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世界が、静かに崩れつつあった。
裂け目は広がり続け、黒と白が入り混じった流動的な光景が足元に広がる。
廃墟と化した城の向こう、虚空に浮かぶのは歪んだ玉座。
そこに座るのは——私の影。
影の顔は私と同じだった。
いや、私が記憶を封じる以前の”創造主”としての姿。
それが、嘲るような笑みを浮かべてこちらを見ている。
影は玉座から立ち上がると、私へ向かって歩み寄る。
その足音が響くたび、私の記憶がざらついたノイズとなって脳裏に流れ込んでくる。
燃える街。
血に濡れた大地。
果てのない叫び声。
「……これは?」
「お前が創り、見捨てたものだよ」
影が答える。
懐かしさすら覚える声——私自身の声。
「私は……」
言葉に詰まる。
影は構わず続ける。
「お前は記憶を封じ、人間として生きた。
だが、その間に世界はどうなった?」
影が手をかざす。
その手のひらに、いくつもの場面が浮かび上がる。
炎に包まれた都市。
冷たい絶望の中で泣き崩れる子ども。
何もかもを諦め、ゆっくりと崩れていく人々。
「お前が”答え”を求めて人間になった間も、
この世界は苦しみ続けていた」
影の目が細められる。
「お前の探求は、ただの自己満足だったのではないか?」
私は、息を詰まらせた。
シラーチルが、そっと私の手を取る。
その手はひどく冷たかったが、それでも震えていなかった。
「……そんなことを言うために、ここへ呼び寄せたのか?」
彼女の声は低く、感情を押し殺している。
影は、シラーチルに目を向ける。
「お前も気づいているだろう?」
「……」
「この世界は、もう限界だ」
リーモアが、廃墟の隙間から空を見上げる。
「——あれを」
彼の視線の先。
空には、巨大な”穴”が開いていた。
そこから流れ出しているのは、黒い霧のようなもの。
それがゆっくりと大地を蝕み、すべてを飲み込んでいく。
「……これは」
影が微かに笑う。
「お前が”選ばずにいた”結果だ」
私は息をのむ。
「創造主が不在になった世界は、“空白”に耐えられない」
「それが、この崩壊の理由だと?」
影は頷いた。
「お前が世界を見捨てたのではないか?
お前が”創造主”であることをやめたから、世界は滅びに向かっているのではないか?」
思考が、深く沈んでいく。
そうなのか?
私がいなかったから、この世界は崩れてしまったのか?
だとすれば、私が取るべき道は——
「……」
違う。
違う。
違う。
私は、そんな単純な話を聞きに来たのではない。
私は——
「——答えを出すためにここへ来たわけじゃない」
影が、眉をひそめる。
「何?」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「私は、“選択”のためにここへ来たわけじゃない」
シラーチルもリーモアも、私をじっと見つめていた。
「私は……“知る”ために来たんだ」
影が、沈黙する。
その沈黙は、私の言葉を否定するものではなかった。
「……知る、か」
「そうだ」
私は、影に一歩近づく。
「私は、まだ何も知らない。
人間とは何か、世界とは何か、私が何者なのかすら……」
影がわずかに目を細める。
「それが、お前の答えか?」
私は、静かに頷いた。
「“答え”を出すのはまだ早い」
影が、ゆっくりと後ずさる。
世界の亀裂が、少しだけ光を取り戻していた。
鐘の音が鳴り響く。
その音は、終わりを告げるものではなかった。
何かが”始まる”音だった。