第七話 赤い軍服と白い軍服
この回以降、度々残酷と思われる描写が出てきます。
その事を含み於いてお読みください。
周到な準備を経て戦地に秘密裏に配属された四国のタヌキたち。
ある者は兵糧の米に化け、ある者は小豆に化け到着した。
米に化けたタヌキたちは香川県の丈吉郎タヌキ中心とする一派であり、歩兵第12連隊(香川県)に所属、一般の人間の日本兵と区別するため、白の軍服を着用とした。
また小豆に化けたタヌキたちは、愛媛県の五右衛門タヌキ一派が中心である。
もちろんその中に権蔵タヌキも含まれ、歩兵第22連隊(愛媛県)に(もちろん秘密裏に)編入された。
彼らも一般の人間たちの正規軍着用である黒の制服と区別するため、赤い軍服を身にまとう。
しかもこの赤い軍服の背中には○印に漢数字の『五』が記され、白い軍団との違いを見せている。
歩兵第12連隊、歩兵第22連隊共に四国出身者を中心に構成され、その二つの連隊は第11師団に属し、その師団は(日露戦争を期に)乃木希典大将率いる第三軍に編入されている。そこに四国中の成人男子が多数志願し、戦地へと送られたのだ。
ただ紅白どちらの軍服を着用していようとも秘密の存在である以上、友軍の日本兵たちには見えないよう幻術で身を隠していた。(それじゃ軍服の色が赤であれ白であれ、識別の意味が無いだろ?って当のタヌキの兵隊さんたちは思った。しかし指揮官の丈吉郎タヌキと五右衛門タヌキの見栄とプライドが深く関係していたとは誰も知らない。)
そして歩兵第12連隊も22連隊も、到着早々現場で苦戦する日本兵の悲惨な状況を目撃する。
遼東半島旅順攻囲戦
1904年8月、ロシア軍との激しい攻防戦が始まり、第三軍が死闘の中とりわけ第11師団に多くの犠牲者が出ている。
日本の連合艦隊は先の海戦でロシア極東艦隊を破っている。
しかし、敗走した極東艦隊が旅順港に逃げ込み、それ以上 手を出せないでいた。
何故なら追い打ちをかけようにも、旅順港は鉄壁の要塞に三方を囲まれ、下手に近づくと丘の要塞から狙い撃ちの砲撃を喰らうから。
だが地球の反対の港であるバルト海から新たに編成した第二、第三艦隊(バルチック艦隊)を増援に向かわせてきている。
旅順港に閉じ込められている第一太平洋艦隊(極東艦隊)に加え、バルチック艦隊が到着すれば、数で日本の連合艦隊に勝ち目はない。
だから到着する前に旅順港に閉じ込めた極東艦隊を殲滅しなければならない、時間との闘いでもある。
故に遼東半島を背後から攻めたて、旅順要塞を占領しなければ日本の勝利はない。
その攻防戦を担当しているのが第三軍である。
勇猛果敢に攻めたてるが応戦するロシア軍の方が兵士の数が多く、しかも機関銃など近代兵器を多数装備。
しかも高地を下から攻め上がるより、地の利を確保し守る方が有利なのは攻防戦の常識。
当然なす術もなく日本軍に不利な状況で死者・負傷者の山を築いた。
まさにそんな時にタヌキ部隊が増援として、第11師団の歩兵第12連隊・22連隊に編入されたのだ。
タヌキ部隊は到着早々、凄惨な現場を目撃する。
眼前に広がるその光景は、激戦の地に累々と横たわる日本兵の死者と負傷者たち。
それをロシア兵士たちが一体一体確認しながら、銃剣で止めを刺している。
なす術もなく双眼鏡で傍観するしかないその状況に、誰もが震えていた。
恐ろしいからではない。怒りと無力さからである。
タヌキたちは見た。
止めを刺しているロシア兵たちの血に飢えたケダモノのような眼を。
明らかに彼らは喜びながらやっている。その残酷さは異常とも言えた。
どうして彼らは平気でそんな事が出来るのか?
目撃する者全てに憎しみが広がる。
必ず報復し、敵をとってやるぞ!
そんな感情に支配された。
いや、でも待て!冷静になれ!
確かに彼らロシア兵は冷酷で残酷で、おおよそ人間の所業とも思えないケダモノ以下の行為を喜々としてやっている。
しかしそれは、戦争と云う異常な状況で、正常な判断が麻痺した精神状態にいるから故の暴挙なのではないのか?
確かにロシア人は歴史上、数々の戦争で残虐行為を続けてきた。
畜生にも劣る(タヌキたちに失礼な表現でした、ごめんなさい)彼らだが、怒りに任せて自分たちも同様の行為をしても良いのか?
それは自らを彼らと同じ、餓鬼や畜生に貶める愚行ではないのか?
自分達の使命を忘れてはならない。
国を守り、自分たちの仲間や家族を守り、恩あるお里の若者たちに報いるためではないのか?
それを忘れてはならない。
自分を貶めてはならない。
深呼吸をしながらでも何としてもこの怒りを鎮め、冷静にならなければ!
それに私たちタヌキは、これが戦争だからと云って人間を殺して良いのか?
そんな事が許されるのか?いや、絶対にしてはいけない。自分たちはタヌキとしての領分を守らねば、その後の歯止めが利かないから。
タヌキは人間の敵であってはならない。
それは人間と平和共存するタヌキたちの掟であり、生息の絶対条件なのだから。
彼らは奮い立った。
そして動いた。
赤い軍服と白い軍服が、それぞれ反対方向から姿を消しながら、累々と重なる日本兵の死者たちに近づく。
そして横たわる死者が携えていた銃を抱え上げ、一斉に姿を現し敵に向かい一歩一歩ゆっくりと進軍する。
その姿はこの世の者とも思えぬ不気味さを備え、目撃した露軍兵士達に戦慄が走った。
突如現れた無数の日本兵。眼前には赤い軍服の兵士の一軍、向こうは白い兵士たち。
「!! いきなり何処から現れた?」
守るロシア兵たちは当然のことながら一斉に迎え撃つ。
しかしいくら打っても当たらない。
黒い軍服を着た正規の日本兵たちは、命中する時確かに手ごたえがある。しかし赤の軍服を着た兵士と、白い軍服の兵士には全く当たらないのだ!
命中しそうになると、閃光と共に眩暈がして弾が消滅する。
「これはどうした事だ?全く当たらないぞ!」
次第に焦りを感じ出し、狂ったように遮二無二銃を乱射した。だが必至の応戦が全く効果を見せないまま、今度は白い日本兵と赤い日本兵が銃を撃つ。
すると彼らの撃つ弾は百発百中で、次々にロシア兵が倒れた。
但し、どれも致命傷にはならず、弾が命中した兵は戦闘不能の状態に陥っていた。
追い詰められ狂気のどん底に突き落とされる露軍兵士。
タヌキの紅白軍服隊は露軍の残虐行為の暴挙に対する報復の意図はないが、キツいお灸は必要だろうと恐怖の演出の手を抜かない。徹底的に攻め立てる。
次第にロシア側の抵抗が弱まり、後から後から投入された黒い軍服の日本軍正規兵がジワリジワリと接近し、とうとう敵の陣を占領する事に成功した。
そうした攻防戦が二度三度続き、ついに203高地が陥落、旅順港に逃げ込んでいた極東艦隊をほぼ殲滅する事となる。
後日談ではあるが、その時のロシア兵たちの生き残りは、四国松山などの収容所に捕虜として収容された。
その彼らは口々に聞いてきたという。
「あの白い軍服を着た無敵の兵隊は何者か?」と。
またその後の奉天会戦の敗軍の将、アレクセイ・プロパトキンも「あの赤い軍服の兵士は何者?」と同様の質問をした。
だが、日本の軍服には当時白い軍服も赤い軍服も採用されていない。
存在しない筈の兵隊を問い合わせてくるなんて、どうかしている。と訝るばかりだった。
因みに赤い軍服を着たタヌキたちには不満があった。
だって、背中に丸に五の文字が入った制服なんてダサくない?
いくらリーダーの五右衛門の印であるとしても・・・。やっぱり恥ずかしいだろ?
背中に五の字のマークを背負った権蔵タヌキは、ブツブツと不満を漏らしていた。
自分はカッコいいタヌキだと思っていたから。
捕虜のロシア兵たちだが、驚いたことに彼らの大半が字が読めない。
当たり前ではあるが、全てのロシア兵が読めないのではない。
下士官以上の階級の兵士は当然学校教育を受け、読み書き、計算はできる。
しかし一般の兵は自分の名さえ書けないのだ。
つまり作戦遂行上、彼らは命令書を読んで復命もできず、ただ上官の云う事に従うのみであった。
そんな状態だから、彼らの階級による服従関係は、一般的な軍隊の階級による指揮命令系統と云うより、主人と奴隷の関係に近かった。
それを知った今なら納得できるが、彼ら下っ端の兵隊が異様な目つきで残虐行為を続けていたのは、ただのケダモノだったからと云うだけではなく、理不尽に虐げられてきた日頃のうっ憤を晴らすためでもあったのだ。
戦争という異常事態が有無を言わさず貧しい農民たちを徴兵し、日常的に訳もなく虐げてきた。
彼らも可哀想な犠牲者だった。
つづく