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 国境の長いトンネルを抜けると王国領だった。山の斜面に立てられた巨大な看板が朝の光を浴びて白く輝いている。

 

「ようこそ王国へ お帰りお兄ちゃん!!」


 主席国家妹の「のえみん」ちゃんのイラストが、元気いっぱいでこちらに微笑みかけていた。乗客たちは一様に安堵した表情で車窓の光景を眺めている。もう怯えなくてもいい。ついに彼らは祖国を得たのだ。


 荒れ地と山以外になにもない風景だったが、すべてが希望に満ちているように思われた。みな不安はあっただろうが、後悔はなかった。彼ら全員がこの島に骨を埋めることになるだろう。


 乗客の一人が視界を移動する小さな点のようなものに気づいた。上空にぽつんと浮かんだそれは、徐々に輪郭を明らかにさせ始め、こちらに近づいてきていることがわかる。予感が確信に変わるまでに、それほど時間はかからなかった。


「ドールだ……」


 彼が思わず呟いた瞬間、車内のほぼ全員が立ち上がった。スマホのカメラを慌てて起動するものもいる。誰かが指で示した先に視線が一斉に集まった。


 虐げられ、社会を捨てた者たちの希望そのものが、秋の青空を鮮やかに飛翔していた。ランドセル型のウェポンベイを背負ったJSタイプのシー・ドールだ。彼らが生まれて初めて目にする、正真正銘本物の航空妹だった。


「yeaaaaaaaah!!」


 太った若い白人男が両手を突き上げて雄叫びを上げ、車内の注目を一瞬集めるが、誰も後には続かなかった。彼らは基本的に感情表現が苦手なのだ。しかし、車内のテンションは静かに確実に上がっている。


 頃合いを見計らったようなタイミングで、スピーカーから車掌の声が流れ出した。


「えー、上野発特別封印列車『ひぐまっくす2号』、先ほど青函トンネルを抜け、無事王国領へと入りました。えー、新国民のみなさまは左手をごらんください。千歳基地所属のルーキー・シーであるアレーニャちゃんが、みなさまにご挨拶をいたします。王国の誇り、シー・ドールの愛らしいフライトをぜひお楽しみください」


 アレーニャと紹介された少女人形は、気づけば列車からそう遠くない位置を飛行していた。おさげに編まれた亜麻色の髪が、王国軍のグレーの制服の上を風に踊っている。抱きしめれば折れてしまいそうな少女の華奢な身体が強い空気の抵抗にさらされている様子が、乗客たちの心に何かを訴えかけ始めていた。


 そして奇跡が訪れた。「少女」概念の本質が突如として爆発し、追放されたものたちに千年王国の到来を告げる。魂の救済を受けるために審判の日を待つ必要はなく、楽園は地上に打ち立てられたのだという歓喜が一瞬にして全身を駆け巡る。


 アレーニャちゃんが笑っていた。こっちを向いて手を振っていた。


 菩薩。ほとばしる観音力。どんないやらしい存在も平気で受け入れてしまいそうな圧倒的な肯定のオーラが無尽蔵にあふれ出ていた。


 今まで見てきた人間の笑顔は、きっと全部出来の悪いまがい物だったのだろう。アイドル、ジュニアモデル、恋人、母親、娘、記憶の中のどんな笑顔も、アレーニャちゃんの微笑みに比べればカスだった。


これほどの美しさは自然の摂理が許すまいと思われるまでに整ったアレーニャちゃんのお顔ばせだったが、近寄りがたい冷たさはまったく感じられない。親しみやすさはむしろ人間の精神では耐えられないレベルに達しており、未だ存在しない何らかの機器でそれを観測した場合、インジケーターは振り切れ、加熱暴走の末の爆発へと至るだろう。


 細められたまぶたの奥に潜む薄緑の瞳は重力の井戸と化し、見る者の魂はことごとく囚われの身となる。その気のない者も、この瞳に誘われれば確実に堕天する。ドールを撮影した映像の流通が、社会(シャバ)で厳しく規制されている理由もわかろうというものだ。


「不気味の谷」などという言葉ははるか彼方に置き去りにされていた。男たちが夢見た少女のイデアに実体が与えられたのだ。


 倫理を巡る議論、人類社会そのものを脅かしかねないのではないかという懸念、歴史に残る幾度もの危機的事態といったことなど、男たちにとって最早どうでもよく、アレーニャちゃんの笑顔はただただ尊い。


 涙を流すものもいた。はめ殺しの窓に張り付き、あらん限りの力で手を振り返す中年男の呼び声が、空しく車内に響いた。


「おーい……おーい……」


永遠に終わってほしくない、そんな時間だった。人々の目から隠れるかのような暮らしに傷ついていたものたちにとって、目の前の光景は中毒的なまでの癒やしの力を持っていた。


「もっと……こっちへ……」


「きれい……」


 アレーニャが機動を繰り返すたびに漏れる夜行明けの腐ったため息でさえ、罰を受ける必要はなかった。すべての存在が、抵抗できないほどの優しさに包まれている。


 これ以上続けば失神するものや正気を失うものが出るのでは?という意味での限界が近づいていた。


 そんな状況も承知しているのだろうか。車掌がスピーカーから語りかける。

「いかがでしたでしょうか。ドールこそ王国の象徴であり、存在意義だということがおわかりいただけたことと思います。我々はドールと絆を結ぶために生まれてきたのです。みなさまの決断は正しかった。王国はみなさまの実り多き新人生を心からお祝いするものであります。空想的妹主義万歳!かわいらしいアレーニャちゃんに拍手を!」


 未練がましい小さな拍手を送ればマシなほうで、ほとんどの乗客は口を開けて立ち尽くしている。みな、幸せな時間の終わりを認めたくないようだった。


 アレーニャは正面を向いて頭の上で両手を振り、口を大きく三つ動かす。


「ま た ね」


 そう言っているようだった。

他にも書いてるのあるんで更新は遅くなります

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