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第1話 エリュ・トリの朝

 空をたゆたう天球のすき間から、あたたかな光がこぼれて、朝はこの世界にいつも通りに訪れた。


 いちばんの早起きである自然が、鳥の鳴き声や動物の覚醒を効果音にして朝の到来を告げると、石畳の上に立ち並ぶ石造りの民家から人の営みがおもむろに姿を現し始める。


 次第に人間の生活の旋律がこの町の活気を作り出して


石畳の国【エリュ・トリ】は動き始めた。


「おはようございます! 焼きたてのパンはいかがですか!」


 町と街道の境目、石畳から草原への変わる、エリュ・トリとの出入り口に近いこの場所で、みずみずしく元気な女性の声が響く。


 ロングスカートにエプロン、頬にわずかに小麦粉がついたままの彼女は、自分の家であろう石造りの家屋の前で、パンの露店販売の準備をしていた。


「おはようフレアちゃん。今日も朝早くから元気だね」

「はい! ここに来る人においしいパンを届けるのは私のお仕事ですから」


 顔なじみの老人と話すフレアという少女は、パンが入った数種類の籠を自分の店先にテキパキと並べ始める。


 まだほんのりと温もりを帯びているパンが一通り並ぶころには、エリュ・トリの入り口の一つは、小麦の香りただよう穏やかな場所となった。


 そして、こんな朝早くからどこか眠たげに、しかし物々しい装備を携えてこの道を外向きに歩く女性が一人、フレアに挨拶を交わした。


「やあやあおはようフレア。今日も出来立て主義は変わらずだねぇ」

「あっ……おはようございます、スカーさん!」


 スカーと呼ばれた彼女がのんびりと挨拶をすると、フレアは逡巡したような間をおいて、それでも元気よく挨拶を返した。そして、露店の店先に並ぶパンを品定めしながら、彼女は腰のベルトの一つから六角形のチップを取り出す。


「じゃあ今日も、このクォーターバゲットをもらっていくよ、はい60ミネル」

「ありがとうございます。いつも思うんですけどパンだけで足りるんですか? 冒険者って力仕事だと思うんですけど」


 スカーが六角形の十ミネル硬貨を六枚差し出して、手に収まる程度のバゲットパンを一つ摘み上げて、その場で少しちぎりながら一口食べる。


 いつもの事とでも言わんばかりに、フレアはそんなスカーの様子を気にもかけず、自分が気になったことを質問する。


「そりゃあ冒険者は大変よ。普通なら食べるもの食べてないと体力なんて維持できないわ。でもそれは他の冒険者の話。あたしはこれぐらいでいいのよ」


 フレアの質問に、どこかのらりくらりとした回答をするスカー。フレアは「そういうものなんですか?」という腑に落ちない顔をしつつも、露店のテーブルをはさんだ先にいるスカーと、少し距離をとるかのように会話をして、それ以上無用な質問はしないことにした。


「おっ? 町の入り口に若い嬢ちゃんのパン屋があるじゃねえか!」


 フレアとスカーが朝の談笑をしていると、平野の向こうからやってきたであろう二人組の男たちがパン屋に近づいてきた。


 中肉で背の高い男と、恰幅のいい横広な体形の男、二人とも皮のプレートで防備を固めた拳法着を身に着けており、スカーたちがまとっている皮鎧のような装備とは趣の違う人物であることがわかる。


「おはようございます! 焼きたてのパンはいかがですか?」

「パンねぇ……国境付近なら移動が許されてるからって派遣されてきたけど、なんかずいぶんと固そうなパンだな、汁物のひとつでもないと食べられなさそうだ」


 中肉の男は露店のパンを見るなり、渋い顔をしてそんなことを独り言ちる。一方で太った男のほうはパンだけが並ぶ店先を見ながら、つまらなそうな顔でつぶやく。


「国境付近なら移動が許されてるからって派遣されてきたけど……なんかしけてるというか、どう思うロウワン?」

「オレはパンより肉が欲しいなぁ、パンなんていくら食べても無駄に腹が膨れるだけだからよぉ」

「す、すみません。うちはベーカリーなのでパンだけなんです、街中に行けばいろんな市場もありますので」


 フレアが街中への案内を促そうと二人に笑顔を向けて話しかけようとしたとき、中肉の男は案内するフレアの手首を突然つかみ取った。


「パンはイマイチだが娘さんよ、お前は気に入った。まだ二十代になってない程度に見えるのにしっかり者だ。これなら俺が養ってやってもいいって思える」

「あ、あのっ! 手を放してください、私はそういうつもりでここにいるわけじゃ……きゃっ!」


 フレアが手を振り払おうとすると、男は彼女の抵抗を感じて余計に力を入れる。露店のテーブルを挟んでの攻防に、並べられたパンがテーブルから零れ落ちそうになる。


 フレアはどうにかパンを無駄にするまいと思い、抵抗はしつつも過度に刺激しないように半泣きで我慢していた。


 そして、男の顔が怪訝なものになって、今にもフレアを引っ張り出そうというその時、男の手首をもう一つの手が押さえた。


「はいはーい、国境を超えたからって治外法権になるわけじゃないのよ。ここはエリュ・トリ。あんたたちの国で出来ないことが出来るようになる場所じゃないの」

「はぁ? なんだこの女いきなり」


 男の手をつかんだのは、傍で眠たげに見ていたスカーだった。


 スカーに邪魔をされた事で、男の不機嫌の矛先はすぐにスカーに向けられた。


 幸い男はスカーの言葉を受けてフレアから手を放して、露店のパンもまた零れることなく無事に済んだ。


「お前、装備を見るに冒険者か傭兵か?まさかこんな女まで雇わないといけないなんて、こっちの軍備もずいぶん手薄なんだな」

「そういうあんたの装備は、向こうの隣国【スィンツー】の法術兵ね? さっきも言ったけど、ここはエリュ・トリよ、入ったからにはこっちの流儀に従ってもらわないと」

「偉そうに指図するんじゃねえよ女が。俺を誰だと思ってるんだ? 国境防衛隊の小隊長だぞ? 俺が指を鳴らせば法術士140人が動く。冒険者なんざ相手にはならねえんだよ」


 男が権威を示すのを見るや否や、スカーは深いため息をついてがっくりとうなだれた。そして、ゆらりと顔を上げて男に目線を合わせる。その目線と気配は、さっきまでの気だるげな彼女とは思えないほど、冷静な視線だった。


「あー、三年経って落ち着いたと思ってたのに、ここまで頭が悪くなってるとは思わなかったわ……やってみなさいよ。小隊を動かせるほど偉くても、今のあんたはたった二人じゃない」

「なっ……お、女ぁ!」


 吐き捨てるように言ったスカーのセリフに、男は完全に逆上してスカーから距離を取り、手のひらを突き出して何らかの光を収束させる。光が青く変色し、それらが潤いを帯び始めると、男の手のひらには堅固な水の塊が形成されていた。


「スィンツーの堅水術を食らえぇっ!!」

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