55
鐘が鳴る。
低く、重く、腹の底に響く音。
世界が蠢く。
まるで生き物のように、ざわりと脈打つ。
舞台の幕は上がったまま。
照明が乱雑にきらめき、影を濃くする。
仮面をつけた観客たちは身を乗り出し、私を覗き込む。
目の奥に、光がない。
まるで私が手品師の帽子の中に落ちた兎であるかのように、じっと、じっと、好奇のまなざしを向けている。
「次の一手は?」
影が囁く。
口元が歪む。
声の端がかすかに震えている——いや、震えているのは世界の方か?
駒か? プレイヤーか? 盤か?
答えを出さねばならない。
しかし、足元には何もない。
駒どころか、盤すらもない。
それなのに、私は確かにこのゲームに参加している。
一歩踏み出した瞬間、空間がねじれる。
幕の隙間から零れた光が、虹色に滲む。
天井のない劇場。
床のない舞台。
それなのに、ここは確かに閉じられた空間だ。
音楽が鳴る。
管楽器の音が、不協和音を奏でながら私の耳を引っかく。
どこかでかちりと歯車が噛み合う音がする。
「踊るの?」
影が聞く。
「歌うの?」
仮面が嗤う。
「演じるの?」
世界が揺れる。
私は唇を噛んだ。
——私は、何をすればいい?
「ならば、こうしよう」
影が手を伸ばす。
指先が私の額をなぞる。
一瞬、寒気が走った。
——いや、それは寒気ではない。
何かが、剥がされた。
「あなたが選ばないのなら、私が選ぶよ」
視界が反転する。
上と下がぐるりと入れ替わる。
世界の輪郭が溶け、泡のように弾ける。
そして、気づいた時——
私は、仮面をかぶっていた。
「演目変更!」
誰かが叫ぶ。
鐘が鳴る。
幕が一瞬にして張り替えられる。
舞台の中央には、仮面の女が立っている。
どこか滑稽で、どこか哀れな道化師。
足を踏み出すたび、世界が軋む。
観客たちが狂ったように喝采を送る。
影が笑う。
「さあ、存分に踊るといい」
声が甘く絡みつく。
「あなたは今、最高の役を手に入れたんだから」
私は仮面を外そうとする。
だが、外れない。
ぴたりと肌に張り付き、まるで最初から自分の顔であったかのように、そこにある。
私は——何?
私は——誰?
観客が囃し立てる。
音楽が狂ったように鳴り響く。
影が、観客席の奥で指揮棒を振る。
「さあ、最高のエンターテイメントの幕開けだ!」
鐘が、鳴り続ける。