出会い
初投稿です。よろしくお願いします。
「ふぅ、今日も綺麗に育ってくれてありがとう」
私の朝は、畑仕事から始まる。ワンピースの裾が汚れることも厭わずに、今日も今日とて目映いばかりの日差しを浴びなから野菜の収穫。雑草も抜いて、適度に水をあげるものはあげて、あげないものは様子を見て…といった感じに畑仕事をする。
畑仕事をするようになってもう1年にもなる。〝綺麗に育ってくれてありがとう〟なんて言いながらも、ちゃっかり収穫して食べちゃうのだから、〝いただきます〟と言った方が良いのかもしれない。いや、それはそれで微妙かも…。
「レーラ、そっちでキリがついたら、こっちを手伝ってくれないかい?」
「はーい」
今さらだけど、私の名前は澪蘭。須藤澪蘭が私の名前。名前からわかる通り、日本の一般家庭で生まれた私は、それはまぁ平々凡々に生きていた。成績は可もなく不可もないような平均。顔は特出した部分のない、どこにでもいるような平凡顔。体も太ってはいないけど痩せてもいない。体力はほどほど。ただ、東北の田舎町で育ったことで自然に囲まれていた私は、田んぼ道だったり木々の生い茂る林だったりを通学路にしていたものの、農家では無かったから授業くらいでしか野菜を育てたり稲を植えたりしなかった。そんな状態で小学校を卒業して、トントン拍子に中学高校大学と進学し、看護師の国家資格も取れ、町の小さな診療所に勤める28歳。それが私だった。
そんな私が、なんで畑仕事をしているかっていうと、まぁ成り行きと言うしかないだろう。
一年ほど前、自宅のベッドだと思って起き上がったら、テレビドラマやアニメでよくある“知らない天井だ…。”を言うような、全く知らない部屋の知らないベッドで目覚めた。パニクったけど、部屋に響いた扉からのノック音に視線を向けると、腰の曲がったお婆さん──アンナさん──が水差しを持って入ってきた。…長くなったけど、私はお婆さんの家の近くで倒れていたらしく、そのまま放置しておくわけにもいかないと判断したお婆さんによって、ご自身のベッドへと運んでくださったらしい。…運んだのはお婆さんではないみたいだけどね。
私の名前である“レイラ"という語の発音は難しいらしくて、最終的にはレーラに落ち着いた。レイちゃんでもよかったんだけど、それはお婆ちゃんが嫌がった。まぁ、レイラもレーラもそう変わらないし、昔はレーラって呼ばれてたからさして気にするほどでもない。
「アンナお婆ちゃん、来たよ」
収穫といっても、収穫時のものはそう多くはなくて、今日の夕御飯と明日の朝市に出す分だけ。
「あぁ、やっと来てくれた。レーラ、あそこの木に引っ掛かった帽子、取れるかい?」
アンナお婆ちゃんの所に行ったら、指差されたその先にそびえ立つ木の枝に、お婆ちゃんお気に入りの帽子が引っ掛かっていた。…たしかにお婆ちゃんには届かないような位置引っ掛かってるけど、私にも届きそうにない。
でも、お世話になってるお婆ちゃんからの頼みを断るなんて選択肢は私にはない。
「わかったわ。すぐ取ってくるから心配しないで」
「助かったよ。」
アンナお婆ちゃんは貴族だとか大商人とかいうわけではないけれど、その昔に男爵だったか子爵家で侍女をしていたらしく、その時の奥方様からいただいたという帽子。質の良いそれは、だいぶくたびれてボロボロになってはいたけれど、いつもその帽子を被っては、その頃の奥方様がいかに素晴らしい方だったのかを熱弁していた。
私は畑仕事をしていたけれど、アンナお婆ちゃんは庭掃除をしていたから、お気に入りの帽子を被っていたのかもしれない。
そう結論付けると、帽子の方へ向かう。今日は柔らかい風が吹いているけれど、たしかに畑仕事をしているときに突風が吹いたから、その時に飛ばされちゃったんだろうなぁ。
「あらら。結構高いなぁ…登るしかない、かな」
帽子の下へたどり着いたものの、やっぱり私には届きそうにない。周囲にも、帽子を取るために使えそうなものはなくて、試しに木を揺すって見たものの効果は全くなかった。
この世界、というかこの国では、例え男児であっても木に登るなんてことはしない。つまり、女児は絶対にやらないことなのであって、もし木に登っているのを見られでもしたら恥ずかしいことで…とにかく、絶対やっちゃいけないことの括りになる。
女性が素足を見せることもこの国では制限されていて、足を見せて良いのは婚約者、もしくは旦那だけという、日本で生きていた私には信じられないような決まりがある。なのにも関わらず、女性はズボンをはいちゃいけないなんていう決まりもあることから、畑仕事をしているのにワンピースだったというわけ。
私はキョロキョロと辺りを見回して、お婆ちゃんを含めて誰もいないことを確認すると、がばりとワンピースの裾をまくり上げ、ドロワーズと呼ばれる下着の裾に噛ませる。足を見せてはいけないということの通り、ワンピースの裾が長すぎるから、木に登ることを考えると危ないのだ。日本で例えるとするなら、生地が薄くて太ももまであるカボチャパンツの上から、マキシ丈ワンピースを着ている感じ。ね、木に登るには危ないでしょ?
こんな格好だから、もう一度周りに誰もいないことを確認し直して、木に手を引っかける。そこからは簡単で、あとは木の窪みだったりに足を引っかけて登るだけ。1年前の私は、重いものなんて持ったことがないっていうような筋肉のない体だったけれど、畑仕事に家事をやり始めてからは、こうして木に登れるまでになった。…う~ん、喜んで良いのかなぁ?
そうこう考えているうちに、帽子の引っ掛かっていた枝の所まで来た。私が登ることを決意した理由のひとつに、枝が、乗っても大丈夫なくらいに太かったから、というのがある。流石にね、折れそうな枝になんて怖くて登ろうなんて思えないからさ。
足を大きく上げて枝に足を引っかけさせると、そのままの勢いで枝に移る。突然私が移ったからか枝についた葉っぱがザワザワと揺れたけど、帽子が落ちる気配はない。ここで落ちてくれれば楽だったんだけどな、なんて思いつつ、バランスを取りながら枝が折れない瀬戸際のところまで行く。そっと下を見るとかなりの高さがあって、思わず帽子へと伸ばした手を引っ込めてしまった。
いや、だって久しぶりにこんな高さまで登ったから怖かった。ジャングルジムの一番上くらいの高さから降りることのできなかった私が、同じくらいの高さのここから飛び降りるなんてできるわけがない。見なきゃよかったと思いつつ、もう一度帽子に手を伸ばした。今度はしっかりと取ることが出来て、息を吐く。なんだかどっと疲れた気がするけれど、緑色の葉に囲まれて風を感じるということが久しぶりで、思わず目を瞑って葉の音を聴いていた。
どれくらいそうしていたのか、気持ちよすぎてすっかり忘れていたけれど、あんまり長引くとお婆ちゃんが心配して様子を見に来るかもしれないし、そんなことになったら、私のしていることとか格好とかで卒倒してしまうかもしれない。
そんなことになりでもしたら申し訳がないし、早く帰らないとお婆ちゃんに料理を教えてもらえない。それは困る。ありがたいことにコンロはあるけれど、私の知っているコンロとは全然違うから使うのも大変。1年かけて使えるようにしたからそれはまぁいいんだけど、お婆ちゃんの味が美味しすぎて、私にもぜひその味を伝授してほしいってところになる。なんっていうか、素朴な味、っていうか、お婆ちゃんの味っていうか…とにかく、ほっこりする味。日本ではスマホのアプリだったりネットで調べて作ることばっかりだったから、お母さんの味だとかお婆ちゃんの味だとは程遠いものばかり作ってたんだよね…。しかも、あれも作りたいこれも作りたいって感じで、1回作ったら分量とかも覚えないからただただ作るだけ、って感じ。
っと、とにかく帰ろう。そう思って幹の方へ移動しようとして、少し離れた場所からこっちを見る視線に気がついた。
「…へ?」
暫くフリーズしちゃった自分は悪くないと思う。いや、だって、まさか人がいるとはって感じで…。そこまで考えて、急激に体温が下がっていくのがわかった。
「ッ………!」
ヤバい。これはヤバい。私の方を見た瞳は、思いっきり私に気づいてた。というか、驚いてた。あれで見られていないわけがない。恥ずかしいことをしてしまった、というよりも、恥ずかしいことをしているのを見られてしまった事実に真っ青になる。
とにかく早くここから去るべきだと警鈴を鳴らしながら脳から伝えられるその通りに、木から降りようとした。
でも、そういうときに限って上手くいかないもの。慌てた分だけ思考がまとまっていなかった私は、ここが木の上だということを忘れ、バランスを崩した。
「キャッ───」
「…危ないッ!」
すぐに来た振動と痛みに、目を瞑り耐える。
かなり痛いけど、咄嗟にとった受け身によって骨折とか打撲とかはしてないみたいだから良かった。
安堵の息を吐いたところで、アンナお婆ちゃんの帽子を強く抱き締めてしまったことに気づく。慌てて帽子の状態を確認したけど、枝に引っ掛かって解れた様なところはないし、型も然程崩れていなかった。ここで帽子が破けてたりしたら、お婆ちゃんに顔を向けられなかったから良かった。
体は痛いけれど、時間がたったら痛みは引いてきたし、帽子が無事なら気にすることは何もない。奇跡的に頭も打たなかったし、さっさと帰ろう。
そう思ったのに…
「大丈夫か?」
目の前に差し出された手に、掛けられた声。ハッとその手と声の持ち主を見たところで、私が何で木から落ちたのかを思い出した。…というか、何で忘れることができたのかっていう話なんだけどね。
「は、はい。大丈夫です」
これが昔よく読んでいた本のシナリオだったなら、目の前で差し出された手を取るシーンなのだろう。もしくは、私が落ちる瞬間瞬間にいち早く駆けつけて下敷きになるだとか抱えてくれるだとかあるんだろうけど、私は手を取ることなく自力で立ち上がる。
よく見ると仕立ての良い服を着た目の前の人物は、綺麗な顔立ちをしている。この辺りの貴族なのかな?取り敢えず、そんな方の手を取るなんて畏れ多いことを出来るわけが無い。無礼かもしれないが、こんな平民が触れることの方が失礼だろう。そう思ってのことだったが、どうやら目の前の貴族様は手を取られなかったことが不服なようで、むすっとした表情になった。
「何故手を取らない?」
「…畏れ多くも貴族様、私はしがない平民でございます。そんな私が貴族様の御手を取ることは失礼に当たると思い、辞させていただきました」
本当にそれ意外に何があるというのだろう。いや、本当はそれはただの建前でしかなくて、日本人としては、転んだときに手を差し出されるなんてことはないんですよ。自分で立ち上がるものなんです。まぁ、とどのつまり、手を差し出されたとしてもどうすれば良いかわからなかった、というのもある。
「そうか。………ッ!!」
納得してくださったらしい貴族様が、突然顔を真っ赤にさせたことに首を傾げるしかない。出来れば早く立ち去ってほしい。本格的にお婆ちゃんが心配してるだろうし。でも、日本という上下社会で生きていた私にとって、目上の人物より先にこの場を後にするのは憚られる。いや、というよりも、あまりこういう感じの目上の人物に、こんなところで会うことがなかったから帰って良いのかどうなのかがわからない。
本当、帰って良いのかな?
「…お前、名は?」
「名乗るような者では…」
「いいから答えろ」
「…レイラでございます」
帰りたいと思っている私を知ってか知らずか…たぶん後者だろうけど名前を聞いてくる貴族様に、もしかして不敬罪でしょっぴかれるのかと、内心ドギマギしながら答える。
「レー、ラ?」
「レイラでございます」
やっぱり言えなかったか、と思いつつ、もう一度名乗る。
「レーラか。俺はセオドールだ」
聞いてないんですけど、なんて言ったら殺されそうなので黙っておく。セオドール…どこかで聞いたような気がするけれど、きっとありふれた名前かなんかなんだろうな。
「セオドール様、ですね。大変申し訳ございませんがセオドール様、私はやらねばならぬことがあります故、失礼させていただいても?」
何でこんなことになっているのだと思いつつ、やんわりと遠回しに〝こっちは忙しいんだからさっさと解放しろ〟と告げる。貴族様に言うようなことではないんだろうけど、なんとなく目の前の人物なら許してくれそうな気がした。だからそう告げたのだけど、貴族様は〝何故?〟というような表情で私を見てきた。いや、こっちが何故?と言いたいのですが…。
「…そういえば、さっきも平民だと言っていたな。本当に平民か?…もしや、商家の娘か?」
「……私はただのしがない平民と告げた通り、平民でございます。商家の娘ではございません。」
「そうか…」
何かを考えるような仕草をする貴族様だが、これ以上はダメ。太陽の位置が高い。それに、お婆ちゃんが私を呼ぶ声も聞こえてきた。
どうやら目の前の貴族様も声が聞こえていたようで、ようやく信じていただけた様で、バレないようひっそり息を吐く。
「引き留めて悪かったな。…あと、何をしていたのか知らないが、危ないことはあまりしない方がいいぞ。……その、足も、出さないが方がいい」
「いえ、お心遣い感謝致します。お見苦しいものをお見せしてしまい、お目汚し失礼致しました。それでは、失礼致します」
ちょっとしつこい系貴族様だったけれど、まぁ…いい人だった。それに、たぶんだけど、さっき顔を赤くしていたのは、私がワンピースの裾をドロワーズに噛ませていたからだろう。然り気無く注意してくれるなんて、意外と紳士なのかもしれない。
そう思いながら裾を直し、お婆ちゃんに帽子を届けるために駆けた。