アダム視点(好きな人が幸せならそれでいいと、そう思っていました)
久しぶりに書きました!
『好きな人が幸せならそれでいいと、そう思ってました。』を呼んでいないとわからない話となっています。
アダム視点です。読んでいただければ嬉しいです。
始めにアダムが抱いたのは、不信感だった。
宰相補佐は、皇太子の婚約者候補の情報をいろんな情報筋から手に入れる。
その情報を総合すると、ほかの誰よりもこの伝統的な習わしに全力を注いでいるのがオリビア・カールソンだった。
数年前から結んでいた婚約を破棄してまで皇太子の婚約者候補になった彼女は、けれど惰性のまま過ごしている様に見えた。
婚約者候補を初めて王宮に呼んだ日は、時間ぎりぎりに訪れた。印象に残りにくい水曜日を選び、他の候補者がどうするのか気になりもしない。
行動の意図がわからず、アダムは彼女に対してそう思った。
だから、曜日の担当を宰相補佐で決めるときに、水曜日を希望した。
どんな人物なのか見極めたかったからだ。
ほかの宰相補佐たちは、自身が担当した令嬢を皇太子の婚約者としたいという野心を抱いていたため、印象の残りづらい水曜と木曜の担当はすんなりとアダムに決まった。
水曜日の担当になってオリビアと係わる機会が増えていくにつれ、アダムが彼女に抱く疑問は増えていった。
同じくアダムが担当する木曜日の令嬢は、テオドールとオペラを見たり、近くの湖まで野生動物を見に行ったり、ほかの令嬢と似たようなことを希望した。
けれど、オリビアは、テオドールが望むことをしたいと一回目は執務室で過ごし、二回目は訓練場の見学をした。
テオドールを補佐する立場であるアダムにとってはありがたいことではあったが、この2時間は、婚約者候補に与えられた2時間なのだ。
だから、ほかの令嬢の方が過ごし方としては正しいように思えた。
◇◇◇
「お待たせいたしました、クレメソン様。本日もお越しいただきありがとうございます」
それは火曜日のカールソン家の応接室で行われる恒例の挨拶となっていた。
様々な業務を抱えている宰相補佐が候補者のところに行ける時間は限られており、多くの場合、王妃教育の最中となる。
家庭教師の授業中に連絡もなしに訪れる宰相候補に苛立ちを見せる候補者も多い中、オリビアは申し訳なさそうに急いでくる。
「お忙しい中、申し訳ありません」
「いいえ、それがクレメソン様のお仕事ですから」
そう言いながらそっと右手を出し着席を促された。
アダムはそれに従い、応接室のソファーに腰を下ろす。それを見て、オリビアもアダムの前に座った。
過ごす時間が長くなればなるほど、アダムはオリビアのにじみ出る人の良さを感じた。
自分よりもさらに多くの時間を過ごしているテオドールはもっと感じているだろうなとアダムは思う。
テオドールは候補者全員を平等に扱っていた。
考え方も育ち方も違う7人の候補者には、それぞれに良さがある。
テオドールは7人全員の良さを見いだしていた。
どこか飄々としながらも、観察眼にすぐれ、決定力もある。人の上に立つべくして生まれた人。アダムはテオドールを見るとそう思う。
けれど、彼も一人の人間だ。だからこそ、アダムはテオドールが弱みを見せられる人が見つかることを願ってしまう。
◇◇◇
「…オリビアがスラム街の視察を希望している?」
それはある日のことだった。アダムの報告に、テオドールは目を丸くしてそう繰り返した。
アダムも初めて聞いたときに同じ反応を返したのだから気持ちはよくわかる。それは、あまりにも突拍子もなく、想定外のことだった。
テオドールは皇太子としてスラム街の改革に乗り出している。
少しずつ変化はしてきてはいるが、それでも貴族の令嬢が行くべきところではないのは確かだった。
珍しく頭をかくテオドールにアダムは次の言葉を待った。
「・・・許可しよう」
「許可でよろしいですね」
確認したアダムをテオドールは睨むように見た。
けれどすぐに八つ当たりであることに気づき、再び頭をかく。
「よろしくは、ないよ。アダムだってそう思うだろ?」
「・・・」
「アダムの立場じゃあ、何も言えないのか。今はそういうのいいよ。相談乗ってよ」
「致しかねますね」
「知ってる」
即答するアダムに、テオドールも即答で返した。
そのやりとりで、少しだけテオドールの纏う雰囲気が柔らかくなる。
「婚約者候補っていうだけじゃなく、貴族の令嬢としてスラム街を見学しておくっていうのは、いいことだと思うし、スラム街を見たいと言ってくれるのはありがたいことだとは思う。・・・わかってるんだけどね。・・・危ないことをしないで欲しいっていう俺もいるんだよね」
「確かに安全とは言い切れませんからね」
「そうなんだよな。ただの貴族の令嬢の申し出なら断ってるよ。・・・でも、オリビアは『皇太子』の婚約者候補だから、ね」
「承知しました。手配いたします」
「護衛兼案内役、頼めるか?」
「はい」
「頼んだ。間違っても傷一つ負わせるな」
「御意」
頷くアダムの肩をテオドールが軽く叩いた。アダムは少しでも安心させるように強く頷いた。
◇◇◇
「あなたが同行してくださるとは思いませんでしたわ」
晴天の空の下、ぼろ切れをつなぎ合わせた小汚い服を身に纏うオリビアがそう言った。
男装のため、少年のような帽子をかぶるが、よく見れば綺麗な女性だとわかってしまうだろう。
「口調」
「あ、すみま…いや、ごめん。何度も言ってくれていたのに」
道中の馬車の中で口酸っぱく教えた。
スラム街ではため口を使うこと、下の名前を呼び捨てにすること。
それでも、敬語がとれないオリビアを叱るようにアダムは見た。
申し訳なさそうにするオリビアに、けれどアダムは謝らない。自覚してもらわないといけないのだ。自分がスラム街にいるということを。
酒とたばこと死臭が入り交じった異臭が漂う。
罵詈雑言に、人を殴る音。常識が常識として通じない世界なのだ、ここは。
スラム街に来ると、アダムは宰相補佐ではなくただのアダムになる。だから、テオドールと初めて出会ったときの話をした。アダムの人生の中で、一番運が良かった日のことを。
「本当のことを知らなければ、本当に必要なことをすることはできないわ。臭いものに蓋をするだけじゃ何も変わらない」
どうしてスラム街に来ようと思ったのかというアダムの問いにオリビアはそう答えた。
汚くて、臭くて、暗い場所も目を逸らさずに直視するオリビアは、アダムの昔話を聞いても、態度を変えなかった。
スラム街にいたアダムが貴族の養子となり、宰相補佐となった。
それは、周りからしたら許容しがたいことだっただろう。特に生粋の貴族からは。
影で殴られ暴言も吐かれた。スラム街で聞くよりも陰湿なそれに、けれど全て才能と実力で黙らせてきた。
そんなアダムの努力は想像を絶するものだった。オリビアの言葉でそれが肯定された気がした。
「ねぇ、そういえば、さっき学校があるって言ったわよね?その様子も見てみたいのだけど」
「了解。さっきも言ったけど俺から離れないこと。オッケー?」
「オッケーよ」
頷いたオリビアに歩調を合わせ、アダムが案内をしたのはスラム街に作られた学校だった。
さほど大きくはない学校。
アダムが顔を見せれば、校内を自由に見て回る許可は簡単におりた。
机と椅子だけの簡素な造りの教室には数人の子どもたちが授業を受けている。
「じゃあ、この問題わかる人?」
「はい!はい!」
「僕もわかる!」
「私も!」
「それじゃあ、この問題を答えてもらうのは・・・」
子どもたちの楽しそうな声が響く。やる気のある様子に、教師も見るからに楽しそうだった。
「本当に普通の学校と同じなんだね」
授業の邪魔にならないように教室の外から様子を伺いながらオリビアがそう言った。
学校の規模や備品の違い、授業の内容に違いはあるもののそこにあるのは、イメージどおりの学校と同じ風景であった。
オリビアの感想にアダムは小さく笑う。
「普通の学校だからな」
「そう・・・だね」
「ああ。あんたらが通ってる学校と変わらないよ。先生がいて、生徒がいて、生活に必要なことを教えてくれる」
「・・・うん」
「テオが努力して作った学校だ」
「じゃあきっと子どもたちのことをよく考えられた学校なんだね」
その言葉にオリビアのテオドールへの信頼が見えた気がした。
再び子どもたちの様子を見つめるオリビアの瞳は優しそうで、きっとこの人はいい皇太子妃、ひいては王妃になるだろうとアダムは思った。
宰相補佐に婚約者候補を判断する資格はない。
7人の候補者全員を平等に扱わなくてはいけない。だからそんな風に思うことは本来許されないことだった。
けれど、このスラム街にいるアダムは「宰相補佐」ではなく「ただのアダム」なのだ。
だから、そんな風に思うことさえ自由だった。
◇◇◇
「俺も見たかったな~、オリビアの男装」
同じ馬車に乗らなければ良かったと不満げな表情を浮かべるテオドールの姿を見て、アダムは思った。
スラム街の視察からオリビアをカールソン家まで送り届けると、そこにはいるはずのないテオドールがいた。
おそらくオリビアに傷一つついていないことを確認したかったのだろう。
婚約者候補がスラム街の視察に行くのは異例中の異例であるため、忙しい公務を抜け出したことは見逃すことにした。
「申し訳ございません」
「そんなこと思ってません、って顔で言われてもな~」
「・・・」
「黙ったし」
面倒くさいと思いながら、ため息を吐くのは我慢した。肯定も否定もせず、アダムは笑みを浮かべる。
「ため口使われてるし、名前呼び捨てされてるし。俺はされたことないのに」
「そうですね」
「うわ、むかつく」
「大変失礼いたしました」
軽く頭を下げるアダムに、テオドールはさらに不満そうな表情を浮かべた。
テオドールは決してオリビアの前ではこんな顔は見せないだろう。
オリビアの前にいないテオドールも、テオドールの前にいないオリビアも見られるのはアダムだけだ。
だからこそ、2人のそれぞれへの想いを知ることができるのもアダムだけである。
皇太子の婚約者はきっと好意だけでは決められないだろう。
けれど、いろんなものを抱えるこの人が、誰よりも幸せになればいいなとアダムは思った。
◇◇◇
それからいろんなことがあった。
オリビアは変わらず、与えられた2時間をテオドールのために使った。二人が少しずつ歩み寄る様子もアダムには見えていた。
そんな中、オリビアが暴漢に襲われた。オリビアの元婚約者たち騎士団が彼女を守り、事なきを得たが、王家騎士団の副団長が投獄され、テオドールは信頼していた部下を失った。
オリビアの中にも恐怖が植え付けられたことだろう。
それでもテオドールもオリビアも変わらない距離のまま2人きりの2時間を過ごしていた。
アダムはそんな2人を少し離れた場所から見守ることしかできなかった。それがアダムの仕事である。歯がゆいなどと思うことすら許されない。
「オリビア様、お待ちしておりました」
それは、オリビアの婚約者候補としての最後の日だった。
アダムは、いつものように王宮の前に到着したカールソン家の馬車までオリビアを迎えに行き、テオドールの執務室まで案内する。
「オリビア様、私がスラム街出身だという話はしましたよね」
「…?はい」
「あそこは欲望にまみれた街です。理性ではなく、本能に任せて皆が欲しいものを欲しいと言います」
「…クレメソン様。何を、おっしゃりたいのでしょうか?」
「手段さえ間違えなければ、欲しいものを欲しいと願うことは決して悪いことではないと思いますよ」
職権を乱用していることは自覚していた。それでも自分のことよりも相手のことを思い行動するこの人の背中を押したいとアダムは思った。
「さあ、着きました。私は別の業務がありますので、ここからはお一人でお願いできますか?」
テオドールの執務室の前でオリビアにそう告げ、アダムはオリビアの元を去った。
意を決して中に入るオリビアの姿を、アダムは少し離れたところから静かに見守っていた。
テオドールの執務室の扉はいつものように開けたままである。
願わくばその扉を一番初めに閉めたいと、アダムは柄にもなく思った。
読んでいただき、ありがとうございました!!
また、誤差報告もありがとうございます!