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夫41歳、妻22歳、娘6歳(4)

◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 秋桜色の絨毯が敷かれ、壁も天井もどことなく淡い。天蓋付きの四柱式の豪華な寝台に、重厚感溢れる机と鏡台があり、くつろぐための寝椅子まで置いてある。

 広い窓はレースのカーテン越しに外光を取り込み、光の加減によって絨毯に作り出すレースの影は、ゆらゆらと陽炎のように揺らめいている。

 ここはオネルヴァに与えられた部屋。しかしこの空間が、落ち着かなかった。落ち着かないなりに、オネルヴァは居場所を見つけた。それが寝椅子の端っこ。そこにちょこんと座って、本を読む。

 ゼセール王国に嫁ぐと決まってから、ゼセール王国の歴史や地理や経済などを頭に叩き込んでいる。だから、寝椅子の前にあるテーブルの上には、こんもりと本が積まれていた。

 ――トントントントン。

 扉の叩く音で、本から顔をあげた。

「オネルヴァ。調子はどうだい? 食事を残したと聞いているのだが」

「アルヴィドお兄様。お仕事は?」

 アルヴィドの父がキシュアス王となったため、アルヴィドはラーデマケラス公爵の爵位を継ぎ、父王の補佐として王宮で働いている。

 彼が口にしていた通り、王都テシェバは酷い有様だった。いや、テシェバだけではない。アルヴィドの父が治めていたラーデマケラス領も、民は飢えて渇いていた。

 備蓄していた食料でなんとかしのいできたが、これでは籠城戦になると思った当時のラーデマケラス公爵が、王宮へと兵を挙げたのだ。

 彼の動きに賛同する者は多かった。むしろ、王宮内にいる者たちも、王政に不満を持つ者が多かった。不満は一つが爆発すると、連鎖していく。

 王に味方する者などほとんどいなかった。

 王と王子に剣を向けたのはアルヴィドである。彼から見たら伯父と従兄弟。だが、この国のためにも彼らを生かしておいてはならない。

 冷静にそう判断した彼は、王と王子の首を刎ね、城門に晒した。

 アルヴィドは包み隠さず、そのすべてをオネルヴァに伝えた。

 オネルヴァは、自分の父と兄の最期を聞いても、不思議なことに涙一つ零れてこなかった。

 一つの歴史が終わったのだと、そう思っただけ。

「ああ、今日の分は終わった。何も君が心配する必要はない」

「ですが……。まだ、彼らの生活は落ち着いていないのでしょう?」

「そうだな。だが、もう食べ物に困るようなことはない。これも、ゼセール王国のおかげだ」

 ゼセールの名が出ると、オネルヴァの心がチクンと針が刺さったように痛んだ。

「それとも。俺がここに来るのが不満なのか?」

「不満なんてありません。ただ、お兄様もお忙しい身ですから、何もわざわざこちらに来なくても……」

「そうもいかないんだ。君は、大事な褒賞だからね。君がゼセールに嫁ぐから、向こうはこちらに援助してくれるんだよ」

 オネルヴァは自分自身にそれまでの価値があるとは思えなかった。だからこそ、ゼセール王国を疑ってしまうのだ。いつか足元をすくわれてしまうのではないか、と。

「そのような不安な顔をするな」

 アルヴィドはオネルヴァの隣に座った。彼の大きな手が伸びてきて、オネルヴァの頭を撫でた。

「顔色が悪い。そうやってすぐに何事も真面目に取り組むのは君のいいところでもあるが、限度を知らないのは悪いところでもある」

 彼はテーブルの上に散乱している書籍にチラリと視線を向けた。

「君にばかり辛い思いをさせて、悪いとは思っている」

 頭を撫でていた彼の手は、オネルヴァの藍白(あいじろ)の髪をすくった。かさかさに乾いていたその髪も、ここにきてからは艶が溢れようになった。

「もっと早く君をあの場所から救い出すことができていたら、今頃君は……になっていたのかな?」

 手にした髪の先に、アルヴィドは唇を落とした。

「お兄様?」

「すまない。少し、感傷的になってしまった。可愛い妹が嫁ぐのが、やはり寂しいようだ」

 アルヴィドは慌てて彼女の髪から手を離した。

「お兄様と、お義父様には感謝しております。ですから、ゼセールへ嫁ぐのは、わたくしの意思です」

 アルヴィドの笑顔はどこか苦しそうに見えた。

「今日は、君の相手が決まったことを伝えにきたんだ」

「わたくしの相手、ですか?」

「そう。君の嫁ぎ先」

 オネルヴァは森のような深い緑色の眼を大きく見開いた。

「イグナーツ・プレンバリ将軍を知っているか? ゼセール王国の軍人だ。そして、キシュアス再建のために、力を貸してくれた人物でもある。ゼセールの北軍を率いているから、北の将軍と呼ばれることもあるようだ」

 ゼセール王国はキシュアス王国の南側にある。協力してくれたのが北軍であるのは、そういった地形的な意味もあるのだろう。それもここ数日間のうちに、オネルヴァが学んだ内容でもあった。

「はい、お名前だけは」

「君の相手だ」

「はい」

 夫となる人物の名を告げられても、オネルヴァはその名を紙の上でしか知らない。彼の瞳は何色なのか、どのような髪型なのか、身体は大きいのか、いくつくらいの人なのか、何も知らない。

 ただイグナーツ・プレンバリ将軍という人物が存在していることしか知らないのだ。

「輿入れは、十日後」

「十日後、ですか?」

 異例の早さといってもいいだろう。

「ああ。互いの国のためだ」

 別に結婚したくないとか、行きたくないとか、そういった気持ちがあるわけではない。

 オネルヴァは、純粋に相手が気になっていた。

「どのような方ですか?」

「誰が?」

「プレンバリ将軍です」

 オネルヴァの発言が面白くなかったのか、アルヴィドは目を細くした。少しだけ、睨んでいるようにも見える。

「どのような、というのは容姿をさしているのか? 身体は大きいな。俺よりも背が高い。年は四十を過ぎている」

 彼の年齢を聞いたオネルヴァは、思わず唇を噛みしめた。想像していたよりも、年上だった。だが、人質として嫁ぐのであれば、妥当なところなのだろう。きっと、愛妾として飼われるのだ。それくらいしか、自分には価値がないはず。

「それから、幼い娘が一人いると聞いている」

「娘?」

「ああ。確か、五歳か、六歳か……。そのくらいの娘と言っていた」

 そのような環境で、愛妾がいてもいいのだろうか。

「だが、奥方はいない。だから、君が嫁ぐ」

 オネルヴァは伏せていた顔をあげる。

「奥様とは死別されたのですか?」

「さあ、な。そこまでは、聞いていない。ただ、娘が一人いるという情報だけだ」

 嫁いでから知るよりも、事前に教えてもらっていたほうがよい情報ではあるのだが。

「そうしますと、わたくしはその子の母親にもなるわけですね」

「そうなるな」

 答えたアルヴィドの声はどことなく不機嫌である。

「わたくしはわたくしの役割を全うするだけです。この国のために」

 オネルヴァの言葉に、アルヴィドは顔を背けた。

 オネルヴァも気まずくなり、口をつぐむ。

 しばらくそうしたあと、彼は部屋を出て行った。

 アルヴィドはオネルヴァの食が細いのを気にしていたようだが、オネルヴァから見たら前よりもかなり食べている。

 離宮の物置小屋のような部屋にいたときは、一日一食しか運ばれてこない。それを、二回にわけて、食べていた。生命維持のためのぎりぎりの食事量といってもいいほどである。なんとか二十二年も生きられたが、身体は細く部位によっては骨も浮き出ている。

 それがこの部屋にきてから、温かく味のある食事を提供され、身体にも丸みを帯びてきた。それでも、出される食事の量にはまだ慣れない。とくに、お腹に溜まるような肉料理は、食べきれないことも多い。残すのはもったいなくて、事前に食べられる量を申告しているのだが、侍女頭や料理人たちは何かとオネルヴァに食べさせたがる。

 だが、アルヴィドはその食の細さを心配しているようだ。

 長椅子から立ち上がったオネルヴァは、窓際にゆったりと近づく。

 レースのカーテンにそっと触れ、外を見る。

 青い空がどこまでも広がっていた。その下には、民が住む街並みが広がっている。

 あそこがどのような状況になっていたかなんて、オネルヴァは知らなかった。そして今も、知らない。自分がゼセール王国に嫁ぐことによって、彼らの暮らしが少しはよくなるのだろうか。

 オネルヴァは流れる雲をじっと見つめた。

 その日以降、オネルヴァの周囲は慌ただしくなった。なにしろ十日後にはゼセール王国へ嫁ぐのだ。人質としてなのか褒賞としてなのか微妙なところではあるが、それでも自身に課せられた義務を果たそうと思っていた。

 あの場から助けてくれたアルヴィドのためにも、そして何よりも彼が救おうとしたこの国のためにも。


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