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「お、近くに独身のドールがいるぞ」
ソファに座り込んだダンゾーがフェアリーフォンを見ながらそう言った。
「あ、でもこれはラノロロラなのか。100メートル以内だ」
「それ、何のアプリですか?」
ハルオがダンゾーの後ろに回って画面を見ると、地図のように見える画像が表示されていた。
『フィーリンク』
ダンゾーが指さした左上に小さくロゴが出ている。これがアプリの名前らしい。
「ドール関係の統合ソフトだよ。ハルオも起動してみれば?」
ハルオはフェアリーフォンを全くチェックしていなかったことを思い出した。ソファに座り、お茶を一口飲むと、暗くなっていた画面をタッチしてスリープ状態を終わらせる。ざっと確認しただけでも、今までなかったと思われるアイコンがいくつか表示されていた。
『王国民のしおり』『王国民ネット』
このあたりは聞いたことがあった。『フィーリンク』のアイコンもある。
あることを思い出したハルオは『王国民ネット』を起動してみる。SNSのようなものらしく、操作方法も容易に把握できた。
「エミール ベンセイド」「ベンセイド」どちらで検索してもそれらしい人物はヒットしない。アルファベットでの正確な綴りは知らなかったが、それらしいアカウントはなかった。彼はまだ列車の中なのだろうし、フェアリーフォンのロックも外れていないのだろうとハルオは納得する。
次は『王国民のしおり』あたりを開いてみようかと思った時、ダンゾーが話しかけてきた。
「見てくれ!ドールキャンプの予約ができるみたいだ!」
ハルオに向けられたディスプレイには『ようこそ 王立造愛園 白老ポロトの森へ』というフロントページが映っている。
「今夜には新しいママとキャンプファイアーができるぞ!」
ドールと男たちが火を囲んで踊っている写真画像が、目立つ位置に貼られていた。ダンゾーは夢中になっている。
「ここからでもかなり細かくパートナーの条件が指定できるな……俺が選ぶのはもちろんフワフワモフモフの犬系ケモ娘ちゃんで決まりなんだけど……あとは軍隊経験があったほうがいいな」
「ママ」「ケモ娘」といったあたりは一般的な嗜好だが、「軍隊経験」の一言にはハルオにも軽く戦慄が走った。喜色を浮かべてケモママの厳しい軍事教練を受けるダンゾーの姿が脳裏に焼き付いてしまう。
「対応できるんですかその要望……」
ハルオは当然の感想を口にする。
「ああ、それは大丈夫。おおまかな希望には間違いなく沿ってくれるし、細部はこっちの脳をいじって気にならないように調整してくれるらしいから。まあ譲れないものもあるけど」
何かとんでもないことを言われた気がしたハルオだったが、受け止めるまでに時間がかかった。
「え、それヤバいんじゃ」という言葉を出すのが精一杯である。
「条件一致で即カップル成立です!じゃ悲しすぎるだろ。納得感とか、自己決定感とか、すてきな物語感とか、そういうのを植え付けてくれるんだよ薬だか何だか使って」
さらにダンゾーがたたみかける。
「人にもともと備わってる愛する力をちょっと応援してあげるだけ、って書いてあるよここにも。いやがってるのを無理矢理ねじ曲げるのはできないから安心しなよ」
どうでもいい感じのゆるキャラがショルダータックルでハートマークに活を入れているイラストのついたコラムが、ダンゾーのフェアリーフォンに表示されていた。
「このあたりの議論は大昔に終わってて、結局これがドールにも人間にも一番幸せなんだって結論は動かないんだ。納得しない人は造愛園を使わなければいいだけで」
ダンゾーの言うことはさすがに現実離れしていた。そもそも彼の知識は正しいのか、正しいとしても一体どこで学んだのか、という問題は、出会ってからずっとハルオの頭の中にあったので、この際聞いてみる必要があるようだった。
ハルオがそう問いかけようとした時だった。後から思えばドアの開く音だったのだが、
金属が触れあうごく小さな音が聞こえたような気がした。
何かが起こったのだということだけはハルオにもわかった。鋭い空気の動きと、床を蹴る連続的な振動が、瞬間的に目の前に到達したのが感じられたからだ。
薪が爆ぜるような音がそれに続いた。灰色の影のようなものを、かろうじて目が認められたかもしれない。
ダンゾーが短い悲鳴を上げてソファから転げ落ちた。体をかばうような動きが全くなかったので、おそらく意識を失ったのだろうということが見て取れた。
破裂音はスタンガンの類を使ったのだと想像する余裕はハルオにはなかった。それよりも重大な事実が目の前に突きつけられていたからだ。
この来襲者をハルオはすでに知っていた。
自分を見下ろす薄緑の瞳も、二房のねじ曲がった亜麻色のおさげも、乱れのない王国軍の制服も、黒い靴下に包まれた華奢な足首も、当たり前のようにそこに存在していた。
ガラスに隔てられて見た、完璧な造形の顔立ちは寸分違わずあの時と同じだったが、優しげな雰囲気は完全に消えている。美貌からうかがえるのは張り詰めるような緊張感だ。
「……説明している時間がない」
シー・ドールは素早くそう言った。よく通るアルトの声だった。
アレーニャが立っていた。