59 一時の静寂
気がつくと私は草原に立っていた。
どこまでも続く大草原。
風がそよぎ、金色の穂が波打つ。
遠くで鳥の声がする。
ぽつんと置かれた木製のベンチ。
そこに、ひとりの男が座っていた。
リーモア。
背の高い男だ。
無造作な黒髪、深い緑の瞳。
どこか遠くを見つめている。
彼の隣には、余白のような空間。
誰かが座るべき場所。
「やあ」
リーモアは、風に溶けるような声で言った。
「ずいぶん遠くまで来たね」
まるで、前から知っていたように。
草の匂いがした。
少し湿った、甘い香り。
リーモアは、空を見上げる。
淡い雲がゆっくりと流れていく。
「ここ、いい場所だろ?」
ベンチを軽く叩く。
「座るといい。世界の端まで見渡せる」
勧める声は穏やかだった。
隣に腰を下ろすと、木の軋む音がした。
風が頬を撫でる。
「このベンチね、ずっとここにあるんだ」
リーモアが笑う。
「誰かが作ったわけじゃない。気づいたら、そこにあった」
不思議なことを言う。
「だからね、座る人も決まってないんだ」
「でも、不思議とここを訪れる人はみんな、同じ表情をする」
彼はちらりと横目でこちらを見る。
「……君みたいな顔さ」
風が吹く。
草原の波が、大きく揺れる。
リーモアはゆっくりと言葉を継ぐ。
「ここでさ、何を思ってる?」
優しく問いかける。
沈黙。
遠くで、小さな風車が回っている。
リーモアは、それをじっと眺めている。
「……難しいことは考えなくていい」
「ここはね、そういう場所じゃないから」
「ただ、風の音を聞いて、空を見て、草の匂いを感じる」
「それだけで、いいんだよ」
雲が流れる。
どこまでも、どこまでも。
「君は、歩いてきたんだろう?」
リーモアは、草原の先を見つめる。
「なら、一息つけばいい」
「それだけの権利は、誰にだってある」
遠くで、小さな鐘の音がした。
風に運ばれてきた、どこかの誰かの音。
リーモアは、ゆっくりと目を閉じる。
「……いい音だね」
「ここに来る人は、みんなそれぞれの音を持ってる」
「君の音は、どんな音だろう?」
草の波が、穏やかに揺れる。
ベンチは、優しく軋む。
リーモアは、小さく息をついた。
「ここは、誰のものでもない」
「だから、君の場所でもあるんだ」
風が吹く。
草原の向こうに、夕陽が沈む。