54
鐘が鳴り響く。
世界の骨組みが軋み、きしむ音がする。
舞台の幕が、音もなく裂けていく。
誰かが手を叩いた。
誰かが歓声を上げた。
誰かが、何かを囁いた。
「さあ、続きを始めよう?」
その声は、耳元で囁くようでありながら、どこまでも遠く、まるで虚空から聞こえてくるかのようだった。
影が手を差し伸べる。
「踊る?」
その声は甘く誘うようで、
その目は冷たく見下ろすようで。
「あなた、踊るのは得意?」
影の唇が、まるで微笑を象るように——
いや、嘲笑のようにも見えて。
——私は足を前に出す。
その瞬間、世界が傾いた。
仮面をかぶった人々が嘲笑する。
道化たちが指をさす。
ピエロたちが歓喜に満ちた顔で手を打つ。
「はは、これは最高の演目だ!」
「足元を見てごらんよ!」
誰かが叫ぶ。
私は、視線を下げた。
——そこに、私の影はなかった。
影がくすくすと笑う。
「ねえ、知ってる?」
「あなたには、影がない。」
「あなたは、いったい何?」
また、その問い。
また、私の思考を絡め取るような、あの言葉。
私は——
影が私をじっと見つめる。
その目は底なしの井戸のように、私の中を覗き込む。
「ゲームの続きをしようか?」
影がくるりと回る。
ひらりと舞うその動作は、まるで蝶のように儚く、美しい。
「あなたが先手よ?」
私は、盤の中央に立っていた。
無数の視線が私を射抜く。
だれもが、手に汗を握る。
——しかし、
私は、このゲームのルールを知らない。
鐘が鳴る。
私のターンだ。
だが、盤上には何もない。
チェスでも、将棋でも、双六でもない。
手にするべき駒もなく、刻まれた道筋もない。
それなのに、すべての目が私を見つめている。
「さあ、どうする?」
影がにやりと笑う。
「一手目を間違えたら、詰み だよ?」
何が正解で、何が不正解か。
それすらも分からないまま、私は盤の上に立っている。
まるで、“何かに試されている”かのように。
「ねえ、あなた——」
影が顔を寄せる。
その声は耳元に絡みつく蛇のように、冷たく、湿った囁きだった。
「あなたは、駒なの?プレイヤーなの?」
私は息を呑む。
「それとも——」
影が、ゆっくりと首を傾げる。
「……盤そのもの、なの?」
その言葉に、世界が一瞬、軋んだ。
私が、盤?
「おや?」
影が楽しそうに手を叩く。
「今、ほんの少しだけ歯車が噛み合った音がしたね。いいよ、そのまま考えて?」
私は、胸の奥で何かがざわめくのを感じた。
この世界は、私の知っている世界ではない。
このゲームは、私の理解の範疇にない。
でも、何かが引っかかる。
何かが、おかしい。
影は踊る。
観客たちは笑う。
鐘は鳴り続ける。
「次の一手は?」
影が私を見つめ、にやりと微笑む。
私のターンは、まだ終わらない。