4.試験勉強は得意分野なので
次に私が意識を取り戻すと、どうやら午後の授業中のようだった。随分と眠ってしまったみたいだ。私はフィリップと体の主導権を交代すべく、脳内に向けて起床の挨拶をした。
(おはよう、フィリップ……急に寝ちゃってごめんね。大丈夫だった?)
すると脳内から、いつになく神妙な声が聞こえてきた。
(なあ、アリスよ……一つ報告があってだな……)
フィリップは発言に迷っているかのように、モゴモゴと言い淀んでいる。何だかとてつもなく嫌な予感がする。私がいない間に何かやらかしたのだろうか。
(何? 改まって)
(その……あれだ……ヴィンセントとの勝負のことなんだが……次の期末テストの総合点で勝負することになった……)
「なんでそんな勝負挑んじゃったのよ! 相手は学内一位の秀才なのよ!?」
ガタッと席から立ち上がりながら大声で叫ぶフィリップに、教師生徒全員の視線が一斉に向けられた。
しまった。また声に出してしまっていた。
「すみません。授業を続けてください……」
恥ずかしさのあまり消え入りそうな声で謝罪すると、クスクスという少しの笑い声のあと、なんとか授業が再開された。
私は改めて、フィリップに責めるような声を向ける。
(……で? なんでそんな無謀な勝負をすることになったのよ?)
(仕方ないだろう!? その場の勢いだ!)
(考えなしに行動するな、バカ!)
(王子に向かって、バカとはなんだバカとは!)
(バカにバカって言って何が悪いのよ!)
まるで小学生の喧嘩のような言い合いの後、私は大きく溜息をついた。兄と違って優秀な弟ヴィンセントは、この学校に入って一度だって学年一位の座を譲ったことがない。何がどう転べばそんな相手にテストで勝負を挑むことになるのか、私にはさっぱりわからなかった。
するとフィリップが、真剣な声で話しかけてくる。
(アリス、僕は勉強はからきしだ)
(知ってるわよそんな事!)
(だからその……今回は僕も勉強をがんばってみたいんだ)
真面目なことを真面目な声で言うフィリップを、私は少し見直してしまった。きっかけがあれば、頑張れる子なのかもしれない。
(へえ、偉いじゃない! それで、試験はいつなの?)
(二週間後だ)
(二週間で学年一位に勝てるわけないでしょうが!!)
また声に出して叫びそうになったが、なんとかぐっと堪えて脳内だけに響かせる。せっかく少し見直したのに、こいつは勉強を舐め過ぎだ。
私は何度目かわからない溜息をつき、諦めたように言った。
(わかった。もう私が勉強してなんとかする)
(いや、しかし……こういうのは自分でやらないとだな……)
そう思うなら小さい頃からもっと頑張っておけばよかったのに、という率直な言葉を、私はなんとか飲み込んだ。せっかくやる気になっている人間に正論をぶつけるのは悪手だ。
(やる気になるのは良いことだけど、流石に二週間では間に合わないから、次から頑張りましょう。今回は私に任せて。こう見えて私、賢いのよ)
(そ、そうか……本当にすまない……)
(もう慣れたわ。その代わり、次のテストは自力で頑張りなさい)
勝負の対象の教科は、国語、数学、歴史、自然学、大陸語の五科目。自然学は化学と物理が合わさったような教科で、大陸語はこの国がある大陸の共通語のようだった。
国語と数学、自然学は元いた世界の知識でなんとかなるとして、問題は歴史と大陸語だ。その二科目に関してはベースの知識が一切ないため、小学校レベルの知識から習得していく必要があった。フィリップとは一つの体を共にしているが、残念ながら知識や記憶までは共有されないようだった。
その日から私は、睡眠時間を可能な限り削り、試験勉強に全力を尽くした。脳のためには本当は睡眠は削らないほうが良いのだが、時間がないので仕方がない。
死物狂いで勉強するフィリップに、リリーやヴィンセントだけでなく、王城の人間たちも大いに驚いていた。天変地異の前触れかと言う者もいたくらいだ。どれだけ普段勉強してなかったんだ、このポンコツ王子は。私はこの試験が終わったら、今回身につけた知識をフィリップに叩き込んでやろうと誓った。
そんなこんなで試験当日。私は全力を出し切った。正直九割は取れたと思うが、問題はヴィンセントに勝てるかどうかだ。
後日、廊下に張り出された順位表を確認しに行くと、人だかりの中にリリーとヴィンセントもいた。皆自分の順位を見て騒いでいるだけにしては、妙に驚き混じりな気がする。これはもしかして、もしかするかもしれない。
人垣をかき分け順位表の前までたどり着くと、私は一番上に書いてある名前を真っ先に確認した。
(一位は…………ヴィンセント、か……)
探した名前ではなかったことに、私は膝から崩れ落ちそうになった。ヴィンセントのすぐ下にフィリップの名前を確認すると、私は脳内に向かって謝罪した。
(ごめん、フィリップ。偉そうなこと言っておきながら、勝てなかった)
(いや、君に頼りきりですまなかった。本来なら僕自身が努力しなければならないところを……)
脳内で謝罪大会が開かれているところに、話しかけてくる人物がいた。聞き馴染みのある、凛とした声だった。
「フィリップ殿下」
「リリー……」
リリーは無表情に近く、感情が読み取れない。意気消沈の私とフィリップはリリーに合わせる顔がなく、俯きながら謝罪する。
「すまない、かっこいいところを見せたかったんだが……」
「よく頑張りましたね、殿下」
「え……?」
リリーの言葉に思わず顔を上げると、彼女はわずかに微笑んでいた。
「あの勉強嫌いの殿下が、まさか学年二位の成績を修められるなんて、正直思っておりませんでした。しかも、数学は学年一位です。見直しましたよ、殿下」
そう言って美しい少女がこちらを見て微笑んでいる。女の私でも見惚れてしまうほど、絵になる人だ。
すると突然、私の意に反して両手が動いたかと思うと、そのままリリーの両手を握った。体の主導権は私にあったはずだが、どうやらフィリップの強い思いが体を動かしたようだ。そして、フィリップ自身が言葉を放った。
「リリー! 僕はこれから一生懸命勉強を頑張るよ! 君に釣り合う男になる!」
「殿下……。はい、共に頑張りましょう」
婚約者に突然手を握られたリリーは、驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな瞳でフィリップを見つめ、言葉を返した。
リリーのその表情を見て、私は興奮気味にフィリップに話しかける。
(これは、好感度上がったのでは!? よくやった、フィリップ!)
(ありがとう、アリス! 全て君のおかげだ! これからは僕が自分で勉強を頑張るよ!!)
二人して脳内で成功を称え合っていると、ヴィンセントが声をかけてきた。
「兄さん。まさか学年二位になるなんて、正直驚いたよ。僕もうかうかしてられないな。でも、勝負は勝負。結果は僕の勝ちだ」
少し誇らしげに言うヴィンセントは、微笑を浮かべている。しかし、この表情と言葉だけでは、彼の真意を測りかねた。
(こ、これはどういう意味……? リリーは俺のだ、的な……?)
私は思わず脳内で独り言を呟いてしまっていた。それを聞いてフィリップは焦ってしまったのか、私の意に反してまた口を開いた。
「リリー。こ、今度の休みに、僕と、でっ、デートしてくれないか!?」
フィリップからの突然の誘いに、リリーは心底驚いたように目を丸くした。
これはフィリップを焦らせてしまった私が完全に悪いのだが、それにしても考えるより先に行動する癖をなんとかして欲しい。
(フィリップ……こんな公衆の面前でデートに誘うなバカ……!)
(仕方ないだろう!? リリーをヴィンセントに取られるわけにはいかないんだから……!)
私とフィリップはヒヤヒヤした気持ちでリリーの返事を待った。他の生徒たちも固唾を飲んで二人の行く末を見守っている。
「は、はい……」
リリーは少し俯きながら、デートの誘いを承諾してくれた。そして、行く末を見守っていた生徒たちから盛大な拍手が上がると、リリーの頬が赤く染まっていった。
こうして私とフィリップは、リリーとのデートの約束にこぎつけたのだった。




