16
私の指先が、ゆらめく壁に触れた瞬間——
世界が弾けた。
強烈な光とともに、意識が引きずられるように過去へと沈んでいく。
——静かな雨音。
窓の外には灰色の空が広がっていた。
冷たい空気が肌を刺し、頬に涙が伝う。
「——ごめんね」
誰かの声がする。
私は顔を上げた。
そこにいたのは、優しい目をした女性だった。
肩まで伸びた髪、細い指、そして少し疲れたような微笑み。
……誰?
見覚えがある。忘れるはずのない、大切な誰か。
なのに、思い出せない。
心の奥に引っかかる何かを感じながら、私は一歩前へ踏み出した。
「あなたは——」
「大丈夫、無理に思い出さなくてもいいの。」
「……どうして?」
「思い出したら、あなたはきっと苦しむから。」
優しく微笑みながら、女性はそっと私の頬を撫でた。
その温もりに、胸が締めつけられる。
「でも、私は——」
知りたい。
思い出したい。
この人が誰なのか。
この場所がどこなのか。
私は——何を忘れてしまったのか。
「大丈夫よ」
女性はもう一度微笑んだ。
「あなたはあなたのままでいて」
そして、静かに後ずさる。
まるで、消えてしまうように。
「待って!」
私は手を伸ばした。
けれど、指が触れる前に——
世界は砕け散った。
——気がつくと、私は再び広間に立っていた。
目の前には、さっきまでの映像が映る壁。
少年が静かに私を見つめていた。
「……思い出せた?」
「……わからない」
確かに、何かを見た。
何かを感じた。
でも、それが何なのか、私にはまだ分からない。
「焦らなくていいよ」
少年は静かに言った。
「記憶は、時間とともに戻るものだから。」
「……私は、何を忘れてしまったの?」
「君がずっと抱えていた痛み——そして、本当の『君』だよ。」
少年の言葉に、胸の奥がざわめいた。
「君は、本当に“今の君”なのか?」
「……え?」
「この世界が、君にとって本当に現実なのか?」
「私は……」
言葉が詰まる。
何かが、私の中で崩れていく。
今まで信じていたものが、ぐらついていく。
私は——本当に、“私”なの?
「さあ、どうする?」
少年が私を見つめた。
「このまま、目を逸らす?」
それとも——
「真実を知る?」
私は、拳を握った。
そして——
「……私は、知りたい」
そう、答えた。