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妻を奪われた夫と夫に会いたい妻(4)

 オネルヴァの両目からは、静かに涙が流れている。

 イグナーツは彼女を抱きしめたまま、熱く息を吐いた。

 「ああ。だから、俺は今、幸せだ。君が隣にいてくれるからな。これからも、俺の妻として、俺を支えてくれないか?」

 妻は不要だと言っていたイグナーツから感じていた優しさの原因がわかった。

 それはオネルヴァ自身が、この結婚が形だけのもの、彼の妻としての立場も形だけのものと思っていたのと同じ理由だ。

 そう思い込むことで、お互いの立場を守っていた。

 理由は明確である。今の関係を失うのが怖いから。

 だが、そう思えることが『幸せ』なのだろう。『幸せ』だからこそ、今を壊したくない。この時間がずっと続けばいい。

「はい……わたくしでよろしければ……っ」

 唇を塞がれた。

「……んっ……」

 突然の行為に、オネルヴァも戸惑う。彼はいつも口づけの許可を求めてくる。こんな強引な口づけは知らない。

「すまない」

 唇が自由になった途端、彼はいつものように謝罪の言葉を口にした。

「エルシーが大きくなったら、君を解放すべきだと思っていた。君だって、こんな年上の俺よりも、もっと年代の近い者と一緒になったほうがいいだろうと、そう思っていた。だから俺は、ずっと我慢していた……」

「我慢、ですか?」

「君を、名実ともに、俺の妻としてもいいだろうか?」

 その言葉の意味を考える。彼の形だけの妻ではないということだろう。

「は、はい……」

「ほ、本当か?」

「つまり、これからわたくしは旦那様の形だけの妻ではないということですよね?」

 そう口にしてみたが、形だけの妻とそうでない妻の違いすらわからない。

 イグナーツが不在のときは、この屋敷の女主人としてやるべきことをやっていたつもりではある。そういった内容を、もっと深く、もっと濃くこなせという意味なのだろうか。

「そうだ……。俺は、君を抱きたいと思っている」

「今も、こうやって抱きしめてもらっております」

 オネルヴァがはにかむと、イグナーツは困ったように目尻を下げた。

「君は……そういった教育は受けていないのか?」

「教育、ですか? 家庭教師の先生はおりましたが……」

 イグナーツの目が、不規則に動いている。顔も、少しだけ赤くなっているようにも見える。

「できれば、俺は……君との間に子を授かりたいと、そう思っている……」

「エルシーも、弟妹が欲しいと言っておりました。ですが、そればかりは授かりものと聞いておりますので……」

「そうだな……。つまり、だ。その子を授かるような行為を君に求めたいのだが、よいだろうか?」

 オネルヴァは驚き、目をぱちぱちといつもより激しく瞬いた。

「子を授かる、行為……ですか?」

 てっきり子どもは、愛し合う夫婦のもとに神様が授けてくれるものだと思っていた。

 だから、愛のないオネルヴァとイグナーツの形だけの結婚では、子を授かることはないと思い、エルシーに曖昧に答えていたのだ。

「あの……子を授かる行為とは……」

 オネルヴァの問いに、イグナーツはまた困ったように眉根を寄せた。

「そうか……。君は知らないのか……」

「申し訳ありません」

「いや、謝るべきものではない。ただ、いきなり実践というのは、いかがなものだろうか……」

「だ、大丈夫です。その……旦那様が教えてくだされば……」

 イグナーツは、軽くコホンと咳ばらいをした。

「君は、たまに大胆なことを口走るな。いや、知らないから、なのか?」

「え、と……。それはどういった……?」

 この部屋には二人きりであるにもかかわらず、イグナーツは彼女の耳に唇を近づけ、簡単に説明した。

「つまり、旦那様とわたくしの身体をつなげると? そういった場所があると?」

「そういうことだ」

 彼の言葉を信じるのであれば、子を授かるためには必要な行為のようだ。

 だがそれを知らなかったオネルヴァは、もちろんそのような行為に及んだことはない。

「よ、よろしくお願いします……初めてですので、至らない点も多々あるかと思いますが……」

「君のそういった真面目なところも、愛らしい。俺にまかせてほしい……」

 彼は身体を起こすと、オネルヴァの身体をまたぐようにして腰の両脇あたりに膝をついた。

 両頬は彼の大きな手によって包まれる。そのまま顔が近づいてきて、唇が重なろうとした瞬間、彼が言葉を放つ。

「これは……俺の魔力を無効化するための治癒行為ではない……。君を、愛するための行為だ」

「は、はい……」

 彼の唇は、まず額に落ちてきた。チュ、チュと音を立てながら、瞼、鼻先、頬と場所をかえていく。

 最後に唇同士が重なり、オネルヴァが唇を緩めた瞬間に彼の舌がすぐさま口腔内へと入ってきた。

 この激しい口づけまでは経験済である。彼が魔力に侵されたときに、唇を重ね、舌を絡めあっていた。

 だが、そのときとはなぜか感覚が異なる。

 イグナーツの舌が、オネルヴァのすべてを暴くかのようにして口の中を舐っている。

 イグナーツは解放してくれない。オネルヴァを味わうかのように、口の中を蹂躙している。

 激しい口づけの合間に呼吸を求めようとすると、鼻にかかったような甘い声がこぼれる。それに、下腹部に違和感を覚えた。じわりじわりと熱がたまるような、疼くような、そんな感覚である。

 彼に触れられた場所が熱く感じる。その熱がまるで全身へと広がっていくかのように、心臓もドクドクと先ほどからうるさいのだ。

「脱がせてもいいだろうか?」

 激しい口づけを一通り終えたイグナーツが、息を整えようとしながらもそう尋ねてきた。

「脱がなければ……ならないのですか?」

「君のすべてが見たい……」

 そう言ったイグナーツは、先に自分がきている寝衣の上を脱ぎ去り、乱暴に投げ捨てた。音を立てて寝台の下へと落ちていく。

 突然目の前に現れた彼の厚い胸板に、目を逸らす。

「俺も脱いだ。次は、君を脱がせる番だな……」

「え?」

 戸惑っているうちに彼の手が伸びてきて、ナイトドレスの腰紐をしゅるっと解かれた。

「これを脱がせたいのだが……いいだろうか?」

 ナイトドレスは前を開かれただけで、それ以外はオネルヴァを覆っていた。

「え、えと……?」

「俺は……君のすべてを見たい」

 彼の茶色の目に、情欲の炎がたぎっている。

「あの……もっと明かりを落としてください……」

 先ほど魔石灯の明かりを弱めたイグナーツではあるが、それは完全に消したわけではない。エルシーがよく言っている豆明かりであって、部屋をほのかに橙色に照らしている。だから、これだけ近くにいれば、お互いの顔も身体もはっきりと見えてしまう。

「駄目だ……。これ以上暗くすると、君を見ることができない。何も、恥ずかしがる必要はない。これから、何度もこういったことをするようになるのだから……」

 何度も――。

 その言葉にオネルヴァは目を見開いた。

「少しだけ、身体を浮かせてもらえないか?」

 まるで操り人形にでもなったかのように、彼の言葉と彼からされる行為に素直に従ってしまう。ナイトドレスの袖からするりと腕が抜け、それは下腹部の上で止まった。イグナーツは、それを下から勢いよく引き抜き、寝台の下へと投げ捨てる。

 その隙に、オネルヴァは胸の前で腕を組んだ。先ほどまで散々弄られたのに、今さらかもしれない。

 イグナーツはその手を優しく絡めとり、首元に口づける。

「ひゃっ……」

 今までと違う部位に口づけられただけで、くすぐったいような、温かいような気持ちになる。

「あ、あの……旦那様……」

「なんだ。今さらやめてほしいと言われても、それはもうきけない」

「違います。あの……」

 彼に気づかれる前に、自分から申告すべきだと思った。

「わたくしの身体を見ても、嫌いにならないでください……」

「嫌いになんてなるわけない。君の身体は、すべてが美しい」

 オネルヴァは少しだけ胸が痛んだ。微笑もうと思ったが、もしかしたらその笑みは引き攣っていたかもしれない。

 彼女は、自ら身体を浮かして、背中を彼の前に曝け出した。

「旦那様は、これを見ても同じ言葉をおっしゃってくださるのですか?」

 オネルヴァの背には、無数の傷痕がある。それは、鞭で打たれたときにできたものだ。皮膚が破れ、血が滲んでも、教師は鞭で打つのをやめなかった。恐怖によってオネルヴァを支配しようとしていたのだ。

「痛くは、ないのか?」

 すべての傷痕を慈しむかのように、彼が触れて舐め上げる。

「はい……。痕は残ってしまいましたが、痛みはもうありません」

「そうか……」

 苦しそうに、彼はそう言葉を吐き出した。

「あの……ですが、気持ち悪いですよね。これだけあると」

 あの教師は、服で隠れるような場所ばかりを打った。だが、それでも背中が開いたようなドレスは着られない。

「いや……。ただ、もっと早く君に出会っていればと、今、後悔している……」

「旦那様?」

 オネルヴァはもう一度身体を捻って、仰向けになった。

 彼は膝立ちをしながら、悔しそうに顔を下に向けていた。

 彼女は手を伸ばし、彼の頬に触れる。

「旦那様。そのような顔をしないでください。わたくしは今、『幸せ』なのですから」

 頬に触れた手を、さらにイグナーツの手が包んだ。

「俺は……。これからずっと、君を幸せにすると誓う……」

 愛おしそうにオネルヴァの手を頬に押し付けている。そんな彼と共に、これから築き上げる未来に想いを寄せる。

「旦那様……」

「君にそう呼ばれるのも嫌いではないのだが、どうか、名を呼んでくれないか?」

 急に名前と言われても、恐れ多い。だが、イグナーツ自身が望んでいるならば、何も問題はないのだろう。

「イグナーツ様……」

 すると彼は、オネルヴァを力強く掻き抱く。

「オネルヴァ……愛している……」

 その言葉に耳を傾けながら「わたくしも……」と、小さく口にした。


*~*~収穫の月二十六日~*~*


『きのう パーティーだったので おかあさまはねぼうしました

 おこしにいこうとしたら おとうさまにとめられました


 だからきょうは おとうさまとおさんぽしました

 きょうのおとうさまは ちょっとだけたのしそうでした


 きっと エルシーとのおさんぽが たのしいのだとおもいます

 こんどは おかあさまもいっしょに さんにんでおさんぽしたいです』

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