夫42歳、妻23歳、娘7歳(2)
初めて訪れた北の城と呼ばれる本邸は、『工』の形をしている城塞であった。手前の建物が見張り台を兼ね、裏の建物が住居スペースになっている。
少々小高い場所にある城は、街並みを見下ろすように建っていた。少し離れた場所には、城の外壁と同じような胡桃色の住宅も建ち並ぶ。
「ここから、関所までは馬車で一時間ほどかかるのです」
ヘニーによって中を案内されたオネルヴァとエルシーは、こちらで働いている使用人も紹介された。
「奥様とお嬢様のお部屋はこちらになります」
移動の疲れを見せないヘニーによって、二人は部屋へと案内される。
木材をふんだんに使った調度品は、どことなく暖かさを感じる。そんな木の温もりを感じるような部屋だった。
茜色の四柱式の寝台が、ぱっと室内を華やかにしていた。
寝台から少し離れた場所にはお茶を嗜めそうな長椅子とテーブルが置かれている。
「移動ばかりでお疲れですよね。今、お茶をお淹れします」
疲れているのはヘニーも同じだろうに、彼女は年齢を感じさせないきびきびとした動きで手際よくお茶を淹れている。
「ヘニーも一緒にいかがですか?」
オネルヴァが誘えば、彼女が断らないの知っている。
ヘニーは微笑んでから「お言葉に甘えさせていただきます」と口にした。
オネルヴァもほっと息を吐く。
だが、ヘニーがお茶を淹れている間に、隣に座ったエルシーの頭がこっくりこっくりと動き出す。
「あら?」
その様子に気がついたオネルヴァは、彼女の身体を長椅子の上に横たえ、上掛けをかける。
「エルシーお嬢様は、お疲れのようですね。奥様は、大丈夫ですか?」
「えぇ」
そこでオネルヴァは紅茶の入った白磁のカップに手を伸ばした。紅茶の香りを吸い込むと、疲れがふっとどこかにいなくなるような感じがした。
「ヘニー。よろしければ、お話につきあっていただけないでしょうか? 少し、この辺のことを教えていただきたいのです。例えば、街の様子とか」
そう言ってカップをテーブルの上に戻すと、微かに微笑んだ。するとヘニーも、口元をほころばせてからゆっくりと話し出す。
「こちらに来る途中にも見えましたが、この本邸を中心として街が広がっております。数年前の内戦で、こちらにも戦火にさらされましたが、今ではもうすっかりと元に戻っております。他の国境の領地と比べましても、比較的住んでいる人間も穏やかではありますね。旦那様も、こちらに来られると街へとおりて、様子を確認されているのですよ」
「数年前の内戦というのは、異民族であるシステラ族が反乱を起こしたのがきっかけだと読んだのですが……」
「はい。そうですね。システラ族は民族意識が高いものですから。このゼセール王国からの独立を考えていたのだと思います」
それの発端となったのが、国内の税率を変更するいう案が議会に提出されたからだ。もともと、ゼセール国内の税率が高いと思っていたシステラ族は、その案に反発し始めた。周辺の町や村を巻き込み、税率が上がれば自分たちの生活にどのような悪影響を及ぼすかを説き始める。
そのくらいの活動であれば、大小さまざま各地で起こっているため、大した問題ではないと国側では考えていた。すべての国民に受け入れられる施策など、存在しない。誰かが良案だと思っても、誰かは悪だと感じる。それは何事においても利点と欠点があるからだろう。その欠点を最小限に抑えるための策であっても、結果が出なければ誰も納得などしない。
そして争いのきっかけは、なんだっていいのだ。いくつもの小さな不満、考えの違いが集まって、爆発しただけにすぎない。もともとシステラ族は南の隣国のラハルン王国から逃げ出したきた民族であり、そこをゼセール王国が受け入れただけである。
彼らを受け入れて数十年経つが、システラ族はこの国での生活になじめなかったのだろう。民族意識の高さから団結し、さらに鬱憤がたまりにたまっただけにすぎない。
それが発端となり、システラ族との争いが始まった。たかが少数民族と侮っていた節もある。また、南のエホーブ領が最初に狙われたのも原因だった。
システラ族はいつの間にか、周辺の町や村までをも味方につけていたのだ。国民の誰もが忘れかけていたことだが、システラ族は魔力の強い民族だった。その魔力に魅せられた者はシステラ族につき、システラ族の意見に耳を傾け心打たれた者は彼らの虜となる。その結果、ゼセール王国から独立すれば、これだけ豊かで自由な生活が望めると、人々の気持ちを煽った。
南のエホーブ領はラハルン王国と接していることから、ラハルン国民も多く訪れている。それは観光であったり産業の発展であったりと、二国間における友好的な交わりのためである。
それでもシステラ族にとって、ラハルン王国は自分たちを追い出したにっくき相手。
彼らが狙ったのは、エホーブ領に滞在していたラハルン国民だった。しかも観光のために訪れていた年若い夫婦だった。新婚旅行だったのだろう。
すぐさま、ゼセール王はラハルン王国を訪れ、ゼセール王国の力によってシステラ族を制圧することを誓う。
もしかしたら、システラ族はゼセール王国とラハルン王国を争わせたかったのかもしれない。だが、そうならなかったのはラハルン王が冷静だったからだ。彼はシステラ族の狙いに気がついていた。だから、ゼセール王の謝罪を受け入れると共に、すぐさま亡くなった者を手厚く葬り、家族にも心から謝罪をして、賠償金を支払った。
ゼセール王国軍は、四軍を動かした。最終的にイグナーツ率いる北軍とレジナルドの西軍の共同作戦によってシステラ族を降伏させたが、それでも犠牲となった者の数は多い。
システラ族を少数民族と侮っていた点もある。彼らはいつの間にか国内の各地へと散らばっており、魔法を使ってその地に血を流した。争いある場所に軍が駆けつけ、軍の統率も分散されていく。それも内戦が長引いた原因でもあった。
「システラ族の一部の者は、南のほうで細々と生きながらえておりますが。それも女性や子どもといった力のない者ばかりですので」
彼らの命を奪わないと判断したのは、ゼセール王だ。内戦の発端となった者は容赦なく処刑したが、それに巻き込まれた者はシステラ族といえども生かした。
今ではすっかりとシステラ族もおとなしくなっている。ただ、システラ族に向かう視線は厳しいもので、生きながらえた彼らは身を縮めて生活をしているとも聞く。それがたまに爆発し、衝突し合うこともあるようだ。
そこまで話を聞き終えたオネルヴァは、紅茶を一口飲んだ。
ゼセール王国の現状は、オネルヴァが学んだ内容と一致している。
「あの……。街を見学する時間はとれますか?」
「そうですね。公爵様を迎え入れる準備をしなければなりませんが、少しくらいでしたらお時間は取れるかと思います。」
オネルヴァの顔がぱっと輝いた。
イグナーツがここに足を運ぶたびに街の様子を確認しているという話を聞いてから、オネルヴァも自分の目で彼が治めている場所を見てみたいと思っていたのだ。
「ですが、必ず護衛の者をお連れください。今も話しました通り、システラ族の残党のような者たちが、身を潜めているという話もございますので」
平和で穏やかに見えるこの街であるが、それでも犯罪がないというわけではなさそうだ。
オネルヴァがもう一度カップに手を伸ばそうとすると「んっ……」とエルシーの身体が少しだけ動いた。彼女の肩から、上掛けがするりと落ちる。
オネルヴァは伸ばしかけていた手で上掛けを拾い、もう一度エルシーにしっかりとかけた。
ヘニーは口元に微笑みを浮かべながら、その様子を見守っていた。
*~*~刈りの月二日~*~*
『きょうはおかあさまと ほんていにきました
なんかいかきたことがありますが おぼえていません
おへやは おかあさまといっしょでした
あちらのおうちとはちがって とてもひろいです
あした おかあさまといっしょに
まちをみにいくことになりました
おとうさまがおさめているまちだから
おかあさまがみたいといったからです』