第13話 接見と上陸
雪江タヌキは相変わらずお里のお地蔵さまや、晶子・圭介兄妹との交流を楽しんでいた。
しかし五右衛門タヌキたちから度々戦争について聞かれるので千里眼を以って透視し、その度状況を伝えていると戦況が気になりだす。
晶子とその兄の圭介の父が出征した事もあり、日を追うごとに悪化する生活環境と、お里の暗くなる一方の雰囲気に心を痛めていた。
もうあの頃のように、幸せな交流はできないのか?
晶子と圭介はお地蔵さまと雪江タヌキの前ではいつも明るく振る舞ってはいるが、時折ふと暗い表情を見せる。
父はいつ帰る?
寂しくて、寂しくて、遠くを見る。
そんな様子を目の当たりにして心が動かない筈はない。
雪江タヌキまでも晶子・圭介兄妹の父の無事の帰還を心待ちにするようになった。もちろんお地蔵さまも同様である。
そんな頃、お山のタヌキたちがそれぞれの戦地に出征した。
ある者たちは樋口季一郎率いる北部軍に、ある者たちは南方の(旧)日本委任統治領や更に遠方のラバウルやガダルカナルに、そしてある者はマレー半島やタイ・ビルマ方面に。
雪江タヌキはすっかり寂しくなったお山の様子にも、人間界のお里同様の気持ちを抱く。
お山の留守部隊の女タヌキたちは、当然出征した男タヌキたちのその後の様子を知りたがる。
頻繁に雪江タヌキに彼らの状況を千里眼を使って教えて欲しいと懇願してきた。
そんな事が続くと、当の雪江タヌキも戦局全体が俯瞰して見えてくる。
次第に戦況が悪くなる様子が。
そこに北部軍に出征していた五右衛門タヌキ一行が、情報収集のため樋口司令の許しを得、一時帰郷した。
今後の見通しはどうなのか?
タヌキ部隊はどう動くべきか?
その情報を元に今後の作戦を練らねばならない。
五右衛門タヌキは雪江タヌキに問う。
アメリカ軍の動向を教えて欲しいと。
雪江タヌキにはこのいくさの戦況全体が見えていたが、敢えて北部軍関連の情報のみを隠さず伝えた。
アメリカ軍はアリューシャン列島方面での反攻作戦を準備していると。
これは壮絶な闘いになる。
折しも幼馴染の健吉タヌキの父、権蔵タヌキがアッツ島守備隊の食料などに化け、(秘密裏に)駐屯していた。
アメリカ軍の火力による破壊力は、その規模に於いて想像を絶する。上陸されたらただでは済まない。
もし権蔵タヌキの身に何かあったら、きっと息子の健吉タヌキは悲しむに違いない。
もちろん権蔵タヌキは、ひとかどの妖術師として奮戦するだろう。
でも他のタヌキたちは?不安は拭えない。
私はどうすべきか?
せっかく授けられたこの能力を、千里眼だけしか使わずにいて良いものか?
私には(千里眼を含め)「神通力」という大きな能力がある。それを宝の持ち腐れ状態で寝かせたままで良いのか?
ホントは五右衛門タヌキも思っている筈。
私の力を戦地で発揮してくれたらと。多くの仲間を守るために。
でも五右衛門タヌキの口からは、戦地に来て欲しいなどと云えるはずはない。
だって雪江タヌキは女性タヌキだから。
女性タヌキを危険に晒すなんて、男タヌキの沽券にかかわる。
だが雪江タヌキにも自負がある。
自分には無敵の術があり、その術を以ってすれば多くの仲間たちを守れると。少なくとも絶対に自分の身を危険な目に遭わせることだけは無い。
だから男タヌキたちに心配される必要はないのだ。
決して慢心や大袈裟からではなく、自分の持つ能力を使えば百人力であると云う事を知っている。
意を決して雪江タヌキは五右衛門タヌキに訴えた。
「私を皆のいる戦地へ連れて行ってください。きっとお役に立てます。」
そう言い懇願した。
五右衛門タヌキはその言葉を聞くと大きく目を見開き、暫く声を出せないでいた。
彼の心の中の葛藤は良く分かる。男タヌキとしてのプライドや自負があるのも。
しかし雪江タヌキの卓越した能力も認めている。
彼女は確かに絶大な特殊能力があるのを何度も目撃し、その力に頼ってきたのも確かであったのだから。
かなり迷った様子だったが、ようやく重い口を開く。
「分かった。雪江タヌキは女タヌキの身でありながら、よく言ってくれた。
さぞ勇気がいった事だろう。心から礼を言う。
本来なら男タヌキとしての沽券に関わる事ゆえ申し出を断るところだが、そこもとの申し出、有り難く受け入れさせてもらう。
どうか多くの仲間たちのため、その能力を如何なく発揮して欲しい。本当にかたじけない。
また安全なこの地を離れ、危険な戦地に誘う事を許して欲しい。」
五右衛門タヌキの承諾を得て雪江タヌキは札幌の北部軍司令部に赴く。
到着早々、(秘密裏に)樋口司令官に接見する。
樋口司令は雪江タヌキを一目見るなり仰反り、その異常な気力に圧倒された。
「ほう、そなたが噂の雪江タヌキ殿であるか。
遠方の戦地まで出向いてくれるそうな。女性の身でありながら参加してくれる好意と決意に対し感謝する。
それにしても噂に違わぬ力の持主であるな。
是非そなたのその力を存分に発揮して欲しい。
だが、考え違いしないで欲しいが、この戦いはあくまで人間同士のもの。
そなたたちのいくさではない。故に敵である相手に対し必要以上に憎しみを持ったり、なぎ倒し過ぎる行いは厳に謹んで欲しい。
これは戦いが終わった後の事を考えての教示である。命令ではない。
憎しみは憎しみを産み、危害は危害を産む。
そなたたちは戦いたくて戦うのではなく、平和の世を願ってのことであろう?
早く元の世を取り戻したくて共に戦ってくれるのであろう?
であるならば、後の世に禍根を残してはならない。
米兵どもから必要以上の恨みを買い、要らぬ報復を受けるのは本末転倒である。禍根は災いの元であるのだから。分かってくれるか?」
樋口司令は優しい目でそう諭してくれた。
「承知いたしました。私共の今後のことまでご配慮いただき、ありがとうございます。
微力ではありますが、私なりに精一杯努めさせていただきたいと思います。」
そう言って一礼すると、樋口司令は笑顔で頷いてくれた。
雪江タヌキはその後、アメリカ軍の標的がアッツ島とキスカ島であると知っていたため、日本軍の防波堤になるべくアッツ島への派遣を申し出る。
その希望が聞き入れられ、伊31潜水艦への乗船が認められた。
1943年 5月10日アッツ島に到着、雪江タヌキは上陸を果たす。
因みに日本船舶がアッツ島に辿り着けたのは、これが最後だった。
何故なら北方軍司令官である樋口季一郎陸軍中将は、アメリカ軍をアッツ島守備隊が食い止め、その間に第7師団の混成旅団を編成、アッツ島に逆上陸するという作戦計画を立案していたが、大本営の命令により断念していたから。
援軍派遣が無い状態と云う事は、水・食料・武器弾薬の補給も無いと云う事。
絶望的戦いを強いられて、彼らは絶体絶命の中にいた。
対してフランシス・W・ロックウェル少将率いるアメリカ艦隊は戦艦3隻、巡洋艦6隻、護衛空母1隻、駆逐艦19隻、輸送船5隻からなる強力な攻略部隊を編成、アッツ島・キスカ島の日本軍守備隊を孤立させるべく待ち構えていたため、幾度となく船舶を撃沈されており、第51任務部隊(攻略上陸部隊)を擁し、アッツ島上陸の準備は万端である。
雪江タヌキは上陸草々アッツ島に派兵されたタヌキ部隊と接触、久しぶりの再会を喜んだ。
とりわけ権蔵タヌキは顔をクシャクシャにして雪江タヌキに抱き着く。
いくら健吉タヌキの父だからと云って、それはないだろう?
まだうら若きみそらの女性タヌキの雪江タヌキは、思いっ切り引いた。
周囲の仲間たちから白い目で見られ恐縮する権蔵タヌキ。
気まずさの雰囲気を断ち切るように声をかける。
「えへん、ウン、あの・・・、その・・・、あれだ、今後の方針を共有するため雪江タヌキの透視した現状を聞きたい。その上でどうするか協議しようと思うが、どうか?」
「そうですね、それではまず、取り巻く状況ですが、アメリカ軍の規模は戦艦3隻、巡洋艦6隻、護衛空母1隻、駆逐艦19隻、輸送船5隻と上陸部隊12500です。」
それを聞いたタヌキ太刀から「オ~!」という驚きの声が出る。
「上陸部隊12500か・・・・、多いな・・・。」
ついため息が出る。
「我が方は2650。約4倍か・・・。我らタヌキ部隊50が加勢しても2700。
相当頑張らねば勝ち目はないな。」
「でも決して無理はしないでください。くれぐれもアメリカ兵との間に禍根を残すような戦いはやってはけないと樋口司令から厳命を受けていますので。」
「大丈夫だよ。どうせ我らは秘密部隊。姿を見せずに幻術を以って戦うのだから、敵に気取られる心配はないさ。」
「そうは云っても、もし撃たれたら・・・、倒されたら術が解け、私たちの正体がバレてしまいます。今まで戦っていたのが私たちタヌキだったと知れれば、必ず報復を受けます。この戦いは人間同士のもの、だから深く関わり過ぎてはいけないと諭してくださいました。樋口司令が仰るのはそう云う事です。
だから決して無茶はしないでください。」
「分かった。そういう命令なら仕方ない。決して無茶はしないと誓うよ。我らは皆、命令に従う。なぁ、皆。」一同深く頷いた。
だがその命令が如何に難しいものであるか、戦闘が始まって過酷さと凄惨さを目撃すると、身を裂かれる程辛い光景であると後で知る。
雪江タヌキはそのすぐあと野鳥に化け、島の隅々まで探索した。
島中を幻影で覆い、アメリカ兵たちを翻弄するために。
つづく