餅は餅屋
「餅は餅屋」というけれど、田舎町には餅屋などというものはなく、その存在すら疑っていて、餅といえば米屋がつくものでした。
今では餅といえば大手メーカーの個別包装した真空パック餅ばかりですが、90年代あたりまでは年末ともなるとスーパーマーケットや八百屋、デパートの特設催事コーナーには手作りの鏡餅やのし餅が積み上げられて売りまくられていたものです。
毎年クリスマスともなれば、町外れの米屋、タカギ商店の工場兼倉庫には高校生や大学生のバイトが集められていました。祭礼や厄払いの祭事や神事などのときにだけ稼働する工場も、この日から大晦日まではフル稼働するのです。
男女平等だのいう言葉はこの現場にはありません。男ばかり。だって、過酷な現場だもの。
軽く掃除を済ませると、まずは積み上げられているもち米袋を降ろすところから始まります。1袋の重量は60キロ。それが天井近くまで積み上がっているのを降ろし、順番に開封しては研ぎ場へと運んでいきます。
○研ぎ場
米を研ぐ研ぎ場は現場の最下層。だいたい新人バイトが真っ先に送り込まれます。大航海時代の帆船なら船底のポジションです。
米袋から手桶でもち米をすくい上げると洗米器に放り込み、ホースで水を流し込んで洗います。ひたすら洗いまくることになります。洗米器というのは、ほぼモルタル用かくはん機です。コンクリートミキサーともいいます。
桶の中に餅米と水を入れ、ハンドルを回してかき回し、規定では12回ぐるぐる回したらザルで水を切ってペール缶に移し替えます。ゴミ容器として使われることの多い、容量が120リットルある青いポリ製の桶ですね。そこに餅米を溜め、3/5くらいになったら水を張って半日ほど寝かせます。これが朝から晩まで続きます。見渡す限りの青いペール缶のただ中で、ひたすら餅米をとぎます。寒風吹きすさぶ中、長靴の足下まで水に浸かり、ゴム手袋から伝わる冷たさに耐えながら洗い続けます。
「米研ぎやしょか、それとも人とって喰いましょか……」
げしょげしょ。
気分は小豆洗いあらため米洗い。
餅米が十分に水を吸ったら、今度はザルで水切りして別のペール缶に移しては蒸し場へと運びます。1つ運べば場所が空き、そこを埋めるようにまたえっちらおっちら他のペール缶を動かしていきます。
寒くて、冷たいリアル倉庫番ゲーム。それが研ぎ場です。
○蒸し場
蒸し場は工場の花形です。
朝一番で釜のボイラーに火をいれると、間もなくして蒸気が吹き上がります。のし餅1枚分は量で1升、重さで1.5キロ。それだけの米を計量して蒸籠に盛りつけ、釜に積み上げていきます。通常で5段、繁忙期は8段、ただし蒸気量の調整で最下段だけは空になっていました。
もちろん素手で持ち上げるのは不可能なので、アームでつかんでレバーで持ち上げて交換していきますし、この蒸籠の積み方で蒸し加減を調整していきます。固すぎず、柔らかすぎず、絶妙な火加減が求められます。現場に立っているのはバイトだけだけど。
○餅つき場
蒸し上がった餅米は、練り機の投入口へ。
機械に呑み込まれながら混ぜ合わされていく餅米は、やがてにゅるにゅると柔らかいもちの形になってひねり出されてきますが、このままでは完成ではありません。「杵つき」が売りなので、そこから一抱えが石臼へと運ばれます。そこで機械アームの杵がガコンガコンと臼の餅を突きまくります。回数にして6回ほど。この回数が少ないとコシのない餅になります。
これで完成。のし餅の場合は、ここから隣ののし台へと運ばれ、手際よく伸ばされてから型ごと棚に収納され、冷めたところでビニール袋にパッケージされて出荷用のケースへと詰められていきます。
鏡餅の場合は、餅は2升単位で搬出用エレベータの上のトレイに乗せられて2階の加工場へ運ばれていきます。
○加工場(型場)
男ばかり、寒くて、暗いばかりの工場と一転して、明るく、暖かく、女子高生のアルバイトとパートのおばちゃんばかりが待機している別世界です。ジェンダーってこういうことね。ただ、それほど楽でもないのだ。
上に上がってきた熱々の餅の山から1合用、5合用といった鏡餅用の石膏型のサイズに合わせて餅を切り取り、手早く丸めてこねて型にはめ込んでいきます。
鏡餅は2段だから2個1セットで、型の見た目はひっくり返ったひょっこりひょうたん島。少しでも冷めると綺麗に丸まらなくなって、土粘土のようにボロボロになるのでスピード勝負です。手にへばりつく高温の粘体を掌につけた米粉だけで受けとめて作業していきますので、1日作業したら掌が分厚くなったのが分かります。半分は火傷で半分はこびりついた餅の膜かな。
「上2升!」
「おー、了解っ!」
エレベータの穴ごしに上と下で声をかけ合いながら作業が進みます。
石膏型の温度がしっかり下がったら型から餅を外し、2個1セットにして出荷用の箱に詰めていきますが、米粉が少ないと型にへばりついて外れず、多すぎると米粉の分だけ餅の形が崩れます。
作業時間は初日は9時始まりの16時解散くらいですが、出荷数に合わせて次第に作業時間が延びていきます。ピークは27日くらいでしょうか。29日は「苦モチ」といわれて売れないので、28日と30日が多くなるのですね。それに対応するためには27日くらいまでには在庫を確保しておく必要があります。
だいたい仕事終わりが深夜2時で、仕事開始が朝5時くらいとほぼ帰る意味がなくなりますが、とにかく這うように帰って風呂に入って仮眠して出勤です。
この頃になると、米研ぎを律儀に規定回数分回している余裕はなくなります。せいぜい3回。たいてい2回。
蒸しは時間はどうにもなりませんが、蒸籠の段数は増えます。常時8段くらい。
当然、突きの回数も減ります。具体的には2回くらい。ガンゴンッ!完成っ!
暮れも押し迫ってから餅を買うもんじゃありませんね。
2階の作業場もみんな目が死んでますが、このあたりから上下セットが揃わなくなり始めます。型抜きに失敗して下ばかり余ったり、あるいは急に1升鏡餅のような大型の注文が入ってしまい、在庫はないけどなかなか冷めないから出荷できなかったり。
老人ホームから年寄り用ののし餅とかいう不思議注文が飛び込んで現場が停まるのもこの頃です。のどに詰まりにくいよう、餅米100%ではなく米を混ぜて欲しいとかいうのですね。配合比率は誰も知りません。つまり五平餅だかきりたんぽみたいな食感のものを要求しているのでしょうが、すみません。バイトしかいないんです。レシピもありません。蒸し加減やら配合比率を試行錯誤しつつ、その場の感覚でエイヤッと突き上げて完成! 納品!
そんな日々の楽しみは、休憩時間のコーヒーと栄養ドリンク、昼メシのカツ丼。
コーヒーは裏手の喫茶店カッパがポットで配達してくれるのをガブ飲み。1日1回のコーヒータイムですが、仕事が切羽詰まってみんな気が立ってくるとどこからか「カッパさんのコーヒー!」「「カッパさんのコーヒー!」」「「「カッパさんのコーヒー!」」」の連呼が起き、社長夫人に詰め寄って無理矢理1回追加になります。
喫茶店の営業時間が終わった深夜はファイト一発!栄養ドリンク。
一方、カツ丼は50メートル先の定食屋で食べられるのは時間に余裕がある最初のうちだけ。すぐに出前になって、現場で立ったままかき込むだけになります。
28日あたりから出荷調整、生産調整が始まります。
大型の鏡餅は売れなくなるので生産を抑えていきます。作るのは8合サイズの下が割れて返品されたから下だけ追加で作るとかそんな感じです。
蒸し器には破損返品された餅が餅米に混ざって投入されて蒸し直しされますが、一度蒸されているだけ水分が多く一度に大量には混ぜられませんので小分けして餅米に混ぜ込まれます。失敗すると蒸し直し分が溶けてたれて蒸籠にこびりつくので、その塩梅は蒸し係の長年の経験で乗り切ります。バイトだけど。
人手も余り始めるので、そろそろ作業も打ち止めになる研ぎ場から2回に人員が回されますが、女の子に囲まれて喜ぶ間もなく手の火傷に泣きながら餅をひたすらこね続け、外れない型に泣き、行方不明になった型を探して這いずり回ることになります。ただ、足下から水が無くなり、ストーブが側にあるだけ天国です。
30日くらいになるとボイラー係やのし台担当がショッピングセンターの売り場に動員され始めます。残った人間が、餅米を計量して蒸籠に盛り、蒸し、突き、のしていく1人4役となります。
一方、売り場に回された人間は、餅だけ売れば良いかと思えば、並べて売っているウラジロ(鏡餅の下に置くシダ植物)やミカンだけではなく、売り場が隣のかまぼこなどの売り込みまでやり始めます。たぶんそっちの売り場もタカギ商店の経営なんだろうね。
「焼きたての伊達巻はいかがですかー!? 甘くて美味しいよー!」
「奥さん、ちくわはどう? 縁起物だよ!……え? そりゃ、見通しが明るいってね!(それはレンコンです)」
「かまぼこが高い? いつものかまぼことは材料が違うのよ。ほら、鯛とか高級魚のすり身をたっぷり使ってるから、高いけどその分美味しいよっ!!」
過労でテンションがハイになっているので、エネルギーが尽きるまで声を振り絞って売りまくります。練り物豆知識ばかりが増えていきます。
そしてついに最終日、31日は昼までには作業が終わります。
やることはほぼ掃除と機材の片づけ。ただ、いきなり「どこそこ店に1合を20個追加」「田中さんところに3合5合のお鏡さん」とか店舗在庫で間に合わない分の追加生産はあります。少しだけ。
これだけやってバイト代は時給800円程度。ただ、当時の最低賃金が470円程度でしたから、学生の小遣い稼ぎとしては悪くはないですね。労働量や責任に見合っているかどうかは分からないけど、給料袋を大事に抱え込んで帰路につくのです。大晦日の練り物売り場にドナドナされていった働き者を除いて……。
そんな年末の餅つき仕事も、個別包装の餅を詰め込んだ鏡餅(という名の角餅詰め合わせ)が普及した結果すたれてしまい、今は工場跡地は住宅街となってしまい、その面影すら残っていません。