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妻を奪われた夫と夫に会いたい妻(2)

 城内からバルコニーへと続く扉が開き、楽団の演奏がより大きく聞こえた。コツコツコツと足音を響かせて、誰かがこちらへやってくるが、城内の明かりを背にしているその人影では、誰が誰であるかがわからない。ただ、ドレス姿の人物ではないというだけはわかった。

「オネルヴァ? こんなところにいたのか」

「アルヴィドお兄様?」

「一人なのか?」

 ぐるりと周囲を見回したのは、イグナーツの存在を確認しているのだろう。

「旦那様は、呼び出されましたので。わたくしは、ここで休んでおりました。人がたくさんいるところは、どうしても慣れないので」

「そうか……隣、いいか?」

 アルヴィドがちらりと長椅子に視線を向けた。

「はい」

 断る理由はない。

「お義父様は、元気でいらっしゃいますか? キシュアスの様子はどうですか?」

 オネルヴァがこちらに来てから気になっていたのは、そのことだった。彼女がイグナーツに嫁ぐことで、ゼセール王国はキシュアス王国に多額の援助をする約束になっていたはずだ。また、キシュアス王国がゼセール王国に反旗を翻すのを防ぐためでもある。だからこそ、一部からは人質とさえ呼ばれているのだ。

 だが、今のキシュアス王国には、そんな戦力(ちから)すら残っていない。

「ああ、父は元気だよ。臣下にも恵まれているからね。彼らもよくやってくれている。民にも充分に食料が行き渡るようになったし、今は畑の整備も始まっている」

「そうですか……。それは、よかったです。安心しました……」

 膝の上で両手を握りしめる。

「君は、ここに来て幸せか?」

 そう問われて「はい」という言葉を呑み込んだ。そもそも『幸せ』とは何かがわからない。

「そうですね、よくしてもらっております。もう、打たれることもありませんし……」

「そうか。君が今の生活に満足しているのであれば、俺から言うことは何もない。兄としては、妹が気になって仕方ないのだよ。いきなり、母親になったのも大変だったろう?」

 アルヴィドの手が伸びてきて、組んでいたオネルヴァの両手を優しく包んだ。驚いて、顔をあげる。彼は微笑みながら、オネルヴァを見つめていた。

「エルシーは、とてもいい子です。本当にわたくしが、あの子の母親でいいのかと、何度も悩みました」

「そうだな……あの子は純粋な子だ。本当に、あの男の娘なのかと疑いたくなるくらいに」

 その言葉に、オネルヴァは何も答えなかった。ただ、にっこりと微笑む。

「エルシーが、アルヴィドお兄様にまた会いたいと言っておりました。機会がありましたら、お屋敷のほうにも遊びにきてください」

「ああ、機会があったらそうさせてもらう。今回は、友好国として視察を兼ねているんだ。だから、地方にも足を伸ばすつもりでいる」

 地方。オネルヴァは、ほとんどの時間を屋敷の中で過ごしている。外に出るのも、庭園を散歩するときくらいだ。

 だが、イグナーツはゼセール王国の北の将軍と呼ばれているだけあり、北の領地を治めているはずだ。

「アルヴィドお兄様も、北の関所を越えてきたのですか?」

「そうだな。できれば、あそこの領地の視察もしたいと考えている。なによりも、我がキシュアス王国との国境だからな」

 オネルヴァも、こちらに嫁いできたときにはあの関所で一泊した。時間があれば、もう少し先にある領主館での宿泊も検討されたようだが、あの時間からさらに領主館への移動となればオネルヴァの負担になると判断されたらしい。だが、あのテントでの宿泊も悪くはなかった。テントは正式には移動式住居と呼ばれているもので、中は充分に広く温かった。

 関所には立派な石造りの城壁があり、そこに常駐している者たちは城壁の内部で寝泊まりしている。

 だが、関所という要の場所であるだけに、よそ者を内部に入れることはできない。そのため、関所を越える者が宿泊を必要とするときには、テントを用いているとのことだった。

「どうかしたのか?」

 アルヴィドの顔を見つめたまま、何も言わないオネルヴァに不安になったのか、彼は顔を曇らせた。

「いえ……。わたくしも、領地に足を運んだことがなかったので。機会があれば行ってみたいと、そう思っただけです」

「そうか」

 沈黙が落ちた。

 アルヴィドと話すときは、会話が途切れてしまう。お互いに、口数が多いほうでもないし、何を話したらいいのかがわからなくなるのだ。

 だが、イグナーツといるときはどうだろうか。間にエルシーがいてくれるからか、なんとなく会話は続く。

 寝る前も『今日は何をしていたのだ?』と話題を振ってくれるため、代り映えのない一日を彼に伝えているだけなのに、なぜか満ち足りた気持ちになっていた。例え、沈黙があったとしても、その間すら居心地は悪くない。

「オネルヴァ。一つだけ、俺のわがままを聞いてくれないか?」

 彼がこのようなことを口にするのは珍しい。アルヴィドがどんな『わがまま』を言うのか、少しだけ気になる。

「はい……。お兄様、どうかしたのですか?」

 きょとんとした表情で首をひねったオネルヴァの前に、突然アルヴィドは膝を突いた。そして、すぐさま彼女の手を取る。

「オネルヴァ。どうか俺と一曲、踊ってもらえないか?」

「え?」

「ダンスに誘おうと思って探していたんだ」

 先ほども危うく国王からダンスに誘われそうになった。すぐにイグナーツが戻ってきて、まずは彼に断りをいれる必要があると言っていた。

「ですが……旦那様に確認しないと」

「俺と君は家族じゃないか。それくらい、閣下だって許してくれるだろう?」

 手を取られ、立ち上がるようにと促される。

「君は、人がたくさんいるところは苦手だろう? それに、ここでも音楽は聞こえる」

 中には戻らず、この場で踊るらしい。

 抱き寄せられ、腰に手が回る。オネルヴァもそれに応えた。

「君が閣下と踊っている姿を見てね。とても素敵だったよ」

「ありがとうございます。あのように、大勢の前で踊るのは初めてでしたので」

 先ほどと感覚が異なるのは、彼らの体格の違いだろうか。

「他の男が、君をダンスに誘いたそうにしていた。だけど、閣下が睨みをきかせていたからね」

「そうなんですね」

「君は、キシュアスにいたときよりも、綺麗になったよ」

「アルヴィドお兄様は、お上手ですわね」

 オネルヴァがふふっと笑うと、身体がふわりと浮いた。

「きゃ。アルヴィドお兄様。そのようなこと、突然されたら驚きます」

「オネルヴァが笑っているからね。あそこにいたとき、そういった笑顔を見せてくれなかっただろう」

 指摘されて、はっとする。キシュアス王国にいたときは、笑ったことなどなかった。

「そうだったかもしれませんね……」

「君を笑顔にしてくれたのは、閣下かな?」

 そこでアルヴィドは、ダンスを止めた。

「だが、閣下は……君のすべてをもう知ったのかな? 例えば、その背中とか……それを知ってもあの態度であれば、君を閣下に任せてよかったと、心からそう思える……」

 アルヴィドの言葉にオネルヴァは息を呑んだが、何も言えなかった。アルヴィド自身も、どこか苦しそうに目を細くしている。

「アルヴィドお兄様? どうかされました?」

「君の夫君が怖いくらいにこちらを睨みつけているからね」

 それは先ほども聞いた言葉でもある。

「俺は、彼と敵対するつもりはないよ」

 そう言ったアルヴィドは、オネルヴァの身体を解放した。そして、イグナーツの側に行くようにと、そっと背中を押す。

「旦那様。お話は終わったのですか?」

 オネルヴァは微笑みを湛えて、イグナーツにゆっくり近寄る。彼はバルコニーの入り口付近から動かず、ただこちらを見つめていた。

「ああ……」

「閣下。俺はこれで。どうか、我が可愛い妹のことを、これからも頼みます」

 二人をその場に残し、アルヴィドはさっと城内へと戻っていく。

「旦那様? どうかされましたか?」

「いや……。そろそろ戻ろうか」

 イグナーツの差し出した腕に、オネルヴァは自身の手を絡めた。

 その温もりに、なぜかほっと安心した。

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