秘密を知られた夫と秘密を知った妻(5)
「かわいらしいですね。よく見ると、みな、少しずつお顔が違うのですね」
オネルヴァの言葉に、イグナーツの口の端がひくっと動いた。何か言いたそうに、ひくひくとしている。
「旦那様。どうかされましたか? あの、ご迷惑でなければ、わたくしにも一つ、いただけないでしょうか」
するとまた、イグナーツの唇がふるふると震える。
「やはり。こちらはエルシーの分でしたか……? あの、無理にとはいいませんので。忘れてください」
これだけあるならば、一つくらいもらってもいいだろうと思っていた。
「いや……。好きなだけ持っていってかまわない」
「ですが、こちらはエルシーの分なのですよね。エルシーが誕生日にもらっていると、そう教えてくださいましたから」
「あ、ああ。そうだな……。あげる相手がエルシーくらいしかいないからな。だから、好きなだけ持っていけばいい」
「好きなだけ……。ですが、たくさんいただいたらエルシーの分がなくなってしまいますから」
そこでオネルヴァはすっと立ち上がり、すたすたと歩き出す。
「この子をいただいてもよろしいですか?」
窓際に置かれているうさぎが気になった。少しだけ耳がくたっと垂れている。その垂れ具合が、オネルヴァの心にずさりと刺さった。両手で抱き上げて、抱きしめる。
「それは、俺が初めて作ったものだな」
驚いてイグナーツの顔をまっすぐに見つめた。だが彼は、すぐに視線を逸らして鉛色のカーペットに顔を向けた。
「あの……。この子たちは、旦那様がお作りになられたのですか?」
彼は動かない。視線も合わない。だけどオネルヴァはしっかりと彼を見据えている。
「……そうだ……」
絞り出すような声で、彼は呟いた。
「旦那様は、手先が器用なのですね。どの子も微妙に表情が違いますし、何よりも愛らしいです」
オネルヴァはぬいぐるみの顔に頬を寄せ、ぎゅうっと抱きしめる。
やっと顔をあげたイグナーツは、オネルヴァがぬいぐるみと触れ合っている様子を見ていた。
「オネルヴァは……俺がそういったものを作っていることに対して、何も思わないのか?」
「え? と……。すごいと思います。わたくしも刺繍はしますが、こういったぬいぐるみを作ることはできませんので。ほつれたものを直すくらいしかできません」
「そういうことではなくて、だな……」
イグナーツは大きな右手で口元を覆った。どこか照れているようにも見える。
オネルヴァは首を傾げた。彼は何を言いたいのだろうか。
「俺のような男が、このようなぬいぐるみを作っていることに対して、それ以外の感想はないのか?」
「すごい、以外ですか? え、と。素晴らしいとか。感動しましたとか。語彙力がなくて申し訳ありません。それよりも、わたくしも作ってみたいです。どうやって作るのでしょう? わたくしにも作れますか?」
すると、くつくつとイグナーツが笑い出した。
むむっと、オネルヴァは唇を少しだけ尖らせた。
「旦那様?」
「いや、すまない。俺の悩んでいたことは、大したことのないものだったんだと、そう思えてきたんだ」
「そうですか」
笑われて、少しだけ心がもやっとしたオネルヴァだが、イグナーツが浮かべた笑みによって、そのもやもやが流れていく。
「ここにあるものは俺が作ったわけだが。別に手に針を持って、ちくちくやっているわけではない」
その言葉に、オネルヴァは目をきょとんとさせる。針を持たずにどうやってぬいぐるみを作るのだろうか。
「まあ、見てもらったほうが早いだろう」
イグナーツは、ソファに深く座った。
「君も、隣に座りなさい」
ぽんぽんとソファの上を叩かれたため、オネルヴァは少し躊躇ってからそこに腰をおろした。
その様子を見ていたイグナーツは満足そうに微笑むと、腕を組み、ソファに大きく寄り掛かる。オネルヴァから見たら、まるで居眠りでもするかのような格好にも見えた。
「あ……」
テーブルの上にあった針と糸が勝手に動き出す。それらが勝手に布を縫い合わせていく。
「もしかして、魔術でぬいぐるみを作っているのですか?」
「そうだ。俺は、他の者よりも魔力が強くてな。こうやって定期的に魔力を解放しなければ、魔力に侵される。だが、この方法も万能ではないんだ。俺が軍に入ったのも、定期的に魔力を解放するのが目的だった」
だが魔力のないオネルヴァにとってはイメージが沸きにくい話である。それに、なぜ魔力解放がぬいぐるみを作ることに結びつくのかもわからない。とにかく、魔力を使えばいいのだろうか。
「魔力の解放とは、こうやって魔力を使われることなのですか? 他の方もやられている一般的な方法なのですか? それとも、魔力の強い旦那様だからこそ、必要なことなのでしょうか?」
疑問が一気に口から出てきた。
それでもイグナーツは嫌な顔をせずに、ゆっくりと言葉を紡ぎ出す。
「そうだな。魔力を使うことが魔力の解放につながる。俺の場合は、魔力が強いため、どうしても魔力が体内に留まってしまうんだ。だから定期的に魔力を使う必要がある。例えば、体内に十の魔力を蓄えられるとしたら、他の者はだいたい五前後の魔力を蓄えている。それが十を超えることはない。俺の場合、それがすぐに十を超え溢れてしまう。溢れた分を使う必要がある」
なんとなくわかったような気がする。イグナーツから溢れた魔力が、彼の身体を蝕むのだろう。
「魔力がありすぎるというのも、大変なのですね。わたくしにはわからない世界ですが」
そこまで口にして、先ほどのイグナーツを思い出した。
「もしかして。先ほど、具合が悪そうに見えたのは、その魔力のせいですか?」
「そうだ。ここで魔力解放を行おうとしたのだが、間に合わなかった」
魔力の解放にもどうやらタイミングというものがあるようだ。
「ですが、今はこうして、普通にしていらっしゃいます」
「ああ。君が来てくれたから……」
イグナーツも、それ以上は何かを言いにくそうに、唇を噛みしめていた。
「ですが、わたくしは何もしておりません」
食事を運んできたオネルヴァは、どこからか苦しそうな声が聞こえたため、この部屋に入ってきた。そして彼に近寄っただけで、何も特別なことはしていない。
「君は『無力』だ……」
ズキリとその言葉に胸が痛んだ。事実であるが、そうやって言われてしまうと惨めな感じがする。
「『無力』とは魔力が無いと言われているが、魔力を無効化するとも言われている」
「魔力の無効化ですか?」
「ああ……。俺は、何十年も前から、この魔力に悩まされ続けていた。それで、調べた。魔力は定期的に解放する必要があるが、その他の方法としては、魔力を無効化してもらえばいい」
「そのようなこと」
聞いたことがない。そして、そういった文献を目にしたことがない。
「『無力』の者が魔力を無効化できるというのは、この国の者であっても、ほんの一部の人間しか知らない。俺と、国王と……。そんなもんだな。魔力無効化の能力があると知られれば、悪用される可能性もあるからな。そういった能力が存在することは知られていない」
オネルヴァの心臓はトクトクといつもより速めに動いている。
魔力の無効化だなんて知らない。そんな能力の存在も知らない。そしてオネルヴァ自身『無力』であったことで、虐げられてきた人生を送ってきた。誰もが魔力を持つこの世界で『無力』は恥じるべき人間であると思っている。
「わたくしは『無力』の人間ではありますが、魔力の無効化だなんて知りません」
「だが、君は確かに俺の魔力を無効化してくれた。だから今、俺はこうしてここにいられる」
「そう、なのですね?」
イグナーツの話はよくわからない。それに彼の魔力を無効化した覚えもない。
「だから……。俺にとっては、君は必要なんだ……」
イグナーツが苦しそうに絞り出すような声で言った。
たとえそれがそんな目的であったとしても、必要と言われればオネルヴァも悪い気はしなかった。
*~*~苺の月十日~*~*
『きょうから おとうさまはおしごとにいきました
でも おかあさまがいます
べんきょうがおわると
おかあさまの にんじんケーキをたべました
おとうさまのぶんまでたべると
おとうさまが おこります
だから おかあさまは
おとうさまのぶんだけ とくべつにしていました』