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第15話 アッツ島の死闘(2)

この回も激しい戦闘シーンの描写があります。


中には残酷と思われる場面もありますので、ご注意ください。

 思いの他頑強に抵抗する日本軍。

 もちろん日本側守備隊は何もせず、ただ漫然と敵の襲来を待っていた訳ではない。


 第二地区隊隊長山崎保代大佐の指揮のもと、大規模な防衛陣地を構築していた。

 アリューシャン列島は緯度が高く、四月・五月は春とは言えまだ雪が多く残る。

 所々《ところどころ》野花なども咲いていたが、日本人にとっては極寒に感じ、寒さが堪える。

 そんな悪条件の中、無数の塹壕やトンネルを掘り、待ち構えていたのだ。

 そしてイザアメリカ軍が上陸してきた時、その塹壕の中を守備兵が自由に往来、機関銃などでアメリカ兵を狙撃・掃射し、その結果想定以上の損害を与える。


 日本軍の待ち伏せなどを受け、想像以上の苦戦にあわてたブラウン第7師団長。

 当初アッツ島は3日で制圧できると踏んでいた。


 アーネスト・キング海軍作戦部長の「戦艦を動員し、ジャップを吹き飛ばしたらどうか?」との提案を受け、停泊中の艦隊からアッツ島に激烈な艦砲射撃を浴びせる。

 当初の事前偵察でアッツ島守備隊は僅か500名のみである(実際は2650)と考え、上陸は一個師団(第7歩兵師団)で十分足りると想定していた。

 だが戦艦からの艦砲射撃は濃霧で標的の視認が出来ず効果が無かったこと、日本側守備隊の数を見誤っていたこと、日本側守備隊には周到な塹壕戦の準備をしていた事などで、想定外な損害を出すに至り増援が必要と考え、アメリカ海軍北太平洋軍司令官トーマス・C・キンケイド少将に、アラスカで待機する第4歩兵連隊を投入するよう要請する。


 だがキンケイドは「ヤダね」と拒否。(ホントにこう言ったかは不明)


 ブラウン師団長は海軍に不満を抱く。

「海軍は何も分かっていない。アイツらは馬鹿みたいに砲弾をぶち込むだけぶち込み、さっさと引き揚げるつもりなんだ」と部下の前で公然とぶちまけた。

 一方アメリカ陸軍アラスカ防衛司令部は、逆にブラウン師団長を無能と判断する。

 海軍力を含め日本側の5倍以上の戦力を投入しておきながら、更に増援を要求するブラウンの指揮能力に疑問を抱いたから。

 こんなことでは3日間での攻略はおろか、短期攻略など全く覚束おぼつかないではないか。

 実際三日目にしてこの体たらく。

 こうしてブラウンはこの日、上陸から僅か3日目(16日)にして師団長を更迭された。

 新しい指揮官はユージーン・ランドラム少将に交代、作戦が根底から見直される。


 それを期に戦いの潮目は変わり、次第に戦況がアメリカ側に有利に傾いてきた。


 5月15日未明、舌形台に立て籠る北千島要塞歩兵隊と船舶工兵隊が芝台奪還を目指し、百数十名の兵士で夜襲を敢行。

 タヌキ部隊の幽玄の術の援護を受けた日本兵が寝込みを襲い、アメリカ兵は一時大混乱する。

「敵襲!敵襲!オイ1起きろ!敵襲だ!」

「寝ぼけてんじゃねぇ!死にたいか?さっさと銃を持て!ボケナス!!」


 しかしそこから体制を持ち直したアメリカ。


 白兵戦に持ち込まれると体格と腕力に勝るアメリカ兵が優勢になり、力の競り合いでは日本兵は全く勝てず、銃剣突撃をしても逆に組み敷かれてしまう。

 やはり妖術や幻術では、一対一の白兵戦には通用しないのか?

 更にアメリカ兵は優勢な火力に物を言わせ反撃、斬込夜襲隊は全身を蜂の巣にされ120名の犠牲を出し撃退された。


 夜が明けアメリカ側は、仕返しとばかり戦艦3隻で徹底した艦砲射撃を敢行する。

 その様子は凄まじく、戦艦「ネバダ」から14インチ砲で砲撃する度、日本兵の死骸や手や足が霧の中から転がってきた。

 

 彼らの日本人に対する敵愾心てきがいしんは何かに取り憑かれたような憎しみの塊りである。

 雪江タヌキたちの幻の術を跳ね返すほど強力であった。

 

 16日、アメリカ軍はこれを期に部隊を前進させ、北海湾西浦地区にまで進撃する。艦砲射撃による大損害を受け迎撃できない状況に追い込まれた山崎隊長は、北海湾を放棄し熱田湾まで後退、持久抗戦に作戦転換した。


 この決意を受け、山崎隊長は舌形台まで決死の移動を試みた。そこに踏み留まる指揮官米川浩(中佐)に撤退するよう説得するために。

 ようやく何とかたどり着くと、状況を伝え撤退命令を発した。

 だがこれは米川中佐にとって耐えがたい命令である。

 何故なら北海湾方面部隊担当地域にはアッツ島最重要施設の飛行場(建設中)があり、多数の軍需物資を貯蔵していたから。

 そんな重要拠点を今まで多くの犠牲を出しながら死守してきたのに、ここにきての撤退は身を切る想いである。

「我らはどうしても撤退せねばいけませんか?どうしてもこの場を死守したいのですが?」

 しかし山崎隊長は「もうすぐ援軍が来る。援軍さえ着けば反撃を開始する事になるからから、それまでは何としても持ち堪えなければいけない。だから、な?」と説得を続ける。

「くぅ~!」唇から血が滲むほど噛み締め、両腕から先が小刻みに震えている。

 そして項垂れるように頷き米川中佐からようやく了承を取り付けた。


 実はこの時点で山崎隊長は、北方軍司令部に補給と増援要請を行っている。

 だがその要請が受理され、実行されることは無かった。

 後述するが、何故ならこの時、北方軍司令官樋口季一郎陸軍中将は、山崎隊長の守備隊がアメリカ軍の侵攻を食い止めている間に第7師団を振り向け、アッツ島逆上陸作戦の計画を決定していた。あくまで守備隊を援護し、アッツ島を死守するために。

 しかし大本営の出した結論は全く違い、非情なものだった。

 戦争全体を俯瞰してみた時、南方戦線方面が苦戦を強いられている状況で、戦力に余裕のない大本営はその作戦計画を却下、断念せざるを得なかったから。


 それだけならまだしも、後に大本営は「アッツ島守備隊山崎大佐は、1兵の増援も物資補給の要請も全く行わず、死を目前に敵の装備などを詳細に報告した帝国軍人の鏡」など、事実に反して勇猛果敢な美談に仕立てている。



 そんな状況下、司令部の動きも意思も知らされていないまま、戦闘現場であるアッツ島旭湾を守備しアメリカ軍主力を足止めしてきた林中隊は、アメリカ軍の戦車5輌とカノン砲5門の攻撃を受け、荒井峠の1個小隊が全滅。


 そうした厳しい状況にありながらも虎山に立て籠る林中隊主力は、実質的な戦力が僅か1個小隊程度でありながら激烈な死闘を制し、アメリカ軍2個中隊を撃退した。

 その時アメリカ軍側の戦死者は300を下らない。

 しかしさしもの林中隊も1週間以上アメリカ軍主力を旭湾近辺に足止めしていたが、21日に虎山を突破され、22日アメリカ軍主力の北上を許し、力尽きた。


 林は山崎から旭湾地区警備隊長の任を解かれ後退を許される。

 そして獅子山東側陣地の防衛を新たに命じられた。乏しい火器(わずか2門の四一式山砲)しか持たない林中隊はようやく陣地にたどり着く。

 まもなくアメリカ軍の大部隊が追撃、それまでアメリカ軍を翻弄し続けてきた林であったが、集中砲火を浴びてついに林は腹部に砲弾の破片を受け、腸が露出するほどの重傷を負う。

「衛生兵!こっちだ!」側近の部下が叫ぶ。

 瀕死の林中隊長。

 激しい痛みに気を失いそうになる。

 だが林は衛生兵に包帯を腹に何重にも巻かせ、雪原に横たわりながら気丈にも部隊指揮を続け、アメリカ軍を足止めした。

 だが奮闘空しく、山崎隊長から撤退命令を受けた直後、迫撃砲弾の直撃を受け爆死。

 残存兵は断腸の想いで熱田湾に向かって撤退した。


 20日、大本営より「海軍と協同し西部アリューシャンの部隊を後方に撤収すること」との大命出る。

 大本営は北方軍に対しアッツ島への増援計画の中止を通告。

 更に翌21日、大本営参謀本部参謀次長秦彦三郎が札幌の北方軍司令部を訪ね、北方軍司令官樋口季一郎陸軍中将にアッツ島増援中止に至った事情を説明、北方軍司令部は大きな衝撃を受けた。


 23日、札幌の北方軍司令部よりアッツ島守備隊へ次のような電文を打つ。


「軍は海軍と協同し万策を尽くして人員の救出に務むるも、地区隊長以下凡百の手段を講して敵兵員の燼滅を図り、最後に至らは潔く玉砕し皇国軍人精神の精華を発揮するの覚悟あらんことを望む」

 電文にて事実上の「玉砕」命令が発せられた。

 

 その命令電文を受け、現地山崎部隊からは「国家永遠の生命を信じ、武士道に殉じる」と返電した。


 同23日、アッツ島にアメリカ軍が上陸後、初めて友軍である海軍航空機からの航空支援があった。

 それは第752航空隊所属一式陸上攻撃機19機である。

 上空に爆音を轟かせ飛来する航空機を見上げ、残存守備隊が翼の日の丸を確認すると、「友軍機だ!」「日の丸だぞ」と叫ぶ。

 アメリカ軍との死闘で追い詰められ、仲間を大量に失った日本側守備隊。

 ここにきての友軍機は希望の星に見えた。

 陸上攻撃機は湾内アメリカ軍の艦船を爆撃する。


 この光景を見た守備隊の士気は大いに上がる。だが自分たちが見捨てられているとは考えもしなかった。


 25日、前日(23日)に日本軍からの空襲を受けたアメリカ軍は報復に燃え、航空機での空襲や艦砲射撃を激化させる。その結果、海と空からの支援を受けたアメリカ地上部隊の進撃が加速した。


 そしてついに、熱田湾の司令部と旭湾方面に通じる道が、アメリカ軍に分断される。


このアメリカ軍の空襲や砲撃に守備隊のみならず、タヌキ部隊からも多数の犠牲者が出た。

 連日の戦闘に気力・体力を使い果たし、術の精度が落ちた者、全く使えなくなった者が大半となり、とうとう痛恨の死傷者を出してしまう。

 雪江タヌキも荷重に能力を消費し過ぎ、神通力の効力を失い日本軍守備隊への加護が不可能となる。

 それ程激烈な死闘だった。人を護るとは、かくも難儀なものなのか?

 生まれて初めて大きな挫折を味わう雪江タヌキ。

 以降、己の無力さに打ちひしがれる事となった。

 

 守備隊もタヌキ部隊も、いよいよ最後のときが近づいたことを認識する。

 そして雪江タヌキは以降、壮絶で悲惨な最後の目撃者になる屈辱と嘆きを味わう。



 26日、アメリカ軍は兵力を増強し猛攻するが、それを受け米川部隊が乏しい武器で応戦、アメリカ軍側に甚大な損害を与えた。

(アメリカ側のその戦闘で小隊44人の兵士のうち20人が戦死したとの記録が残っている。)


 だが日本側の損害も大きく、これまで常に最前線で戦い、部下将兵を鼓舞し続けてきた独立工兵第302中隊長小野金造大尉が重傷を負い拳銃で自決、指揮官の米川もここで戦死した。


 一方、旭湾方面から後退を続けた旭湾地区警備隊の残存部隊は、日本軍司令部のある熱田湾前の石山まで撤退した。

 山崎は増援を待ち望みながら毎日諦めることなく、「兵馬倥偬の間、過誤なきを期し難きも、死も目前に迫り、かつ通信また断絶のおそれをあるをもって、機を逸せず、取りあえず観察せる事項を報告す」と日本北部軍に報告し続ける。

 そして北方軍司令官からついに「玉砕」命令を受電。


 29日、山崎は最後の総攻撃を行うことを決意、残存の兵に熱田の本部前に集まるよう命令する。


 最後の突撃と聞きアッツ全島の各地から将兵が集まった。集結までに半日を要したが、最終的には300人が結集する。

 しかし、その多くが負傷をしており、中には片腕を失いフラフラしている者、小銃を杖替わりに歩く者が散見された。

 その現状を見て山崎は全体を3個中隊に編成。第1中隊は無傷で元気な兵、第2中隊は軽傷の兵、第3中隊は重傷者と軍属や非戦闘員とした。

 指揮官の山崎は第1中隊の先頭に立ち突撃を直卒する。


 この最終局面で以外にも皆ふっきれ、さわやかな表情であった。

「これで苦しかった戦いから解放される。ここを死に場所に最後の働きをしよう。」

 雪江タヌキは自分の無力さに涙し、目をそらさず彼らの最後を見届けようと決意した。

 20時、全員が日本本土に向かい最後の別れを告げる。


 山崎は訓示を始めた。集まった部下に

「部隊が全滅したことを指揮官として深く詫びる。そして我は武人として壮烈な戦死をとげることを望む。自分も諸君とともに死ねることは喜びであり、それでも奇跡が起きることを信じ、一丸となって敵軍に最大の打撃を与えよう。」

 山崎は訓示の後、最後の電報を東京の大本営宛てに打電し、無線を破壊した。

 動けなくなった負傷兵は自決するか、それもできない場合は軍医が殺害する事とした。

 何故負傷兵を殺害せねばならないのか?それは「戦陣訓」にある。

 それは兵全体に徹底された「生きて虜囚の辱めを受けず」。

 この掟に縛られ山崎も本来将兵の生命を護るべき軍医も同様で、自分の想いとは裏腹に従わざるを得ない。

 山崎は「兵ほど悲しく哀れなものはない、できることなら今すぐにでも代わってやりたい、それができない部隊長の気持ちを察してくれ」と泣きながら彼らに語った。

 そして15人の軍医は黙々と重傷者を拳銃もしくは注射で殺害していった。


 一方、第五艦隊江本弘海軍少佐、海軍省嘱託秋山嘉吉、沼田宏之陸軍大尉が戦況報告のため最後の突撃から外され、アッツ湾東岬に移動して潜水艦による回収を待つことに。


 この時タヌキ部隊はその半数が戦死、遺体と共に透明の術で身を隠していたが、ここに至り「もはやこれまで」と回収潜水艦に便乗、撤退する。

 雪江タヌキは残存決死隊と共に残り、最後の突撃を見届ける決意をした。


 いよいよ決戦の時。

 3個中隊が一斉に突撃すれば、たちまち殲滅される。

 ではどうする?まず山崎の健常者第1中隊が中央突破、軽傷者で編成された第2中隊は迂回して進撃、第3中隊は後続で合流する部隊と合流してから後続するようにと待機。

 そう作戦を立て、22時30分、立ち込める霧に乗じ突撃条件が満たされ、山崎は2個中隊を率いて進撃を開始。

 30日午前3時25分、アメリカ側第32歩兵連隊B中隊を発見、全軍突撃を命じる。

 丘を駆け上がり監視所を襲撃、大隊長以下11人を銃剣で殺害した。

 その後第1中隊はその後休息中の第17歩兵連隊第3大隊と接触、目の前のアメリカ兵を残らず刺殺した。 

 この時彼らは既に食料も尽き、空腹と疲労でまともに動けなかったはずだったが、突撃時どこにそんな余力を残していたか不思議に思えるぐらいの俊敏さであった。

 そうとは言え、体格と腕力に劣る第1中隊も残念ながら死傷者を出す。

 恐ろしい形相でこと切れた日本兵の死体と、アメリカ兵の死体が折り重なる惨状となった。


 その後進撃する第一中隊に工兵隊指揮官ジョージ・S・ビューラー大尉は

「なんという悪夢だろう。騒音と混乱と殺戮の狂気だ」と思わず口にする。


 それでも物凄い勢いで突撃する日本兵と激しい白兵戦を繰り広げた。 工兵隊が日本軍を足止めしている間、第7歩兵師団の副師団長アーチボルド・ヴィンセント・アーノルド准将が、工兵隊の丘の反対側で工兵、衛生兵、コック、司令部要員など戦える者総てをかき集め、急ごしらえの応戦部隊を構築し待ち構えた。

 工兵隊を突破して丘の頂点を駆け上がってきた日本軍に、応急部隊のアメリカ兵が自動小銃や手榴弾を手にして工兵隊の丘に駆け上がり、日本軍の殲滅行動に出る。


 アメリカ軍中隊の中隊長ハーバード・ロング中尉の証言。

「雪を踏みしめる異様な物音がゆっくり丘の下から聞こえてきた。霧が深く立ち込めている。

「気のせい?」いや、その音は微かだったが次第に確信に変わる。自分は自動小銃を持ち敵襲を警戒し待ち構えた。

 霧のせいで100m以上先は見えない。静かに不気味な気配が近づく。

「すわ!とうとう敵が来たか?」思い目を凝らして見ると、300〜400名が一団となって迫る。

 先頭に立っているのが山崎部隊長だろう。右手に日本刀、左手に日の丸を持ってフラフラと近づく。

 どの兵隊もどの兵隊も、ボロボロの服を着、青ざめた形相をしている。それはまるで幽霊?

 彼らは手に銃剣を持ち、銃のないものは短剣を握っている。

 最後の突撃というのに、皆それぞれどこかを負傷しているのだろう。足を引きずり、膝をするようにゆっくり近づいて来る。 

 わが一弾が命中したのか、先頭の部隊長がバッタリ倒れた。しばらくするとむっくり起きあがり、また倒れる。また起きあがり一尺、一寸と、はうように米軍に迫ってくる。

 一弾が部隊長の左腕を貫き、だらりとぶら下がりる。左手が使えなくなると、右手に国旗を持ち替え、刀と共に握りしめた。


 何故だ!彼らは倒しても倒しても生き返り起き上がる怪物?それとも幽霊?


 そこに広がる光景は、まるで身の毛のよだつ怪談のようだ。

 あの日本兵たちはこの世の者とは思えない。やはり化け物か? 

私は言いようの無い恐怖から、思わず拡声器を口に当て「降伏しろ!、降伏だ!」と夢中で叫んだ。

(これ以上近づくな!来るな!来るな!!)

 そんな心の叫びに日本兵は耳をかそうともしない。遂に我らは号令一下、集中砲火を浴びせた。

 必要以上に、執拗に・・・・。」



 驚いたことに山崎は此処に至る最後まで生存し、陣頭で指揮を執っていた。

 気迫だけでここまで部下をまとめ、最後まで鬼気迫る指揮官であった。


 そして加えて言うが、この異様な山崎部隊の姿は、雪江タヌキの能力による仕業でも演出でもない。

 この時の彼女には、もうそこまでの力は残されていないから。自分の身を隠すのが精一杯だった。


 一方その間に別ルートを辿った日本軍の第二部隊は、アメリカ軍総司令部の背後まで達し、司令部で偶然取材中だったアメリカ従軍記者に遭遇する。

 彼は目前に迫る日本兵に切迫した危機的状況に追い込まれ、「もうダメか」と覚悟した。

 だが、そこに間一髪アメリカ軍の増援部隊が到着する。

 すぐさま激しい白兵戦が始まり激闘の末日本軍を撃退、ランドラムや従軍記者たちは窮地を脱することができた。

 この時の戦闘で結果山崎以下第1中隊は戦死。残る第二中隊も砲火に倒れた。

 そして戦闘に参加できなかった第3中隊は手榴弾で自決し、日本軍守備隊は「玉砕」した。


 雪江タヌキたちタヌキ部隊は、その最後を見届け鳥に姿を変え、キスカ島まで撤収した。

 その壮絶な最後を見届けて。





    つづく


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