エピソード87:奈落の胎動
——私たちは、落ちていく。
崩れゆく大地、砕ける塔、ひび割れた空。
それらすべてを背後に置き去りにし、ただひたすらに深淵へと沈んでいく。
風はない。
光もない。
音すらない。
あるのは、ただ無限の沈黙だけ。
シラーチルの手を握る。
彼女の体温は、いつもよりも高く感じた。
けれど、それは熱ではなく、焦燥に近いものだったのかもしれない。
「……この先に、何があるの?」
彼女は問う。
その声には、珍しく怯えが滲んでいた。
「わからない」
私は正直に答える。
未来は見えない。
けれど、だからこそ進むしかないのだ。
「それでも、行くのね?」
「……ええ」
シラーチルは、ふっと微笑んだ。
「貴女らしいわ」
指先が、絡まる。
呼吸が、重なる。
漆黒の奈落の中で、彼女の紅い瞳だけが、炎のように煌めいていた。
——落下は、やがて終わりを迎えた。
私たちは、何か柔らかなものの上に転がり込む。
まるで胎内のような温かな感触。
しかし、それが何なのかを確かめる暇はなかった。
ゴォォォォォォォォォォォォォォォォォン——!!
鈍い咆哮が響く。
漆黒の大蛇。
いや、それはもはや蛇などではない。
骨の鎧をまとい、何百もの瞳を持ち、無数の腕を這わせながら、胎動を繰り返している。
この世の理から外れた“存在”。
それはゆっくりと、私たちへと這い寄ってきた。
——『創造主ヨ』
それが、私を呼ぶ。
——『貴様ノ選択ハ、如何ナルモノカ?』
私は、喉の奥が焼けるような感覚を覚える。
これは、世界の最奥に眠る“何か”だ。
世界の歪みを糧に生きる、あるいはそれそのものが歪みであるような、混沌の源流。
シラーチルが、私の手を強く握る。
「……こいつを、倒せば終わるの?」
「……違う」
私は、ゆっくりと首を振る。
「これは、終わりじゃない」
「これは——始まりよ」
——世界が、揺れた。
大蛇の体が軋み、無数の瞳が一斉に瞬きを繰り返す。
私の心臓が、強く鳴る。
そう。
ここが、本当の“起点”だったのだ。
全てを創り、全てを壊し、そして——
“選ぶ”場所。
私は拳を握る。
「シラーチル、行くわよ」
彼女が微笑む。
「ええ」
私たちは、世界の“原初”へと足を踏み入れる。