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第2章 議会の失語症

 

「質問の“意味”がわかりません」


 国会中継を見ていた和泉進は、思わず画面の音量を上げた。

 その言葉を発したのは、厚生労働副大臣。

 質問者は野党第一党の女性議員。

 彼女は明確だった──


「近年、精神保健の現場で“共感疲労”の訴えが増えています。

 その背景にある、言語化されない苦しみについて、政府としてどのように……」


 そのとき、副大臣は答弁書をめくり、眉間にしわを寄せたまま、こう返した。


「“共感疲労”の正確な定義が不明です。

 また、“苦しみ”という表現の意味領域が不確かですので、

 答弁は困難です。」


 画面の奥で、議員席がざわついた。

 しかし、副大臣は動じなかった。


 むしろ、明晰であることを誇るような表情すら浮かべていた。


 それは一過性の事故ではなかった。

 翌週には、複数の閣僚が同様の応答を行った。


「“被害者感情”という主観表現は、公的文書にはなじまない」


「“反省”とは心理的作用であり、行政的な措置とは無関係」


「“今後”という時制が不定義なので、責任の明言は控えたい」


 それは、まるで“意味の地雷”を踏まないように、語彙の選択肢をどんどん狭めていく防衛戦術だった。


 和泉は岡本理沙と再会した。

 場所は、霞が関第4合同庁舎。

 国会対策会議の非公式メンバーとして彼女が招いた。


 「先生、もう“話せない”人ばかりなんです。

 国会では、“言った/言わなかった”ではなく、“意味があったかどうか”が争点になる。

 でも、その“意味”を定義できる人間がいないんです」


 和泉は深くうなずいた。


 「“意味”は文法や辞書の中にはない。

 それは、語られた意図と、聞かれた想定との接点にしかないんだ。

 だが今は、両方が空白になっている。

 “意図をもつ”と疑われ、“想定する”と主観とされる。

 結果、誰も“応答”しない。」


 議会では、すでに**AI通訳補助システム“パーラトロン”**が導入されていた。


 文脈に応じて用語を変換し、曖昧な質問は形式的に整える。


 だが、岡本が見せた使用ログには恐ろしい注記が残っていた。


《“正義”の定義が不明。訳出不能。変換回避。》

《“国益”の意味論的解釈が三分岐。対立回避のため除去。》

《“責任”に対する時間的スコープが不定。議論継続不可能。》


 AIですら、語義と意図の交差点で処理を拒否していた。


 岡本は静かに言った。


 「私たちは、もう“語れない国家”に足を踏み入れてるんです」


 和泉は、その言葉を胸に刻んだ。


 語ることが“危険”とされ、

 意味を問うことが“非合理”とされる時代。


 制度の中にいる者は、気づかない。

 だが、言葉の地盤はすでに沈んでいる。


 その日の帰り道、和泉は一つのメモを手帳に書き留めた。


「意味とは、“語りの応答性”そのものである。

 応答しない社会は、すでに“失語”している。」



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