46
シラーチルは、私の唇にそっと指を押し当てる。
柔らかな肌。
指先に絡みつく微かな血の香り。
「ねえ、リトマス。
“美味しい”って、どういうことだと思う?」
言葉の意味が脳内で霧散し、代わりにざらついた悪寒が背骨を撫でた。
シラーチルは楽しそうに微笑んだ。
それはどこか、壊れたオルゴールの音色のような——
美しくも、どこか歪なもの。
「甘い?苦い?酸っぱい?それとも、塩辛い?」
ひとつひとつ言葉を転がすたびに、シラーチルの指先が私の頬を撫でる。
「ねえ、リトマス。君は“何の味”がするの?」
私の喉がひりついた。
拒絶したいのに、体が動かない。
ナイフの冷たい刃が、私の首筋をなぞる。
ひやりとした感触に、微かな震えが走った。
「ふふ、怖がらなくていいよ。……ちょっとだけだから。」
刃先が、皮膚を浅く裂く。
滲む血液。
赤黒い雫が、首筋を滑り落ちる。
シラーチルは、それをゆっくりと指先で掬った。
「ねえ、リトマス。君の“赤”って、本当に綺麗。」
うっとりとした瞳。
酩酊したような表情。
「ほら、見て?この色……ねえ、なんだか懐かしいと思わない?」
「懐かしい……?」
私は、シラーチルの顔を見つめた。
彼女はゆっくりと、血を舐めとる。
舌先が赤く染まり、陶然とした表情を浮かべる。
「……ふふっ。ねえ、思い出した?」
「何を……?」
シラーチルは、嬉しそうに目を細めた。
「そっか、まだだね。」
彼女はナイフをくるりと回し、私の手をとった。
冷たい指先が、私の手の甲を撫でる。
「リトマス、君はね——」
次の瞬間。
——ズブリ。
鈍い感触が、掌を貫いた。
「ッ!!」
悲鳴を上げる間もなく、血があふれ出す。
指の間をすり抜け、滴り落ちる鮮血。
「ほら、君の“赤”が溢れてるよ?」
痛い。痛い痛い痛い痛い痛い!!
「ふふ、大丈夫。これはね、私たちの儀式だから。」
シラーチルは私の傷口に口を寄せ、吸い込むように舌を這わせた。
——ひどく、優雅に。
「ん……やっぱり、特別な味!」
目を閉じて、甘やかに微笑む。
それは、まるで恋人を味わうような仕草だった。
「ねえ、リトマス。もう気づいてるんでしょ?」
私は、息を乱しながら、シラーチルの顔を見つめた。
彼女の唇は、私の血で美しく彩られていた。
「……何を……気づけっていうの....,」
シラーチルは、そっと耳元で囁く。
「君は、ずっと前から壊れてるんだよ?」
——その言葉に、脳が揺さぶられる。
「……違う……私は……」
「“私は”?」
シラーチルは、優しく笑う。
「ねえ、リトマス。君はさ……誰だった?」
その言葉が、脳に突き刺さる。
記憶が、ひどく曖昧だった。
まるで、霧の中を歩いているような。
「……私、は……」
「思い出せない?そっか、そっか。」
シラーチルは、くすくすと笑う。
「なら、教えてあげる。あなたは....」
その瞬間——
世界が、裏返った。