2.婚約破棄を撤回しても?
このアホっぽい話し方には覚えがある。フィリップ王子本人だ。はて、私はフィリップに転生したのではないのだろうか。
思考が追いつかないでいると、またもやうるさい声が脳内に響いた。
(急に意識が遠くなったと思ったら、いつの間にかお前に体を操られていたんだ! お前はいったい誰なんだ!)
…………なるほど。一つの体に二つの人格が入ってしまったってことか……。これは所謂、二重人格というやつね。
ポンコツ王子の声が四六時中頭に流れるなんて、ノイローゼになりそうだ。普通の転生よりよほど厄介かもしれない。普通の転生ってなんだという話だが。
私はこのうるさい声を黙らせる方法がないか考えた後、一つ妙案を思いつき、厳かな声で脳内に語りかけてみた。
(私は、あなたの未来を知っている。神だとでも思ってくれれば良い)
(神だと!? そんなの信じられるわけないだろう!?)
(では、あなたしか知らないことを当ててあげよう。フィリップ、あなたは毎朝セシリアの写真を眺めてはニヤニヤしているだろう)
(な……!? お前、さては僕のストーカーか!? いいから僕の体を返せ!!)
残念ながら、フィリップはすぐには騙されてくれなかったようだ。セシリアには騙されたくせに、こういう時だけ鋭いんだから。
私が脳内フィリップとやり取りしていると、傍から見たら沈黙しているように見えるフィリップに、セシリアは非難の声を浴びせた。
「殿下! 話が違うじゃありませんの!! 私と婚約してくださるのではなかったのですか!?」
(セシリア! 待っててくれ! 今このストーカーから体を取り戻すから!!)
脳内に響く耳障りな声に、私は思わず大声を上げていた。
「もう、うるさいな! いいからちょっと黙ってて!」
フィリップから突然放たれた大声に、セシリアは呆然とした様子で立ち尽くしている。
脳内フィリップに言うつもりだったが、セシリアに言ったような感じになったからまあ良しとしよう。リリーに向けた言葉みたいにならなくてよかった。
すると、弟のヴィンセントが話を進めようと口を開いた。流石は兄と違って優秀な弟くんだ。
「兄さん。ノエル伯爵家の悪事とは一体何なんだ?」
「ノエル伯爵家は、違法薬物の製造と密輸に関わっている。伯爵領の南東に広がる畑では、すべて薬物の原料となる植物が育てられているんだ。伯爵家はそれを他国に密輸し、不正に利益を得ている」
これは全て小説に書かれていた情報だ。フィリップはリリーと婚約破棄してセシリアと恋仲になった直後、ノエル伯爵家の不祥事が明らかとなり、フィリップは国王から廃嫡を言い渡されてしまうのだ。
「そして、セシリアは次期王妃の座を狙うために僕に近づき、リリーに無実の罪を着せ貶めようとした。リリーがセシリアを虐めていたというのも、セシリアの自作自演だ」
私がそう言葉にした時、先程までうるさかった脳内フィリップが、ショックを受けたようにポツリと言葉をこぼした。
(なんだと……? 僕は、騙されていたのか……?)
(そうよ。セシリアはあなたに取り入って王妃の座が欲しかっただけ。リリーと婚約破棄していたら、あんたは王位継承権剥奪。ヴィンセントに王位もリリーも奪われてたんだからね)
(そんな……)
相当ショックだったのか、脳内フィリップはそれ以上言葉を発さなくなってしまった。まあいい、静かになって好都合だ。このまま話を進めよう。
私は厳格な雰囲気を出しつつ、セシリアに向けて言葉を放った。
「ノエル伯爵家の悪事はすぐに父上に報告し、厳正な処罰を下してもらう。セシリア、騙すような真似をして悪かった。しかし、君はリリーを不当に追い込もうとした。それは許されないことだ」
フィリップに言葉をかけられたセシリアは、顔を真っ青にしてカタカタと震えている。少し可哀想な気もするが、まあ、自業自得だ。
今はセシリアよりも重要な事がある。リリーとの婚約破棄の件だ。
恐らくリリーは、セシリアに夢中になっていたフィリップに愛想を尽かし、ヴィンセントに心が傾き始めているはずだ。今この場面で婚約破棄を回避できたとしても、いずれリリーがヴィンセントの元へ行ってしまう可能性は十分あり得るだろう。今回の件で下がり切った好感度を、少しでも良くしておく必要があるのだ。
リリーに再び振り向いてもらうべく、私は彼女に近づくと頭を下げて謝罪した。
「リリー、つらい思いをさせてすまなかった。さっきの婚約破棄の発言は、なかったことにしてくれないか?」
「事情はわかりましたが……せめて事前に一言あっても良かったのではなくて?」
「君を危険に晒したくなかったんだ。許してくれ、リリー」
「殿下……」
リリーはどうしたものかと、困ったように眉を下げている。すると、隣りにいたヴィンセントが険しい声でフィリップを責め立てた。
「兄さん。いくらノエル伯爵家の悪事を暴くためとは言え、これまでリリーがどれほど辛い思いをしたと思ってるんだ!」
ヴィンセントの怒りももっともだ。フィリップはそれほどにリリーを蔑ろにしていた。私は項垂れるようにシュンとした顔をし、リリーに再び謝罪する。
「それは本当に申し訳ないと思っている。リリー、僕に償いをするチャンスをくれないか? 僕にできることなら何だってやる」
すると、リリーはしばらくフィリップである私を見つめた後、小さく溜息をついた。
「……わたくしに殿下を責めることなど出来ませんわ。殿下は大義を果たされただけですもの。償いなど不要です」
「ありがとう、リリー!」
リリーの寛大な許しに、私はバッと顔を上げるとそのまま彼女をぎゅっと抱きしめた。
「なっ!? 殿下!? 人前でそのようなこと……」
焦った声を上げるリリーを離すと、今日ずっと険しかった顔が可愛らしく赤らんでいた。なるほど、リリーは押しに弱い、と。
一方、ヴィンセントは驚いたような顔でこちらを見ていた。おそらくヴィンセントもリリーに好意を持っているのだろうが、このままリリーを取られるわけにもいかない。
(よし、一旦は婚約破棄回避! ここからリリーの好感度を上げてくわよ!!)
私は自分の異世界生活を明るいものにするため、そうして自分に気合を入れるのだった。