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妻子が可愛い夫と夫がよくわからない妻(2)

 案内された食堂には、翡翠色のテーブルクロスがかけられたダイニングテーブルが真ん中に置いてあり、その周りに赤銅色の椅子が並べられている。天井も高く、解放感に溢れていた。

 イグナーツがさっと椅子を引いた。オネルヴァは驚いて彼を見上げるが、どうやらそこに座れという合図のようだ。彼からこのようなエスコートをされると思っていなかっただけに、驚きと嬉しさが心の中で交じり合う。オネルヴァの席はエルシーの隣だった。

「お父さま。エルシーも」

 どうやらエルシーもイグナーツのエスコートを望んでいるらしい。微笑ましいその姿に、つい目を奪われてしまう。

 仲睦まじい父娘の関係に、オネルヴァの入る余地はあるのだろうか。いや、この関係に自分が入ってしまっていいのだろうか。

 きゅっと胸が苦しくなる。

 イグナーツは、オネルヴァの右隣り、九十度の位置に座った。

 オネルヴァがテーブルの上のナプキンを取り膝の上にかけると、エルシーが真似をする。

 その仕草も可愛らしいのだが、オネルヴァは何か言いたそうに長く彼女を見つめていた。

「言いたいことがあるなら、きちんと言葉にしなさい」

 イグナーツの言葉に、オネルヴァは身体を震わせる。

「あ、あの……」

 なぜか身体に力が入ってしまう。何か言葉にすると、打たれるのではないかと身体が覚えているからだ。

 イグナーツは怪訝そうに目を細くした。

「もしかして。エルシーのことか?」

「あ、はい……。ナプキンのかけ方が気になりましたので……」

 彼女の言葉の最後は、消え入るようだった。

 イグナーツは、眉間に皺を寄せる。

「君さえよければ、エルシーにそういったマナーを教えてもらえないだろうか?」

 思いがけない提案に、オネルヴァははっと顔をあげる。

「俺たちだけでは、どうしても甘やかしてしまってな。家庭教師をつけてはいるのだが……」

 言いにくそうにしているところから察するに、家庭教師との相性がいいとは言えないのだろう。

「君がこうやって食事のときに指導してくれたほうが、エルシーも言うことを聞きそうだ」

 彼の口元が綻んでいるが、視線の先はエルシーを捕えている。

 オネルヴァも左隣にいる彼女に顔を向けた。

 目が合う。茶色の大きな目が、オネルヴァをまっすぐに見上げている。その目尻が和らいだ。

「エルシーも、お母さまに教えてもらいたいです。先生は、怖いです」

 しゅんとするエルシーの姿を目にすると、その言葉は偽りのない本心にちがいない。

「わたくしでよければ……」

 ほぼ幽閉状態で過ごしてきたオネルヴァであるが、マナーは厳しくし躾けられている。だからこそ、エルシーが口にした「怖い気持ち」がなんとなくわかった。

 ぱっとエルシーの顔が輝いた。それを見たイグナーツも微笑んでいる。

 ほわっと周囲の空気が温かくなったような気がした。

 それが合図になったかのように、食事が運ばれてくる。

 エルシーはたどたどしいながらも、ナイフとフォークを動かしている。

「エルシー。こちらの手は動かさずに、添えるだけにするといいですよ」

 オネルヴァがそっと告げると、エルシーも言葉に素直に従う。その様子を、イグナーツが目を細めて見つめている。

 なぜかオネルヴァは居たたまれない気持ちになった。



*~*~苺の月二日~*~*

『おかあさまは とてもやさしいです

 ごほんをよんでくれます

 いっしょにおさんぽをします


 おかあさまは おとうさまがすきになったひとです

 エルシーも おかあさまが だいすきです


 よるになると すこしだけさびしくなります

 だから おかあさまといっしょにねたいけれど

 おとうさまと おかあさまが いっしょにねるから

 じゃましてはだめだと ヘニーにいわれました


 おとうさまと おかあさまが いっしょにねるなら

 エルシーもまぜてほしいです』


◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 オネルヴァを屋敷に迎えてから、四日が経った。

 迎えた次の日に、結婚誓約書を議会に提出した。議会で承認されたのち、あの国王の手元に届く。提出してから三日経っても書類が突っ返されなかったため、それは不備なく受理されたのだろう。

 イグナーツは目の前にいるオネルヴァに顔を向けた。

 彼女はテーブルマナーをエルシーに教えているところだった。

 エルシーも幼いなりにマナーが身についていると思っていたのは、親ばかであるイグナーツだけで、オネルヴァから見れば目に余るものがあったようだ。

 この数日の間で、エルシーが口元を汚す回数も減っている。苦手な食べ物も食べてみようという姿を見せる。

 オネルヴァがきてからたった数日であるのに、エルシーがぐっと成長をしている。

 イグナーツの長期休暇も、残すところあと十日程となった。

 休暇中であっても、ちょくちょくと王城に足を伸ばす必要があった。それはイグナーツが北軍の将軍という地位についているせいだ。

 だが、それもそろそろ返上したいと思っている。

 これからは軍の裏方に徹し、できるだけエルシーと過ごす時間を確保したいと、そう思っていた。


 外から、華やかな声が聞こえてきた。

 書類から顔をあげたイグナーツは、左手の親指と人差し指で目頭をぎゅっと押さえる。そろそろ眼鏡を作るべきだろうとは考えているのだが、それもなかなか行動に移せない。

 眼鏡をかけた途端「とうとう老眼か」と言われるのを危惧しているからだ。

 執務席から音もなく立ち上がり、絨毯を踏みしめて窓際へと近づく。

 二階にある執務室から外を見渡すと、下に広がる庭園が見えた。

 庭園には庭師が丹精を込めて世話をしている色とりどりの花が咲いている。

 イグナーツはあまり花を愛でないが、オネルヴァは日傘をさして散歩している。彼女の隣にはエルシーもおり、二人の手はしっかりと繋がれていた。

 執務室にこもって書類とじっと睨み合っているイグナーツであるが、外から声が聞こえると、こうやって窓から庭を見下ろす。

 タッセルで束ねたカーテンに隠れるようにして、レースのカーテンの隙間から覗く。

 今日も二人は、似たような色合いのドレスを着ている。どうやらエルシーがオネルヴァのドレスに合わせるらしい。遠目から見れば、仲のよい母娘(おやこ)に見える。いや、紙面上は母娘である。

 エルシーが彼女にあれほどなつくとは、イグナーツにとっても予想外だった。

 やはりエルシーは母親を望んでいたのだろうか。

 イグナーツの動揺が伝わったかのようにカーテンが揺れた。

 すると、オネルヴァが顔をあげ、こちらに気がついた。

 だからといって、さらに身を引いて隠れてしまえば、彼女に変に思われるだろう。

 仕方なく、堂々と窓の前に立つ。

 彼女は笑顔を向けて頭を下げると、エルシーに何やら話しかけている。するとエルシーも顔を向け、イグナーツの姿を確認すると右手をぶんぶんと元気よく振り始めた。

 イグナーツも釣られて、つい右手をひらひらと二回だけ振ったが、すぐに止める。

 エルシーはすぐに何かを見つけたようで、オネルヴァの手を引っ張りながら、庭の奥に向かおうとしている。

 オネルヴァは、もう一度イグナーツに頭を下げると、エルシーと共に庭の奥へと進んでいった。

 イグナーツは振った手を戻せずにいた。宙ぶらりんな位置にある右手をなんとか落ち着けたくて、束ねてあるカーテンを掴む。

 胸が苦しい。

 なぜこのように苦しいのかわからない。

 ドクンと、心臓が大きく震えたような気がした。

 この状況は、けしてよい状況とは言えない。

 身体の底からボコボコと音を立てて魔力が湧き出てくる前兆である。

「くっ……」

 苦しくなり胸元を押さえる。その波が引いたのを見計らい、イグナーツは荒々しく執務室の奥の部屋へと向かった。


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