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妻を愛している夫と夫を気にする妻(5)

 アーシュラ王女の誕生パーティーは、日が沈むと王城内の大ホールへと場所を変える。だが、その前にイグナーツとオネルヴァは屋敷へ戻ることにしていた。それはもちろん、エルシーがいるためだ。

 彼女を迎えに来た従者に預けるという方法もあるが、イグナーツ自身がエルシーと共に一度屋敷に戻るのを望んだ。

「朝から晩まで、あれに付き合っていたら疲れる」

 エルシーが心配である一方、彼の本音はそれだったらしい。

 結局、アーシュラ王女に挨拶をしたらすぐに会場を出てきてしまった。エルシーは「もう少しジョザイアたちと遊びたかったのに」とぶつぶつ文句を言っていたが、それを聞いたイグナーツは、より一層不機嫌な顔をする。

「お父さま、お母さま。お友達ができました。ジョザイア、ダスティン、アリシア、ブリジットです」

「まぁ。たくさんできたのですね」

「はい。ジョザイアは遊びに行ってもいいと言っていました。今度、ジョザイアのお屋敷に遊びに行ってもいいですか?」

 だがイグナーツは腕を組んで目を閉じたまま、何も答えない。

「お父さま?」

「旦那様は、少しお疲れのようですね。たくさん、人がおりましたからね」

「でも、お父さまとお母さまは、もう一度パーティーにいくのですよね? エルシーはお留守番ですよね?」

「えぇ。そうですね」

 オネルヴァはエルシーの手に触れる。

「できるだけ、早く帰ってきますから。リサとパトリックの言うことを聞いて、休んでいてくださいね」

「はい……」

 そう返事をしたエルシーは、どことなく不満そうだった。

 そしてイグナーツは、馬車が止まるまで目を開けることはなかった。

 慣れた屋敷に戻ると、オネルヴァもほっと肩の荷がおりた気分になる。不機嫌のように見えたイグナーツだが、それでも馬車から降りるときには手を取ってくれた。

「旦那様。お疲れですか?」

「そうだな。ああいった場は、あまり好きではないからな」

 馬車より飛び降りたエルシーは、たたっと駆け出して先に屋敷へと入っていく。

 きっと友達ができたと、リサたちにも報告したいのだろう。淑女らしくない行動に、本来であれば注意すべきなのかもしれない。だが、自分の気持ちに素直な子どもらしい行動でもある。あとでやんわりと注意すればいい。

「エルシーにもお友達ができてよかったですね。わたくしにも、リオノーラ様を紹介してくださって、ありがとうございます」

「別に俺は……。君をここに閉じ込めているつもりはないからな」

 彼も誰かに何かを言われたのだろうか。

 だが、オネルヴァ自身もそう思ったことはない。閉じ込められるというのは、あの離宮にいたときのような、あんな状態であると思っている。

「はい……」

 それから少し迷った挙句、そっと彼の手を握りしめる。今はただ、イグナーツの体温を感じていたかった。

「次は、日が沈んでから屋敷を出る。それまでは休んでいなさい。俺も、少し休む」

 イグナーツが力強く手を握り返してきた。嫌がられてはいない、その事実がオネルヴァの心を軽くする。

「もし、君さえよければ……。いや、なんでもない……」

 二人並んで屋敷に入ると、パトリックが出迎えてくれた。だが、屋敷内にはエルシーの賑やかな声が響いている。

 エントランスでイグナーツと別れたオネルヴァは、すぐにヘニーを呼んで着替えを手伝ってもらう。少しでも、この締め付けから解放されたかった。

 イグナーツではないが、あのような場にほんの少しいただけで、疲れてしまった。

 頭を倒すようにして寝椅子に身体を預けていると、ヘニーが黙ってお茶の用意をすすめる。

「お疲れのようですね。身体をお揉みしましょうか?」

「ありがとう。でも、こうやってゆったりとお茶をいただけるだけで、充分です」

「では、私は控えておりますので。何かありましたら、お呼びください」

 一人になったオネルヴァは、ただぼんやりとカップを口元に運んでいた。

 時折、エルシーの楽しそうな声が微かに聞こえてくる。それがうるさいとは思わない。

 この国は、居心地がいい。人柄も穏やかな人間が多いように感じる。

 キシュアス王国にいたときとは違うとわかっていながらも、それでも変に探ってしまう。

 イグナーツと婚姻関係を結んで、四か月が経った。例え、形だけの妻であったとしても、この居場所を失いたくないとさえ思う。

 キシュアス王国にいたときのような、あんな生活には二度と戻りたくない。今のキシュアス王国であれば大丈夫だろうとは思いつつも、幼い頃から植え付けられた気持ちは、どこか心を蝕んでいる。

 アルヴィドと再会してほっと安心したところもあるが、彼が時折見せた冷たい眼差しに、身体の底は震えていた。ああやって、一国を背負うような責任ある立場となれば、人は変わってしまうのだろうか。

 離宮にいたときのささやかな楽しみが、他の者に隠れてアルヴィドと会うことだった。

 彼だけは、オネルヴァを一人の人間として扱ってくれた。だが、彼と会っていたのが他の者に知られると、厳しい折檻を受けたのも事実。

 アルヴィドには会いたかったが、会いたくないという思いもあった。アルヴィドはその気持ちを知っていたのだろうか。

 カップを戻すと、寝椅子に深く身体を沈めた。

 目を閉じる。

 だが、なぜかイグナーツの戸惑うような困った表情が、瞼の裏に張りついているように見えた。

 夜会の時間が迫り、オネルヴァはまたドレスを着替える。

 昼間はエルシーとお揃いの淡いラベンダー色のドレスであったが、夜会となれば人工的に魔力によって作られた灯りが煌々と輝く世界である。それに映えるようなドレスが望ましい。

 昼間に着たドレスとは全く雰囲気の異なるミッドナイトブルーのドレスである。

 何段にもレースが重ねられたディアード状のスカート部分には、花のコサージュがたっぷりと縫い付けられている。

 派手ではないかとオネルヴァは心配していたが、淡い同系色の小さな花であるため、思っていたほどではなかった。

「お母さま……。きれいです」

 エルシーがうっとりとしている。

「エルシーも、お父さまとお母さまが一緒に踊っているところを見たかったです」

 屈託無い笑顔でそう言われてしまうと、なぜか羞恥に包まれる。

「できるだけ早く帰ってくる」

 イグナーツがエルシーに言葉をかけると、エルシーはむぅと頬を膨らませる。

「エルシーも、早く大人になりたいです」

「よい子で待っていてくださいね」

 オネルヴァもエルシーの頭をぽふっと撫でた。

「お父さま、お母さま。いってらっしゃいませ」

 エルシーに見送られて馬車に乗り込むと、緊張のためかじっとしていられない衝動に駆られた。落ち着かないのだ。

 向かい側に座っているイグナーツは、腕を組んで目を閉じている。

 話しかけてはいけないような気がした。だが、そんな彼は、目を閉じながらもゆっくりと口を開く。

「落ち着かないのか?」

「あっ……」

 片目だけ開けたイグナーツは、ふっと鼻で笑う。

「こちらに来るか? それとも俺がそちらにいこうか?」

「あっ、あの……」

 答えられずにいると、イグナーツは立ち上がってオネルヴァの隣へと場所を移動する。さりげなく、腰に手が回される。

「そんなに緊張していては、疲れてしまうだろう。俺も気乗りしないところはあるが、まぁ……。あまり、難しく考えるな」

「は、はい……」

 夜会に出るのが緊張しているわけではない。彼と二人きりで、そのような場に出るのに気持ちが焦っているのだ。

 いつも間にはエルシーがいる。

 エルシーが、オネルヴァとイグナーツの仲を取り持ってくれていると言っても、過言ではなかった。

「昼間の雰囲気とは異なるし、君にも嫌な思いをさせるかもしれない」

 彼のその言葉が、ずしりと心に突き刺さった。


*~*~収穫の月二十五日~*~*

『きょうは アーシュラおうじょさまのたんじょうびパーティーでした

 おとうさまは いつもはおしごとなのに きょうはパーティーにさんかしました


 だからエルシーも はじめてパーティーにいきました

 おともだちが たくさんできました

 おともだちのなまえは ジョザイア、ダスティン、アリシア、ブリジットです


 おかあさまのおにいさまにもあいました

 アルおにいさまです


 アルおにいさまは おかあさまのことがすきです

 エルシーも おかあさまのことがすきです


 だから アルおにいさまのこともすきになりました』

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