7.フィリップ本人として
リリーとのデートで何もできなかった僕は、心の中に突然現れたもう一人の人格、アリスに全てを委ね、ふて寝をしてしまった。好きな相手一人満足に喜ばせられない自分が情けなくて、居た堪れなくなったのだ。
次に僕が起きると、もうデートは終わっていた。デートの結果をアリスに聞いてもなぜかあまり詳細には教えてもらえず、なんだか素っ気ない態度を取られた。僕はとうとう、アリスにも見放されてしまったのかもしれない。
そして、休み明けに学校に行くと、アリスからある指示を言い渡された。
(フィリップ、昼休みにリリーに会いに生徒会室に行きなさい。今日はもう寝るから、私に頼らないでね)
そう言われた後、アリスは寝てしまったのか一言も話さなくなってしまった。今までは僕を一人にしないように手厚くフォローしてくれていたのに、突き放された気分だった。
しかし、アリスの指示を無視するわけにもいかず、僕は言われた通り昼休みに生徒会室へ向かった。部屋の扉が少し開いており、誰かの声が漏れ聞こえてくる。
「リリー。本当に兄さんと結婚するつもりなのかい?」
声の主は弟のヴィンセントだった。会話の内容に、全身が凍りついたような感覚に陥る。怖くてこれ以上聞きたくなかったが、その場から離れることもできなかった。
「僕じゃだめだろうか。兄さんのように、君を悲しませるなんてことは絶対にしない」
この状況に、僕の心臓は今までにないほど早鐘を打っていた。
リリーは今、どんな表情をしているだろうか。想いを寄せている相手に言い寄られ、頬を赤らめているだろうか。
僕は、ふいにこの前のデートで見た彼女の微笑を思い出し、ヴィンセントへの激しい嫉妬と自分への強い不甲斐なさに苛まれた。
そして、ヴィンセントの言葉は続く。
「リリー。兄さんとの婚約を破棄して、僕と結婚してくれないか?」
その言葉を聞いて、僕は体が燃えるように熱くなるのを感じた。そして、気づけば生徒会室の扉を勢いよく開けていた。
「待ってくれ、リリー! 僕は君を……君を愛している!!」
勢いに任せてそう言い放つと、リリーは今にも泣きそうな顔でこちらを見ていた。
これはもう、手遅れかもしれない。リリーとヴィンセントは既に良い感じになっているとアリスが言っていた。でも、伝えずに後悔することだけはしたくなかった。
僕はリリーの前に跪き、彼女の手を取った。
「こんな、情けない僕だけど……これから君に認めてもらえるよう一生懸命努力すると誓う。君を悲しませるような真似は二度としない。だから……だから、僕と結婚して欲しい」
その言葉を聞いたリリーは、とうとうその大きな瞳から涙をこぼした。
やはり、もう手遅れだったか――。
そう思った時、リリーから予想外の言葉が返ってきた。
「はい、殿下。わたくしはあなたと結婚いたします」
そう言ったリリーは涙をこぼしながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。
「……え?」
何が起きたのかすぐには理解できず、僕はずいぶんと間抜けな声を出してしまった。
「おめでとう。兄さん、リリー」
リリーの隣にいたヴィンセントは、笑顔で拍手を送ってくる始末だ。
(いやあ、おめでとう! フィリップ!!)
脳内からも祝福の声が聞こえてきて、もう何が何だかわからない。というか、アリスは寝ていたのではないのか!?
「何が、どうなって……?」
間抜けな顔をしているという自覚はあるが、開いた口が塞がらなかった。僕はリリーにフラれる流れじゃなかったのか?
(ここからは、私が説明するわね!)
脳内にイキイキとした相棒の声が聞こえてくると、事の顛末について説明を始めてくれた。
***
時は遡り、デートの日。フィリップがふて寝をした後の話だ。
夕日の見えるベンチで、私はリリーと話をした。正体がバレた私は、正直に全てを打ち明けることにしたのだ。
「私はアリスと言います。あなたを騙すような真似をしてごめんなさい。フィリップがあなたに婚約破棄を言い渡した日に、どうやら私の精神がフィリップの体に入り込んでしまったみたいで……」
「なるほど……不思議なこともあるものですね。でも、道理で殿下の様子がおかしいと思いました。打ち明けてくださって、ありがとうございます」
私の告白に、リリーは苦笑しながら許してくれた。もっと非難されてもおかしくないのに、とても優しい子だ。それに、普通なら起こり得ないおかしな状況なのに、柔軟に受け入れてくれたことがありがたい。
「私は前世の世界で、あなたたちの未来を知ったの。それで……フィリップがあなたと婚約破棄してしまうと破滅の道を歩んでしまうから、それを阻止しようと画策していたの。ごめんなさい」
「そうでしたの……」
リリーは驚いたように目を見開いていた。彼女としては、あの場で婚約破棄された方が好きな相手と結婚できて良かったのかもしれない。そう思うと、とても申し訳ない気がした。