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天井の向こう側  作者: algo0904
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告知

 大村がアスペルガー症候群と診断されたのは、小学3年生の頃である。学校内での素行があまりに悪かったので教師から頻繁に家に連絡がくるようになり、両親に病院に連れて行ってもらったことがきっかけであった。大村は後に両親から聞いたのであるが、大村の両親は自分たちの息子が何かしらの発達障害を患っているであろうことは薄々感づいていたらしいのだが、あえて病院には連れていかなかったのだという。大村がそれを意識してしまい大村自身の個性を無くしてしまうことを恐れたかららしい。つまり自分たちの子供の個性を尊重した結果であった。連れて行かずに済むのであればそれに越したことはないが、あまりにも学校側から連絡がくるようになり、周囲の子供への影響も考えて大村の両親は頃合いだと感じたようだ。

 診察室で医者から病名を告知された時、一番気にしていなかったのは大村本人である。それもそのはずで普通の小学3年生がそんな病名を知っているはずもなく、そもそも大村にとってそれは、個性だと思っていたので、そんな病名が付いているとは全く思ってもいなかったのである。大村はその場の雰囲気でなんとなく自分が今宣告された病気は、自分が今まで個性だと思っていたもので、そしてそれは世間体的にあまり好ましく思われていないことを悟った。16年前の夏の記憶である。

 大村は、病院からの帰路で両親と3人で交わした会話を今でも覚えていた。


「規則・規律を守らないと罰則が与えられるのは大人だけだからな。子供は怒られたりするのが当たり前さ。」


9歳の大村は、父親のその発言に救われたような気がした。


「大人は常に人の前でビクビクしていないといけないの?」


「そうならないよう、皆が気持ちよく過ごせるようなルールを作るのも大人の仕事さ。」


「。。。じゃあ、僕が学校で気持ちよく過ごせないのは、学校の先生のルール作りが失敗しているからってことじゃん。」


「気持ちよく過ごせていないのか?」


その父親の発言を聞くと母親である洋子が「ちょっと。。。」と会話に割って入りかけたが、何かを察したのか、洋子は喋るのをそこでやめ、男同士の会話を静観することにしたのだった。

父親のその発言を聞いて、初めて大村は自分が父親に期待していたことに気づいたのであった。自分が学校で友達もできずに、毎日楽しくもない授業で暇を持て余していることを当然両親は知っていると思ったのだった。


「うん。。。」


「他のクラスメートはどうだろうね。。。みんな楽しそうにしているかい?」


「うん。。。」


「そうか。。。かずや、みんなは敵じゃないよ。みんな性格も違うし、楽しいと思うことだって違う。理解できないならそのままでいいんだよ。自分を理解してくれる人なんて、お父さんくらいの年齢になってようやく2, 3人現れるかどうかさ。ははっ。」


父親が少し笑いながらそう言ったのを覚えていた。そのすぐ後に母親が口を挟んできてその会話はそこで終わった。


 自分がアスペルガー症候群だと知らずに、歳を重ねる者は結構多い。大村の場合、9歳にして診断されたのだからかなり早い方だろう。成人し社会に出てから、仕事の付き合いが上手く行かずに二次障害としてうつ病などの精神病を患い発覚するケースもある。そういうケースを考えれば、大村はかなり人生の早いうちに自分らしくいるための口実を手に入れたことになる。当時9歳の大村は、自分のその考えが決して良いものであるのか悪いものであるのかわからなかったが、周りの大人達に自分がそれを言い訳にして生きていることを悟られないようにする必要があるということを、なんとなく感じとったのであった。


 ここで大村の両親の話をしておく。大村の父親である誠は、大手メーカーに勤める技術者だ。国内トップの大学を出た後、特に就活に苦労もせず、院生時代に共同研究をしていた会社にそのまま入社した。大村ほどではないが、彼もその気質はある。一般的にこの手の発達障害を抱える確率は、親や家庭環境と相関があることがわかっている。つまり、親もアスペルガー症候群であれば、その親に育てられた子供も当然にアスペルガー症候群になる確率が高くなる。母親の洋子に関しては大手の銀行に務めており、父親に負けじとそれなりの地位と収入を得ている。2人ともそれなりの大学を出ていることもあり、物事を論理的に考えることにはたけている。それは生活面に関してもそうだ。両親とも損得で考えすぎる節があり、大村のミニマリスト志向は間違いなくこの両親の影響だろう。

 そんな大村家の家族の団欒と言えば、昔からボードゲームであった。家族が敵同士になるようなゼロサムゲームをやることもあれば、パンデミックなどのように一致団結してゲームをクリアするタイプのボードゲームでもよく遊んだ。小さい頃からこんな大人達に混じってボードゲームばかりしていたのだから、物心がつく頃には大村の思考力の高さは同世代の子供と比較するまでもないことは明らかであろう。こうして文字に起こして見ると、いかにも子供の性格は育った環境に依存すると言いたくなるだろうが、大村に関してはむしろほとんど両親の影響を受けることはなかった。ゲームをしている時も両親同士は頻繁に議論しているのだが、大村はその2人と比較すると、口数が少なく消極的に見えるほどであった。家でのそんな大村を見ていたのだから、学校から初めて家に電話がかかって来て、先生から事情を聞いたときは2人とも驚いたものである。大村には見られないが、かなり親しい間柄の人に対してもいつまでも敬語で話したりするのもアスペルガー症候群の特徴であり、その普段の少し距離を置いているような大村の態度に両親は、自分たちの息子が心を開いてくれていないのではないかと常々思っていたのだった。

 元職場の上司である坂本の口から「協調性」という言葉を耳にした時は、昔の出来事がフラッシュバックしたのであった。どうやら大村にとって「協調性」という言葉は、人生で何か不祥事がある度に言われてきた言葉で、あまりこの言葉に対してポジティブな印象を持っていないのであった。小学生の時も、あまりにも算数の授業が簡単であったので、自分で問題を作っては、時間を忘れて放課後も教室に居座り、見つかっては先生に怒られていたのであった。

「大村くん、お母さんが心配しているからおうちに帰ろう。ね!」

  

「お母さんは、この事を知っているから心配はしていないよ。」


この促し方は無意味だと感じた教師は、すぐに質問を変えた。


「クラブ活動していない生徒は放課後学校にいちゃいけないルールなの。みんなはルールを守っているのに大村くんだけ守らないわけにはいかないの。」


「。。。」


大村は黙り込んで、目の前の自分が作成した問題についてひたすら考えている様子だった。まるで反抗期の子供が親の忠告に対して、一切聞く耳を持たないように。いやそれよりもひどいものかもしれない。大村のその態度はその教師の発言に対して「無関心」と呼べるほどであったからだ。その様子を見た教師は大村から無理やりノートとペンを取り上げた。取り上げられた大村は何も言わずに席を立つと、ランドセルも背負わずに走って教室から出ていった。


 大村からするとそのルールの意義を理解できなかったのだ。クラブ活動に参加していたり、学童保育でみんなで遊んでいるからと言って怪我をしないわけでもないし、安全なわけでもない。むしろ教室で1人で算数の問題を解いているだけなのだから、たかが小一時間教室にいることがなぜ悪いのだと、そんな不満が募るだけなのであった。こういった大村の症状は小学生の頃から周囲の大人を悩ませるものであり、本人もそれなりに苦労しながら生きてきたのであった。大村の場合はいわゆる正規ルートでの就活はしていないが(詳細は後述する)よく会社に就職し、2年半も働けたものだと両親も感心するほどであった。 

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