98..
――暗闇が、溶けるように揺れている。
光が差し込む場所は、どこにもない。あるのは、ひたすらに広がる影の波紋。
時間の概念は薄れ、呼吸はどこまでも静かに、しかし確かに響いていた。
音のない世界。
冷えきった指先が虚空をなぞる。
床は硬いのに、どこか柔らかさを含んでいた。脈動するような微細な震え。
鼓動のように、沈んでは浮かび上がる。
視界に映るものは、書物の残骸。
破り捨てたページが降り積もり、まるで雪のように白く、乾いた紙片が指の間をすり抜ける。
この場所は――何だったのか。
城だった。
書庫だった。
いや、世界そのものだった。
どれでもあり、どれでもなかった。
指を伸ばす。
遠く、黒の帳が落ちる。
その向こうに、影が揺れていた。
気配。
静寂のなかに、確かに誰かがいた。
記憶の奥に焼き付いたシルエット。
長く流れる銀の髪。
夜を閉じ込めた瞳。
足音ひとつ立てず、そこに佇む存在。
シラーチル。
彼女は何も言わない。
ただ、そこにいた。
すべてを知り、すべてを受け入れる者のように。
その背後、さらに奥。
歪んだ空間の隙間に、別の気配。
揺れる影。
微かな香り。
紅の気配。
リーモア。
顔は見えない。
けれど、そこにいることだけはわかった。
血のように甘く、果実のように切ない存在感。
彼もまた、何も言わなかった。
言葉の代わりに、風が吹く。
紙片が舞う。
破り捨てた未来が、足元に絡みつく。
「……終わり?」
声は、誰のものだったのか。
風が呟いたのかもしれない。
答えはない。
ただ、影が深く沈んでいく。
螺旋を描く階段。
沈みゆく城。
崩壊する書庫。
終焉は、静かに訪れる。
光はない。
ただ、深い夜の奥へと沈むだけ。
影が重なる。
存在が薄れていく。
それでも、確かに感じた。
終わりの気配。
それが、救いなのか、絶望なのか。
誰も知らない。
ただ、そこにいた者だけが、知っている。
闇が、すべてを包み込む――。