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「向こうへ行く覚悟はあるか?」
仮面の人物の言葉が夜気に溶けるように響く。
静寂の中で、ランタンの炎だけがわずかに揺れた。
足元を見下ろす。
冷たい石畳がどこまでも続き、草原はすでに闇に溶け込んでいた。
「覚悟、か……」
自分の声が思ったよりも静かで、遠く聞こえる。
考えてみれば、ここまで何度も選択を迫られてきた。扉を開き、道を進み、時には正解も分からぬまま、ただ前へと歩みを進めてきた。
それでも——
「もし向こう側に行ったら、戻ってこられないのか?」
そう問いかけると、仮面の人物は肩をすくめるような仕草を見せた。
「それはお前次第だ」
「……どういう意味?」
「向こう側には、“あるべきもの”がある。お前が何を選ぶかで、道は変わる」
「“あるべきもの”?」
「それは、まだお前が知らないもの。あるいは、かつて知っていたものかもしれない」
ローブの人物は、ランタンの灯火を指で弾いた。
その瞬間、炎が大きく揺らめき、周囲の景色が一変する。
暗闇が広がる。
足元が消えたかのように感じ、わずかに体が浮く感覚がした。
それは、落ちるようでいて、飛ぶような感覚。
意識を強く持たなければ、世界そのものに飲み込まれそうな——そんな錯覚を覚える。
やがて、ふっと視界が開けた。
目の前には広大な湖があった。
静寂に包まれた水面には、夜空の星々が映り込み、さながら無限の空間が広がっているように見える。
湖の中央には、一本の橋がかかっていた。
まるでどこかへ誘うように、白い石で作られた橋が、湖の向こうへと伸びている。
「これは……?」
問いかけると、仮面の人物は微笑むように仮面を傾けた。
「ここが、お前の”境界”だ」
「この橋を渡れば、お前は”答え”に近づく」
「ただし——」
仮面の奥の目がわずかに光る。
「何を手に入れるかは、お前の心が決めることだ」
「選べ——前に進むのか、戻るのか」
湖は静かに波紋を描く。
橋の先には何があるのか、まだ見えない。
けれど、心の奥で確かに感じるものがあった。
——“あるべきもの”が、そこにある。
夜風が頬を撫でる。
ゆっくりと、一歩を踏み出した。