エピソード88:赫灼の胎動
——墜ちる。
世界が、沈む。
意識は宙に浮き、私はただただ、身体の輪郭を失いながら溶けていく。
熱い。
寒い。
甘い。
痛い。
感覚がねじれ、世界の縁が溶解し、こことそこの境界が崩れ去る。
「愛したる...」
耳元に、シラーチルの声。
囁くように、溶かすように、私を誘う声。
その指が私の喉元をなぞる。
「ねえ、もう……全部、委ねてしまえば?」
指先が、首筋から鎖骨へ、さらにその先へと滑り落ちる。この世で最も美しいシラーチル。
触れているのに、触れていない。
存在しているのに、存在していない。
シラーチルの唇が、耳元にかかる。
「さあ早く...」
私は——
暗闇の奥で、大蛇が蠢いた。
無数の瞳が私を見つめる。
そこには、慈愛も、憎悪も、無関心もなかった。
ただ、問いかけだけが存在する。
——『何ヲ創リ、何ヲ壊ス?』
目の前の存在は、神か。
あるいは、私自身か。
私は、シラーチルの手を握る。
「私は——」
息をするたび、空気が甘く痺れる。
シラーチルの髪が宙を舞い、彼女の瞳が紅く煌めく。
彼女が笑う。
次の瞬間——
彼女は、私の唇を塞いだ。
——深く。
——熱く。
——甘く。
——溶ける。
私は目を見開く。
息が、意識が、魂が奪われる。
これはキスではない。
これは——
これは、契約だ。
私たちの魂が、絡み合い、溶け合い、ひとつになる。
私は、震えた。
けれど、もう戻れない。
シラーチルの瞳が笑う。
私は、静かに目を閉じた。
そして——
私の手が、大蛇の“喉”へと触れる。