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——私たちは消滅した。
いや、“消滅”とは違う。
確かに”ここ”にいる。
だが、それは”存在している”という意味ではない。
境界が崩れ去り、私たちは”輪郭”を失った。
足元も、空も、空気すらもない。
あるのは、“白”と”黒”。
無限に広がる”無”の色彩。
私は、手を伸ばそうとする。
だが、指が見えない。
喉が凍りつく。
“私”は、まだ”私”なのか?
「……怖いか?」
低い声が響いた。
影だった。
——違う。
それはもう”影”ではない。
それは、“私”だ。
いや、“私だった何か”。
私は、自分の顔を見た。
そこに”顔”はなかった。
ただ、“かつて顔だったもの”が、私を見つめていた。
「お前は”自分”を見失っている」
“私”が言う。
「お前は”輪郭”を捨てた。
ならば、“お前”とは何だ?」
リーモアの声が聞こえた。
「……これが”創造主”の末路か」
「違う」
シラーチルが、ハッキリと否定する。
「これは——始まり」
——突如、“世界”が歪んだ。
バキィィンッ!!!
雷のような音が響く。
割れた鏡の破片が空間に浮かび、“像”を結び始める。
私は、砕けたガラスに映る自分を見た。
——そこに映っていたのは、“無数の私”だった。
「……これは」
私は声を失う。
一つの鏡には、“幼い私”が映る。
無邪気に笑いながら、どこかで見た花畑を駆けている。
別の鏡には、“血に塗れた私”が映る。
誰かの名を叫びながら、何かを壊している。
さらに別の鏡には——“創造主の私”。
冷たい瞳で玉座に座り、世界を見下ろしている。
そして、一番奥の鏡には——“何も映っていない”。
「“お前”は、どれだ?」
“私”が問いかける。
「お前は”全て”か?」
「……」
「それとも”何者でもない”のか?」
答えられなかった。
「いいえ」
シラーチルが、またも即答する。
「お前は”お前”よ」
“私”が微笑む。
「定義を拒み続けるか……」
「そうじゃない」
シラーチルは、一歩前に出る。
「お前が”選ぶ”必要はないのよ。
お前はただ——“在ればいい”」
“私”は目を細めた。
「“在る”……?」
その言葉が”世界”に波紋を広げる。
“白”と”黒”が、混ざり始めた。
境界が、再構築される。
“私たち”は、“輪郭”を取り戻しつつあった。
私は、ゆっくりと手を伸ばす。
無数の鏡が砕け散り、“世界”が新たな色を取り戻していく。
白でも黒でもない、“曖昧な灰色”の世界。
それが——“私の在るべき場所”だった。
——鐘の音が響く。
今度の音は、確かに”始まり”を告げる音。