で、ジーンは丸太に付いている焼けたような足跡を追って、先を進んでいた。最近頭数が増え始めている、火を扱える動物“火原種”。その中でも現在、鹿の数が増えており、作物を荒らされたうえ、ボヤを起こされるとして、かなりの数を間引きする依頼が入った。ジーンもまた、その火原鹿を2頭狩る準備をしていたのだ。
「英雄、か……」
冒険者ギルドで見た少年の言葉。紛争をくぐり抜けた今のエリュ・トリにおいて、英雄と言う言葉はたった二人の人間を指している。
『クロス・リッパー』
スカー・トレット・フレスヴェルグ
『先陣の英雄』
ジーン・デニー・ムスタング
三年前のスィンツーの侵攻を、たった二人という人数と、僅か五時間と言う短い期間で止めたと言う事実は、冒険者をしている者、冒険者になろうとした者にとって、いい意味でも悪い意味でも忘れがたい存在だ。それ故に、あの少年が気軽に英雄と宣った事について、ジーンは世間知らずを笑うような気持ちを持つとともに、見えない英雄譚にとらわれない自由さを肯定するような笑みを浮かべて、落ち葉が敷き詰められた林の中を探索した。
――三年前の勝利は、エリュ・トリの歴史から見ると「領土の奪還」だった。
遡ること30年前のスィンツーの第二次侵攻。まだ英雄などいない時代のそれは、結論から言えば大敗だった。圧倒的な数の暴力は小国の領土線を下げ、守りを固めていた冒険者たちの命を無慈悲に奪っていった。防戦一方の戦いはエリュ・トリの町中にも手を伸ばし、冒険者のみならず民衆も多くの被害を受けた。
ムスタングと言う名の夫婦の冒険者は、防衛ラインで戦っていた。徐々に町に押し込まれるなか、傷だらけになりながらも一矢を報いて攻勢を緩める活躍を見せた。だがスィンツーの『数』はそんな些末なことを気にしてはくれない。侵攻の手が止まり、散々エリュ・トリを荒らしたスィンツー軍は、号令でもかかったかのように侵攻を止め、一斉に撤退。エリュ・トリに残ったのは、戦禍と多くの離別だけだった。その時に、スィンツーの法術兵から命からがら逃げ延びたムスタングの子は、まだ12歳だった――
不意に、自分が少年だった頃の記憶を思い出して足が止まるジーン。思い返せば、当時の自分も、あの少年と同じぐらいの年代だった。将来を語るなど烏滸がましい、そんな妄想すら許されなかったあの時の自分を思い出し、それに比べれば何でも口にできる彼は、ジーンの中である種の憧れのようにも映っていた。そして、そんな回想にかまけていたジーンの耳に、獲物の足音が飛び込んでくるのだった。
ジーン達が依頼を受けて冒険者ギルドを出た頃、冒険者御用達のレストラン【石炉亭】には、シルヴィとエリオが入っていた。昼の下がりと言った時間ゆえか、石炉亭の中は客もまばらで、さらには、騒動を起こしそうな人物もしばらく来ないとあって妙に退屈していた。
「さすがに五日間も拘留されるとなると、どこに行っても静かよね」
「それを平和と呼ぶんだ。俺達はスカーの被害に慣れすぎている」
エリオからの指摘に、シルヴィは平和とは何かを再認識する。スカーが人の服を剥ぎ取って迷惑をかけている時は確かに騒動だが、エリュ・トリの町にとってそれが平和では無いかと言われると、納得しがたいところもある。
「うーん、そうなのかしら? 私はスカーが暴れてる時も、なんだか平和だなって思っちゃうんだけど」
「シルヴィ、お前スカーの奇行に毒されてないか?」
エリュ・トリの平和の何たるかに悩むシルヴィ、そしてシルヴィとエリオの会話を聞いていた人物が、ここでは定番とも言えるドカドカとした足音を立てて近寄ってきた。
「あいつの悪行を平和だと思っちゃいけないよ。追い剥ぎは罪なんだから、そこはビシッと言ってあげるんだよ」
「マグリットさん!」
石炉亭の女店主マグリットは、手をタオルで拭きながら、2人の会話に加わった。
「だいいちね。あいつは癖で仕方なく……なんて調子のいいこと言ってるけど、そんなのはデタラメだ。あいつは『剥いても本気で嫌がらないやつ』を狙ってんだよ。だからうちのキュロとかストラとか、後は気の優しい、か弱い奴がこぞって被害に遭ってんだ」
石炉亭には、料理長のマグリットと三人の料理人、そしてウェイトレスを務める数人の女の子が居る。そして現状、最も若いキュロが以前剥かれたことで、石炉亭のウェイトレスは満遍なくスカーの被害に遭った事になる。
「ちょっととぼけたように演技してるけれど、アタシには分かるんだよ。ホント、厄介な英雄ってもんさね」
テーブルに肘を付いて、ひとしきり文句を言ったマグリットを見て、二人は乾いた笑いをこぼす事しかできなかった。そして、マグリットは厨房でいそいそと夜の下ごしらえをする3人の料理人を見ながら、目を細めて軽いため息をついた。
「……だがまぁ、そんなあいつらがこの店を守ってくれたんだ。恐れ多い英雄としてね。だから文句は言っても、このエリュ・トリの人間はあいつに頭が上がんないのさ」
――三度目のスィンツーの侵攻。数の差は大きかったが、エリュ・トリにとっては領土を返してもらうチャンスでもあった。その士気は高く、手も足も出なかった戦力差は、ごく僅かな均衡を生み出せるほどになっていた。
それでも、数と力は圧倒的で、攻めるどころか守りもギリギリの戦いを再び強いられていた。そして、エリュ・トリの市街地まで魔の手が伸びようかという時、事態は急変した。
シルヴィとエリオもまた、最前線で戦う組に加わり、苦闘しつつも防衛線を維持していた。しかし、三千人の一斉侵攻が始まった時、防衛を担っていた彼らの手が急に弱まる。
二人。
そのたった二人は、防衛ラインを攻めていたスィンツー軍を全て無力化し、最前線に立った。そして二振りのダガーを携えた女が軍勢に駆け出すと、瞬く間にスィンツーの軍勢は布切れのように吹き飛び、最後には、空を貫くような、恐れすら感じる火柱が全てを終わらせた。――
英雄と呼ばれる二人が、あの戦局で何を起こしたのか、それを知るのは最前線に送られた人間だけだ。いま生きている冒険者の中にもそれなりにいる目撃者達にとって、この日常の中で女の子を剥いて過ごしている彼女は、どのように映っているか分からない。
「……また、五人で食べに来ますね。スカーが牢からでたら」
「あぁそうしとくれ。今度あいつが来たら頭スカポンタンにぶっ叩いてから腹いっぱい食わせてやらないとね!」
黄昏も間もなく、この町で冒険者の腹を満たし続ける肝っ玉かあさんは、すぐに笑って厨房へ戻っていった、厨房に戻るや否や「ボサッとしてんじゃないよ! 夜営業に間に合わないだろ!」と、店中に響き渡る大声を上げながら。




