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妻を奪われた夫と夫に会いたい妻(3)

◇◆◇◆ ◇◆◇◆


 カタカタと揺れる馬車内で、隣に座っているオネルヴァはうとうととしていた。先ほどから、頭が不安定であっちにいったりこっちにいったりとしているのだ。

 イグナーツは、そんな彼女から目が離せない。

 ミラーンに呼ばれ、別室でよくない報告を聞いた。だが、それに対して人を動かせる状況でもなく、まずは情報収集を優先させることとの結論で、その場は解散となった。

 バルコニーに一人残してきたオネルヴァが心配で、終わり次第そこへ戻ると、彼はアルヴィドと楽しそうに踊っていた。

 従兄妹同士、まして義理の兄妹とわかっていても、彼女の笑顔を引き出している彼に対抗心が芽生えたのは否定できない。

 彼女の隣に相応しいのは、年齢も見た目も釣り合った彼のような男なのではないかと、心の中で比べていたのも事実。

「ん……。あ、すみません。眠っていましたか?」

「ああ、気にするな。疲れただろう? 俺は疲れた」

「あ、はい……そうですね。本当に、このように人がたくさん集まるような場に出たのは、初めてでしたので」

「楽しめたか?」

 彼女の気持ちが知りたかった。

「はい。お料理も美味しかったし、何よりも、旦那様と踊れたのが楽しかったです」

 微かに綻んだ口元すら、愛おしいと感じる。

「あの……旦那様は『幸せ』ですか?」

 彼女が唐突にそのような質問をする意図がわからなかった。もしかしたら、この結婚によって「不幸」になったとでも、言いたいのだろうか。

 だが、それには心当たりはある。

 彼女にとってのイグナーツの第一印象は最悪だろう。自身の戒めのために口にした言葉であるが、あれがどれだけ彼女にとってひどい言葉であるかの自覚はあった。それに、彼女の意思も確認しないまま「エルシーの母親役」を与えてしまった。

 どこかで謝罪しなければならないと思いつつ、彼女の優しさに甘えてしまったのも事実。

「アルヴィドお兄様から聞かれたのです。幸せか、と。それに答えることができませんでした」

 彼女の言葉で喉を上下させた。

「君は今、幸せではないのか?」

 気がついたらそう尋ねていた。彼女の膝の上で握りしめられている手を、そっと右手で握りしめる。答えを聞くのが少しだけ怖い。

「わたくしには、よくわからないのです。その『幸せ』というものが……」

 彼女がキシュアス王国でどのような仕打ちを受けていたか。オネルヴァ自身の口から聞いたことはない。イグナーツも彼女から聞きたいとも思わなかった。

 嫌な思い出であるならば、わざわざそれを掘り起こす必要もないだろう。だが、この結婚を打診されたときに、国王からたっぷりと情報はもらっていた。

 ああいった環境であれば、そう思っても仕方ないのかもしれない。

「旦那様。わたくしに教えていただけないでしょうか。『幸せ』とはどんなものか」

 難しい質問である。

「それとも、旦那様は『幸せ』ですか?」

 それには自信を持って答えることができる。

「ああ。幸せだな」

「どうしてですか?」

 この質問のされ方は、数年前のエルシーを思い出す。「どうして?」「なんで?」を繰り返して、一つ答えるとまたすぐに「どうして?」と聞いてくる。

 あのときは、ヘニーやパトリックにも協力してもらい、エルシーの「どうして」攻撃に耐えたものだ。

「エルシーがいて……君がいてくれるからな」

 彼女の深い緑色の目が大きく開かれた。驚き、困惑、戸惑い。何を思っているのかはわからない。ただ、彼女に逃げられたくなくて、掴んでいる手は逃さない。

「旦那様は、エルシーとわたくしがいるだけで『幸せ』なのですか?」

「ああ……。いつまでもこの時間が続けばいいと思っている。だが、エルシーだってずっと子どもというわけではないだろう? 成人して、結婚することを考えると、寂しくなる。だから今、この時間がずっと続けばいいと思っている」

 彼女の艶やかな唇が、何か言いかけようとして開きかけた。だが、すぐに閉じる。

 オネルヴァは顔を逸らし、膝の上で繋がれた手をじっと見つめていた。

 馬車が止まった。

 イグナーツは彼女の手を取り、そこから降りた。

「お帰りなさいませ」

 玄関ホールでは、遅い時間にもかかわらずパトリックとヘニーが出迎えてくれた。

「エルシーは?」

「おやすみになられました」

 オネルヴァもヘニーを従えて、自室へと向かったようだ。


 湯浴みを終え、奥の寝室へと向かう。

 魔石灯によって照らされた部屋の寝台では、すでにオネルヴァが横になっていたが眠ってはいないようだった。

「旦那様、今日はお早いのですね」

 イグナーツの姿をとらえた彼女は、横になりながら声をかけてきた。

 彼女は生活魔法が使えない。だから、魔石灯の明かりを消すことができない。明るいまま寝入っているときもある。

「ああ、今日は疲れたからな」

 彼女の隣へと潜り込む。魔石灯の明かりを弱める。

 横を向くと、すぐ近くにオネルヴァの顔があった。彼女はまっすぐにこちらに顔を向けていた。

「どうかしたのか?」

「『幸せ』について考えていました」

「それで、何か答えは出たのか?」

 イグナーツもそう尋ねてみたのはいいが、ドクドクと心臓はうるさいくらいに動いていた。

 今の生活を否定されるのが怖いのだ。

「いつまでもこの時間が続けばいいと、先ほど旦那様はおっしゃっておりました。つまり、それが『幸せ』ということなのかなと。そうなれば、わたくしも幸せです。エルシーがいて、旦那様がいて、パトリックやヘニーがいて。このような生活を送れるようになるとは、ずっと思ってもおりませんでした。今の生活がずっと続けばいいと、そう思っております」

 オネルヴァはイグナーツを凝視している。彼女なりに、真剣に考えた結果なのだろう。

 心が晴れていくと共に、彼女が愛おしいと思う。

「俺は、ずっと君に謝らねばならないと思っていた」

 掛布より腕を出し、彼女の身体を抱き寄せる。

「旦那様?」

 抱き合って眠るのも、何も初めてではない。彼女の唇だって、魔力に侵されることを理由に、何度も求めている。

「あ、もしかして、また魔力が?」

 いつも、こうやって抱き寄せるのが引き金になっていた。彼女もそれを理解しているのだろう。

「違う、魔力はまだ大丈夫だ」

 そう。まだ、大丈夫。

 先ほど、気持ちが昂ったときは危ないと思った。それでも彼女に触れたことで、溢れそうになった魔力は無効化された。

「君は今、幸せか?」

 イグナーツは尋ねた。

「はい、幸せです」

 溢れそうなほどの笑みを浮かべて、彼女は答えた。

「ですから、次にアルヴィドお兄様にお会いしたときには、そう伝えるつもりです。旦那様にとっては、望まぬ縁談であったかもしれませんが、わたくしにとってはよき縁談でした」

 彼女を抱き寄せる腕に力を込める。その体温すら愛愛しい。

「俺にとっても、君を妻として迎えられたことは、よかったと思っている」

 シーツの擦れる音がした。彼女は驚いた様子で、イグナーツを見つめている。

「わたくしは、エルシーの母親としてここにいるのではないのですか? 家族として、ここに……」

「それは……俺が悪かった……。あのとき、妻は必要ないと言ったのは……俺自身の気持ちを戒めるためだ……」

「戒める?」

「ああ」

 腕の中のオネルヴァが少し動くたびに、爽やかないい香りがイグナーツを刺激する。

「俺と君では年が離れすぎているし……。俺には、幸せになる権利はないと、ずっとそう思っていた」

「それは、旦那様の弟様のことですか?」

「そうだ。あの内戦は、俺の判断が遅かったせいで、たくさんの人が無駄に命を落としてしまった」

 それをずっと悔やんでいた。あのときに、別の決断をできていたなら、被害を最小限度に抑えられたのではないだろうか。それを見誤ったのではないだろうか。

 結果、エルシーから父親を奪ってしまった。

 いや、エルシーだけではない。彼らにも待っていた家族がいたはずだ。その家族から大事な人を奪ってしまったのだ。

「それは……旦那様のせいではありません。助けられた方々もたくさんいたはずです。旦那様があのとき別の判断をされていたら、もしかしたら今よりももっと状況は悪くなっていたかもしれない。失った命が無駄だなんて、そのようなことはありません。それでは、失った者たちの存在を否定することになりませんか?」

 彼女が、感情的に声を荒げるのは初めてのことだ。

「そうやって、あのとき、あのときと考えると……後悔しか……。だから、わたくしはずっと……生まれてこなければ、よかったのだと……そう……思って……」

 イグナーツは彼女の額を胸元に抱き寄せた。イグナーツにとっても辛い過去があるならば、彼女にだって同じように思い出したくもない過去があるはずだ。

「辛いことを思い出させて悪かった。俺の弟なら、間違いなくエルシーの幸せを願っていると思ったんだ。だから彼女を引き取り、彼女だけでも幸せにしてやりたいと思った」

「エルシーの幸せを願うのであれば、旦那様も幸せになるべきだと思います」


*~*~収穫の月二十五日~*~*

『きょうは おかあさまもいません

 おとうさまといっしょに パーティーへいったからです


 おかあさまのドレスは とてもきれいでした

 エルシーもあんなドレスをきてみたいです


 エルシーも おとうさまとおかあさまのように

 だれかといっしょに おどってみたいです


 ジョザイアとダスティンは いっしょにおどってくれますか?

 アルおにいさまは いっしょにおどってくれますか?』


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