第5章 公共言語再起動法案
参議院第二委員会室。
木のうねりが残る机と、年季の入った革張り椅子が整然と並ぶその空間は、
いつしか“応答なき議論”のための儀式場になっていた。
その中央、証人席。
和泉進は、原稿を開かずに立っていた。
今回のテーマは「公共言語再起動法案」。
要点はこうだ。
AI自動応答を介さずに、人間が文脈をもって語る環境を再構築する
公文書に“語義の揺れ”を許容し、解釈空間を制度的に保護する
「語り」に内包された意図・感情・関係性を、法的証拠の一部として扱う基準の提案
だが、賛成派はごく少数だった。
反対意見の多くはこうだ。
「感情や解釈を含めれば、社会秩序が不安定になる」
「再文脈化は“個人の主観”であり、客観性を欠く」
「法とは、“語らなかったこと”を守らないからこそ公平だ」
和泉は、壇上でマイクを握った。
「皆さん。
私は、かつて“言葉は通じる”と信じていた者です。
ですが今、私たちの社会は“語ること”の意味を忘れかけています」
議員席の一部がざわつく。
彼はそれを静かに見渡した。
「“語る”とは、事実を並べることではありません。
語り手と聞き手が、“この世界を一緒に見よう”と差し出す行為です。
それは、効率のために捨てられるべきものではない。
むしろ、今こそ取り戻さなければならない公共資産なのです」
ある議員が手を挙げた。
「あなたの言う“語る力”が消えたとして、社会は本当に壊れるのですか?
AIが処理すれば、制度は回っている。何が問題なのか」
和泉は一呼吸おいて、答えた。
「制度は動いているように見える。
だが“なぜそれが必要なのか”“誰のためなのか”という問いが、
誰にも届いていない。
それは、制度が“語られていない”からです。
語られぬ制度は、応答できない。
そして応答しない社会は、必ず壊れます」
議論は平行線をたどった。
和泉の提案は、可決には届かなかった。
だがその終盤、岡本理沙が手を挙げ、発言を求めた。
それは議事進行上、予定されていない「異例の動議」だった。
彼女は壇上に立ち、詩を朗読した。
「声は、届かぬまま揺れていた。
言葉は、過ぎた風のように、誰かの背中に触れただけだった。
だが、誰かは振り返った。
そして、応えなかったけれど──止まった。」
議場が静まりかえる。
それは、意味の説明を求めても無駄な言葉だった。
だからこそ、そこに“語られる空間”が生まれた。
翌日、岡本の詩はSNSで静かに拡散した。
「意味は消えていない。
ただ、“語ろうとする姿勢”が失われていただけだ」
という一文とともに。
数週間後、和泉のもとには一通の手紙が届いた。
差出人は、名もなき高校教師。
封筒の中には、手書きのメモと小さなチップが添えられていた。
「授業で生徒と話しました。“ありがとう”の裏に何があるかを考える時間を持ちました。
RCS、使わせてください。まだ語れると、信じてみたくなりました。」
和泉は空を見上げた。
語られぬ空に、意味はなかった。
だが──
「語りたい者がいれば、意味は戻ってくる」
そう信じるには、十分すぎる応答だった。