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夫41歳、妻22歳、娘6歳(5)

 その日は、朝から太陽の光が眩しかった。澄み切る空は、海のように青く、雲一つ見当たらない。

 上等な浅紫色のドレスに身を包むオネルヴァは、キシュアス王国の紋章の入った豪華絢爛な馬車に乗せられた。一国の王女が輿入れするだけあり、この馬車を引く馬は四頭いる。

 彼女の輿入れについてくるのは従者が二人、侍女が一人。それから、荷物番や護衛に当たる者。だが、それも国境までだと聞いている。

 国境の関所にゼセール王国の関係者が迎えにきているとのこと。そこでオネルヴァはキシュアス王国の馬車からゼセール王国の馬車に乗り換えるらしい。

 オネルヴァにとって馬車に乗るもの初めてで、王宮の敷地から出るのも初めてである。

 馬車に乗る際に義父であり叔父でもあるキシュアス王が「すまない」と口にしたのが印象的だった。アルヴィドは口元に微笑みをたずさえていたが、何か言いたそうに唇を震わせていた。

「お世話になりました」

 オネルヴァは二人にそう告げて、深々と頭を下げる。彼らは、父や兄よりも、父と兄のような存在の二人だった。

 従者に手を引かれて馬車に乗る。

 内装もきらびやかで細かい細工が施してあり、とにかく広い。オネルヴァの隣に侍女が座り、向かい側には従者の二人が座る。

 さらにもう一台、荷物と護衛を乗せた馬車が、後ろからついてくるし、馬車の周囲は騎乗した騎士が取り囲む。

 カタカタと馬車に揺られながら、オネルヴァはぼんやりとしていた。

 何事もなければ、今日中に国境の関所に着くはず。

 車内は静かだった。オネルヴァについてきた侍女も、オネルヴァが王宮で暮らすようになってからつけられた侍女で、必要最小限の会話しかない。従者にいたっては、腕が立つ者としか聞いていないから、軍の人間なのだろう。

「オネルヴァ様。お疲れではありませんか?」

 きっちりと決められた間隔で侍女は尋ねてくる。そこでオネルヴァが少しだけと答えると、馬車が止まる。

 オネルヴァが疲れていないと答えても、一定の時間が経過すれば、やはり馬車は止まる。定期的に休憩をとるのが、馬車移動での常識のようだ。

 日が暮れる前に関所に着いたのは幸いだった。

 朝の早いうちにテシェバを出たせいだろう。オネルヴァは、ここでゼセール王国関係者へと引き渡される。

 だが、今日はここに泊る。宿泊用のテントもゼセール王国の者によって準備されていた。

「お預かりします」

 そう言って、オネルヴァの手を取った人物が、夫となる人物ではないということだけは理解した。目の前の彼は若い。

「オネルヴァ・イドリアーナ・クレルー・キシュアスです。お世話になります」

「私は、閣下の側近を務めておりますミラーン・パシェクと申します。このたびは、おめでとうございます」

 深々と頭を下げたあと、彼はオネルヴァの身の回りの世話をする侍女を紹介した。

 侍女はヘニーと名乗った。

「キシュアスのものをゼセールに持ち込むことはできません。ドレスも、こちらで準備したものを着ていただく必要があります」

 早速ヘニーによってテントへと連れていかれたオネルヴァは、身に着けているものを脱ぐようにと指示された。

 けしてヘニーは嫌がらせをしようとしているわけではない。彼女は彼女なりに仕事に誇りを持ち、伝統に則ってオネルヴァのドレスを脱がせようとしているのだ。

「あ、あの……」

 オネルヴァが声をかけると、ヘニーは不思議そうに眉根を寄せる。

「一人で、着替えられますから」

「オネルヴァ様は、プレンバリ家の奥様となられる方です」

 彼女の一言でオネルヴァは察する。ようは、一人でやってはいけないのだ。

「ですが……」

 オネルヴァは胸元をきつく握りしめた。このドレスを人前で脱ぎたくない理由がある。

「出会ったばかりでオネルヴァ様が不安に思われるのもわかります。私がまだ信用されていないことも。ですが、私は旦那様の屋敷に仕えて三十年以上。このたび、オネルヴァ様付きとして、仕えることになりました」

 オネルヴァを落ち着けるような柔らかな笑みを浮かべる。

 ヘニーが悪くないことも、オネルヴァはわかっているし、彼女から誠意も伝わってくる。これはオネルヴァの問題なのだ。

「あの……。ここで見たことは誰にも言わないと、約束してくださいますか?」

 オネルヴァが尋ねると、ヘニーは驚いたように目を見開いたがすぐに頷いた。

「約束いたします。私はオネルヴァ様から信頼されるのが仕事でございますから」

 ヘニーは笑うと口元に皺ができる。それを見た時に、なぜかふわっと心が凪いだ。

 ヘニーの手伝いを受けながら、浅紫色のドレスを脱ぐ。コルセットも外され、背中が露わになったとき、ヘニーが息を呑んだのがわかった。だが、彼女はすぐに何事もなかったかのように、手を動かす。

「こちらを身に着けてください」

 身体を絞めつけないデザインの淡い珊瑚色のドレスであった。

「あとは、お休みになるだけですから」

 オネルヴァが今まで着ていたドレスは、麻袋に入れられキシュアスに返されるとのことだった。

 ゼセールについて勉強したつもりだったが、この輿入れについての伝統は知らなかった。

 食事もヘニーが用意してくれた。このテントの中には、オネルヴァとヘニーしかいない。だが、周囲にはオネルヴァの身を守る護衛がいるのだろう。

 ヘニーは、オネルヴァが眠りにつくまであれこれ世話を焼いた。あまりにも親切すぎて、変に疑いたくなったが、眠りに着くころにはその警戒心も和らいだ。

 次の日は、ゼセール王国の馬車へと乗り込んだ。オネルヴァを連れてきたキシュアス王国の馬車は、テシェバへと戻っていく。

 ヘニーはオネルヴァの隣に座ったが、オネルヴァの夫となるイグナーツについて、いろいろと話してくれた。

 イグナーツは四十一歳。六歳になった娘がいて、名前はエルシー。

 イグナーツは明るい灰色の髪に茶色の目。エルシーは金色の髪に茶色の目。親子だから、目の色は似ているのだろう。

 まだ会ったことのない夫と娘となる人物を頭の中で想像する。

 ヘニーはエルシーの話をするときは饒舌になった。エルシーがどれだけ愛されているかひしひしと伝わってくる。それが、どこか羨ましいと感じてしまう自分に、少しだけ躊躇った。

「仲良く、できますでしょうか」

「エルシーお嬢様も、オネルヴァ様がこられることを楽しみにされておりますよ」

 その一言で、少しだけ心が軽くなった。

 イグナーツとエルシーは、ゼセール王国の王都アラマにある別邸で暮らしているとのこと。

 馬車もそこへと向かっている。

 カタカタカタと揺れる動きが心地よい。

「オネルヴァ様……」

 気がつけば、オネルヴァは馬車の中で眠っていた。ヘニーの声で、はっとする。

「着きましたよ」

 外側から馬車が開かれる。ミラーンがすでに外に立っており、手を差し出してきたのでそこに手を添えた。

 初めてみる景色に圧倒される。目の前には白い外壁の建物。他にも庭を挟んで、似たような建物がたくさん立ち並んでいる。

 太陽はだいぶ西に傾きかけていたが、外はまだ明るい。

「こちらになります」

 ミラーンが扉の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。

 扉がゆっくりと開かれる。

「お待ちしておりました」

 初老の男が深々と頭を下げた。イグナーツ本人の出迎えを期待していたオネルヴァにとって、少し肩透かしを受けた気分でもある。

「ご案内いたします」

 吹き抜けのエントランスを抜け、屋敷の奥へと進む。白い扉の前に立つと、初老の男がノックした。

 男性の低い声で返事があった。

 扉を開ける。

 床から天井まで続く大きな窓が、西側から差し込む外光を取り入れている。若草色の壁紙と白い天井が、部屋を明るい雰囲気にしている。

 部屋の中心には、魔石によって明かりを灯す魔石灯が、天井から吊り下げられていた。

 その下に立つ大柄な男性と、小さな女の子。二人の顔立ちはどことなく似ているように見える。特に同じ色の目は、彼らに血の繋がりがある証なのだろう。

「はじめまして、俺がイグナーツ・プレンバリだ。そしてこちらが、娘のエルシー」

「エルシー・プレンバリです」

 金色の髪をふわっと二つに結わえている少女は、スカートの裾をつまんで挨拶をした。

「お初にお目にかかります。オネルヴァ・イドリアーナ・クレルー・キシュアスです。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 オネルヴァもスカート裾を持ち上げて、優雅に挨拶をした。これは、あの離れで過ごしていたときに身に着けた振舞の一つだ。こういった教養だけは、びっちりと叩きこまれていたのだ。

「あの……」

 エルシーが、オネルヴァをじっと見つめている。

 小さな女の子相手であっても、何を言われるのかと、オネルヴァはつい身構えてしまう。

「お母さまとお呼びしてもいいですか?」

「エルシー」

 イグナーツは声を荒らげる。

 エルシーはぴくっと肩を震わせ、罰の悪そうに父親を見上げる。

「あ、はい。仲良くしてください、エルシーさん」

 オネルヴァが声をかけると、少女は嬉しそうにとろけるような笑みを浮かべた。


*~*~花の月三十日~*~*


『きょうは あたらしいおかあさまがきました


 しろいかみのけが きらきらとひかっていました

 みどりいろのめで エルシーとはちがいます


 おかあさまは ぴんくいろのドレスをきていました

 おかあさまのおなまえは オネルヴァです


 あたらしいおかあさまを おかあさまとよんだら おとうさまにはおこられました

 だけどおかあさまは よろこんでくれました


 はやくおかあさまといっしょに あそびたいです』


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