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—創造主を、殺すこと。
その言葉が、血の匂いと共に私の脳に絡みつく。
まるで腐った果実を無理やり喉に押し込まれたかのような不快感。
「……創造主?」
私の声は掠れている。
疑問を呈したつもりだったが、その響きにはすでに脆弱な震えが滲んでいた。
「ええ、そう。」
シラーチルは愉悦に満ちた笑みを浮かべながら、ゆっくりと私の頬を撫でた。
彼女の指先は氷のように冷たく、それなのに、皮膚が焼けるような錯覚を覚える。
「君が何者なのか、それを決定したのは誰?」
「……私は……。」
「君の記憶はどう?」
シラーチルはくるりと踊るように身を翻し、私の周囲を歩き回る。
「生まれた瞬間からの記憶、覚えている?」
息が詰まる。
「赤ん坊の頃の記憶、母の温もり、父の声……君に、そんなものはある?」
ない。
——ない。
「でしょう?」
彼女の声が鼓膜に食い込む。
「じゃあ、誰が君を“今の君”にしたの?」
私は口を開こうとするが、喉が凍りついたように動かない。
頭の中に、知らない記憶の残骸がこびりついている。
無機質な部屋。
幾重にも連なるスクリーン。
白衣の者たちが並ぶ。
そして、暗闇の中に佇む影。
何かが、軋むように崩れ落ちていく。
「君はね、リトマス。」
シラーチルが耳元で囁く。
「君は、“実験体”なのよ。」
思考が凍りついた。
「……嘘だ。」
私は後ずさる。
「嘘じゃないわ。」
シラーチルは微笑む。その目は、黒い深淵を湛えていた。
「君の中には、創造主が仕掛けた“何か”がある。それが君を君たらしめている。」
彼女は胸の中央を、指先でそっとなぞる。
「でもね、リトマス。そこにあるのは、本当に“君”なのかしら?」
私の鼓動が、不規則に跳ねた。
「さあ、選んで?」
シラーチルが背後に手を回す。
ぬるり、とした音と共に、彼女の指が影の中から何かを取り出した。
それは、ナイフだった。
漆黒の刃。
滑らかな曲線を描きながら、その表面には血管のような文様が脈打っている。
刃の先が脈動し、まるで生きているかのように揺らめいていた。
「これが、“鍵”よ。」
シラーチルはナイフを私の目の前に差し出す。
「創造主を殺せば、君は“本物”になれる。」
私は、その刃の向こうに彼女の顔を見つめた。
「……もし、拒んだら?」
シラーチルはゆっくりと首を傾げる。
微笑みはそのまま、だが瞳の奥にある光が変化した。
「その場合、君は“不要”ということになるわね。」
「……不要?」
「ええ。」
その瞬間、影が私の足元に絡みつく。
シラーチルの笑みが、一瞬だけ嗜虐的なものへと歪んだ。
「不要なものは、廃棄する。」
刹那、影が牙を剥いた。
私は息を呑む間もなく、黒い闇の渦に飲み込まれた——。