プロローグ
輪廻転生とは、サンスクリット語のサンサーラに由来する用語で、命あるものが何度も転生し、人だけでなく動物なども含めた生類として生まれ変わることをいう。
教室のドアを開けると、クラスメイトはみんな座っている。自分も急いで席につくとすぐ、担任の竹田が入ってきた。鞄を机の下にしまい、皆と同じように黙って前を向く。担任はいつもと同じように出席をとる。
「青山、井上、上田」
名前を呼ばれた生徒は、覇気のない声で「はい」と返事をする。
「太田」
次に自分の名前が呼ばれる。
「はい」
「お前は消えろ!」
突然、担任がそう叫んだ。
驚いて担任の顔を見ると、白い能面を被っている。
隣の席の田沼さんも同じく能面を被り、「消えろ」と言う。
いつの間にか、クラスメイト全員が能面を被り、「お前は消えろ!」と迫ってきた。
立ち上がり、教室から逃げようとしたところで、目が覚めた。
変な汗が身体中にまとわりついている。
(また、この夢だ…。なんで、また。)
蛇口から水を勢いよく出し、額からこめかみにかけて、まとわりついた前髪を整える。冷たい水で顔を洗うと、鏡に疲れ切った中年の女の顔が映った。
冷凍庫から作り置きのきんぴらと、冷凍コロッケを取り出しレンジで温め、夫の弁当を作る。
窓を開け空気を入れ替えていると、夫が起きてきた。
「おはよう。」
「……」
いつもと同じ。
不貞腐れたまま、大股歩きで横切った。
「はぁ…」無意識のうちにため息をついていた。
ドン!
壁を叩く音で振り向いた。
「お前、朝からなんだ!?」
「え…」
ドンドンと足音を立て、近づいてくると「俺になんか文句でもあるのか?!」夫は私の耳元で怒鳴ると、チッと舌打ちをし洗面所に入った。
一瞬抜け殻のようになったが、何も言い返さないまま、台所に立った。
7時40分
夫が家を出た後、莉奈が学校に向かう。
夏休みの自由研究に作った紙粘土の猫の貯金箱が入った袋や、新しい体操着の袋を持っている。
今日はいつもより荷物が多い。
「莉奈ちゃん」
振り返った娘を玄関で抱きしめた。
「ごめんね。」
私の鼻をすする音が玄関に響いた。
莉奈は、黙ったまま一点を見つめているようだったが、
「うん。」と呟くと「いってきます。」と、何もなかったかのように出て行った。
誰もいなくなった家の中で、食器を洗う。ガチャガチャと音を立て、洗剤のついたスポンジでボウルを擦り、またため息をついた。
なぜあの人はこうなってしまったのだろう。私のせいなのだろうか。考える度にまた、胸がギュッと何かに押さえつけられる。
「お前は消えろ」と言う夢の中の言葉が頭から離れない。こうも耳につくのは気色が悪い。
午後2時07分。
バスに乗り、「石神井公園前」でバスを降りた。身体が火照る上に、長引く酷暑は日傘だけでは暑さをしのげない。額から滴る汗を拭きながら横断歩道を渡り、駅前のビルに入る。
4階の(こどもピアノ教室 三田楽器)のドアを開けると、冷房の風で今度はすぐに身体が冷えた。
「おはようございます。」
入ると事務スタッフの永沢さんが、見慣れない男の子に、何か説明している。
「田島先生、今日から新しくピアノ講師として小学生のクラスを担当して頂く、先崎さんです。」
キンキン響く甲高い声で永沢さんが、紹介してくれる。
白いTシャツに、黒のジーンズを履いた、背の高いボサボサ頭のその子は「先崎浩一です。よろしくお願いします。」と、おじぎした。
「音楽科の大学生なんです。夏休みの体験教室から入学された子供達担当されます。」
永沢さんはそう言い名簿をパラパラとめくる。香水の香りがツンと鼻についた。
「田島先生とは、月曜日と、水曜日一緒になりますね。先生よろしくお願いしますね。」
「初めまして。田島好子と申します。よろしくお願いします。」
2014年9月1日
彼との出会いが、私の人生を全く違うものに変えた。