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夫42歳、妻23歳、娘7歳(4)

 チャポン、チャポン……。

 どこからか水の滴る音が聞こえる。身体が痛くて、何かに触れているところからは冷気を感じる。

「んっ……」

 身じろぐと、意識がはっきりとしてきた。

「あら、お目覚め?」

 その声の主を確かめようと目を開けた。

 だが、見慣れぬこの場所。硬い石の床の上に転がされていた。身体が痛くて、冷たい。

「返事もできないのかしら? オネルヴァ・イドリアーナ・クレルー・キシュアス。いえ、今はただのオネルヴァ・プレンバリだったかしら? もう、キシュアスの第二王女でもなんでもないのよね。あ、違ったわ。あそこに第二王女なんてもともといなかったの」

「お母様……」

「あなたに、私をお母様と呼ぶ権利はありません。この『無力』が!」

 オネルヴァはのろのろと身体を起こした。身体を起こしながら、自分が置かれている場所を冷静に判断する。

 地下牢。そう呼べるような場所だ。

 目の前にいる彼女とは鉄格子によって隔てられている。オネルヴァがいるほうが牢である。

「『無力』であるあなたを産んで、私がどれだけ惨めだったかわかるかしら? 『無力』は罪なのよ?」

 鉄格子の向こう側から威圧的に見下ろしてくる。母親でありながらも、彼女はいつもこうやって冷たい視線でオネルヴァを見つめていた。

 胸がぎゅっと痛む。

「妃殿下、そのようなことをおっしゃってわざわざ追い詰めなくてもよろしいのでは?」

 オネルヴァはおもわず目を見開いた。

「ミラーン、さん……」

「申し訳ありません、奥様。私は妃殿下から、奥様をこちらに連れてくるようにと依頼されまして」

 先ほどから彼が口にしている妃殿下は、間違いなくオネルヴァの母親であるカトリオーナのことだろう。だが、国王が亡くなりその王がかわっている。それでもまだ彼女は『妃』と呼ばれるのだろうか。

 コツカツ、カツコツと複数の足音が響いた。

「これが、あの将軍の嫁か?」

 鉄格子越しにオネルヴァを見下ろす男性を、彼女は知らない。

 日に焼けた肌にぎょろっとした目、黒い前髪をすっきりと撫でつけてはいるが、後ろの髪は長くゆるやかにうねっている。そして、顔の半分は人目で見てわかるような火傷の痕が残されていた。

 彼の後ろにも数人の男がいるが、見知った顔は一つもない。

「そうよ、あなた」

 その男の腰にカトリオーナが手を回すと、同じように男も彼女の腰を抱き寄せる。

「そして、お前の娘……」

「私と血の繋がった娘は一人だけと言ったでしょう? その娘も嫁いでいる。あとは血の繋がらない義理の娘よ」

「その義理の娘も、今は他の男に抱かれて腰を振っていたら、もうお前の娘ではないだろう?」

 オネルヴァを産んだ母親は、アルヴィドたちによって修道院へと送られたはずだ。

 だが、目の前にいる女性は間違いなくオネルヴァの母親である。藍白の髪は艶を失っているが、深緑の眼はギラギラと輝いている。

「この子は私となんの関係もないの。あなたの好きにしてちょうだい」

「ふん。北の将軍にはいろいろと礼をしたいと思っていたところだからな」

 小さな扉がカチャリと開く。そこから身をかがめて入ってきたのはミラーンだった。

「では、こちらに来ていただきましょうか」

「ミラーン、さん……。どうして?」

「どうしてと言われましても。こちらのほうが私にとって有益なものであると判断しただけです」

 手首を乱暴に掴まれると、牢の外に引きずり出された。あまりにもミラーンの力が強かったため、彼らの足元に倒れ込むような形になった。

 カトリオーナが腰を折って、オネルヴァの顔をのぞきこんでくるが、けして顔をあげない。

 その態度が気に食わなかったのか、彼女はオネルヴァの髪をわしづかみにして無理矢理顔をあげさせた。

「あなたが、アルヴィドたぶらかしたのかしら? あなたが昔からこそこそアルヴィドと会っていたのは知っているのよ。そのたびに、二度と会わないようにと折檻していたのに。そこまでして、アルヴィドと会いたかったの?」

 バシン――。

 力強く頬を()たれた。その勢いで、また床に倒れ込む。ひやっとした床の上に投げ出された手の上を、ぎりぎりとブーツで踏みしめる者がいた。そのブーツでわかる。間違いなくカトリオーナだ。

「カトリオーナ、やめなさい。商品に傷をつけるものではないよ」

 男の声で、彼女は足をどけた。ちっとはしたなく舌打ちをしている。

 それでも踏まれた左手は、ひりひりと痛むし打たれた頬は熱い。

 顔をあげてもまた打たれるのであれば、何もしないほうがいい。こうやって床に這いつくばっていたほうが、まだマシだ。

 感情を殺す方法はとっくに身に着けている。その術を、ゼセール王国にきてから使わなかっただけ。

「カトリオーナの娘でないのであれば、これは好きにしていいな?」

 男は許可を求めるかのように問うている。

「ええ。好きにしてちょうだい」

 ギリギリと頭皮が引き攣るくらいに、また髪を引っ張られた。ぶちぶちと何本かは抜けたかもしれない。

 無理矢理顔をあげられ、男と目が合った。

「かわいそうになぁ? 母親にも見捨てられて。旦那はゼセールの北の将軍。俺たちのことを、お前は知らないだろう?」

 問われても、オネルヴァは何も反応を示さない。

「システラ族……。そう言えば、わかるか? お前の旦那に何人もの仲間が殺されたな。あいつらは卑怯なことに、女と子どもを人質にとったんだ」

 ズキンと胸に響いた。

 システラ族との内戦の件はオネルヴァも知っているし、こちらに来てからヘニーにも詳しく聞いたばかりだ。だが、ゼセール側がシステラ族の女性と子どもたちを人質にしたという話は知らない。彼らが、ましてイグナーツがそのような卑怯な策をとるとは思えない。

「だから、俺たちも同じことをしてやろうと考えた。お前を人質にすればあの将軍はどう動くかな」

 このようなときは何もしゃべってはならない。

「だから当分、お前を殺しはしない。だが、死んだほうがマシだと思えるように生かしといてやる」

 そう思って二十年以上も耐えてきたきたのだ。今さら、どうってことない。前の生活に戻ったと思えばいい。

 それでも、心がチクリと痛む。オネルヴァがここにいることで、イグナーツの枷になってしまうのではないか。

 ビリリと音を立てて、萌黄色のワンピースが引き裂かれた。シルクのシュミーズが露わになる。

「こいつらの前で、お前を犯してやる。お前の母親は、あの修道院から逃げ出すために、俺に身体を差し出したんだよ。一国の王妃だった女がな。だが、システラが独立したら俺の嫁にしてやると約束してやった」

 彼の狙いは、システラ族の独立。つまりシステラという国を作りたいのだろう。話を聞いている限り、この男が代表だ。そして、その妻の座におさまろうとしているのがカトリオーナ。だからミラーンが先ほどから妃殿下と呼んでいたのだ。

 虫唾が走る。

「お前の旦那に恨みを持っている奴は、この世にたくさんいるんだよ」

 男の顔が近づいてくる。

「……やっ」

 思い切り手を伸ばして男の顔を退け、足を振り上げて彼の身体をどかそうとする。

「邪魔な手足だな」

 パチン――。

 男が指を鳴らした途端、手足は拘束された。

 システラ族は魔力が強い。こうやって人を拘束するのも容易く、戦が長引きたくさんの犠牲が出た原因とも聞いている。

 見えない紐でしばられたかのように、オネルヴァの両手首は頭の上で揃えて固定された。足もはしたなく大きく開いた状態で、縛り付けられたかのように動かない。

「母親とどっちが具合がいいか、確かめてやる」

「……やっ……。ミラーンさん……」

 それでも彼に助けを乞いでしまう。

「どうして……?」

「どうして? お前もそう思うよな? 俺もそう思った。あのとき、俺らに剣を向けてきたこいつが、どうしてこっち側に来たのかってな。簡単だよ。もともとこいつはこっち側の人間だっただけだ」

「母親がシステラ族なのです」

 ミラーンの告白に、オネルヴァの胸がぎゅっと縮まった。

 イグナーツはミラーンを信頼していた。だからこそ、オネルヴァの側に彼をつけてくれた。

「それに言ったでしょう? 奥様には、閣下をおびき寄せるための囮になっていただきたいと」

 できるだけ落ち着こう。そう思って呼吸をしていても、心臓は勝手に速くなっていく。

「なぁ? こいつから聞いたが、将軍はお前にぞっこんらしいなぁ? いい年こいて、年若い女に溺れているってな」

 下着の上から胸を乱暴に掴まれた。

「……っ」

「いいな。その顔。そうやって、将軍を誘ったのか?」

 抵抗したいのに、魔法によって拘束されている四肢は動かない。

 スカートの下から、男の大きな手が入ってきた。太腿をなでまわし、下着の上から触れてくる。

 きつく目を閉じ、顔を逸らす。

 母親の視線も刺さる。この男は、本当に人前で犯そうとしている。そうやって、オネルヴァの心をずたずたに引きちぎろうとしているのだ。

 そうなったらもう、イグナーツの側にはいられない。エルシーの母親でもいられない。

 人前で犯された女を誰も側に置きたいとは思わないだろう。まして、母親だなんて。

 はらりと目尻から涙がこぼれる。せっかく手に入れた幸せが、指の隙間からこぼれていってしまう。

「泣くなよ。すぐによくしてやるから……」

 男が膝をついて、覆いかぶさってきた。

「……いやぁっ」

 おもいっきり膝を立てて、彼の急所を狙う。間違いなく相手も油断していた。

「うぉっ」

 男が悶え苦しんでいる隙に、身体を起こして立ち上がる。

「なっ……くぅ……」

 痛みと混乱で男はわなないている。

 オネルヴァはブーツに隠していた飛び出しナイフを手にすると、素早くカトリオーナの背後に回った。

「オネルヴァ……。あなた、何をしているかわかっているの?」

 ナイフの先は、カトリオーナ首元に当てられている。

「わかっています。わたくしの『無力』が罪であるならば、わたくしを『無力』として産んだあなたも罪です。共に、罪をつぐないましょう」

「オネルヴァ……」

 ナイフの先がカトリオーナの柔肌に沈む。

 脅しではないと他の者も思っている。誰も動けずに、その様子を見守っていた。

 だが、急所を蹴られた男だけはうんうんと唸っており、その唸り声が不気味に響いている。

「あなたたち。オネルヴァを拘束しなさい。魔法でなんとかできるでしょう?」

 顔色一つ変えずに、カトリオーナは叫ぶ。

「無駄ですよ。わたくしは『無力』ですから。魔力を吸収するのです。先ほどだって、拘束された振りをしただけ」

 ミラーンが一歩近づいた。だがそれに反応したオネルヴァはすっとナイフの先を動かした。カトリオーナの薄い皮が切れ、つつっと赤い血が流れる。

「奥様。おやめください。奥様が人殺しとなれば、閣下も悲しむでしょう」

「もともとわたくしは人質としてこちらに嫁いできたのです。人質の女が何をしたところで、誰も悲しまないでしょう? キシュアスにとってわたくしの存在は『罪』だったのです。そしてその『罪』を産んだ母親も同罪です。この命をもって『罪』を償います」

「オネルヴァ……本気、なの?」

 カトリオーナが静かに問う。

「まさか、冗談だと思っているのですか? キシュアスの王は代わったのです。前の王に通ずる者が生きていてはならないのです。お母様、わたくしと共に死んでください」



*~*~刈りの月四日~*~*


『きょうはおかあさまと おさけをつくっているところをけんがくしました

 くだもので おさけやおみずをつくっています


 おおきなたるが たくさんならんでいました

 ぶどうのおみずは とてもおいしかったです


 おかあさまは おしごとがあるみたいで かえってきません

 おとうさまも まだきません』


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