第〇章――小さなマリアの、小さな『大冒険』の始まり
今の私は、引きこもりだ。
小学校位までは普通に学校に行く事も出来たし、友達も沢山いた。でも中学校に通う様になった位から皆、変に付き合いが悪くなっていった。
私のお母さんは日本人だけどお父さんはアメリカ人だ。だから二人の子どもの私は外見が少し他の子とは違う。
私の目はうっすらと青い。光の加減でそう見えるそうだ。他にも髪の毛が淡い色でとても細いから凄く目立つ。
多分、そう言う違いが避けられる様になった原因……なんだと思う。
小さな頃や小学校の頃はまだ、羨ましがられたりする事が多かった。他の子と違う事がそんなに気にはならなかった。だけど中学校に通う様になって、小学校からの友達は皆違うクラスになった。私の事を知っている子は殆ど身近にはいなくなってしまった。
そんなある日の放課後の事だった。
小学校の頃から友達だと思っていた子が、他の学校出身の子達と話しているのを偶然、聞いてしまった。
「――んー、あの子、すっごい目立つからさあ? 多分、同小で本当に友達だ、って思ってる子はいないんじゃないかな?」
それを聞いてしまった時は本当に息が出来なくなる位にショックを受けた。その日は何も出来ず、部活の見学も全部辞めて逃げる様に家に帰ってしまった。
それから私は学校へ行けなくなった。
人が怖い。怖くて仕方がない。
誰にも会いたくない。声も聞くのも怖い。
自分の部屋でベッドの中にいると、どんどん怖い考えだけが湧き出してくる。もしかしたら他の友達だと思っていた子達も皆、そう思ってたのかも。あの子もあの子も……それにあの子だって――そう思うともうダメだった。
それから私は学校だけじゃなくて、家を出る事まで出来なくなっていった。近所の人達、いつも挨拶してたお店のおじさんやおばさんも。笑顔の裏ではそう思われていたのかもしれない。そう考えると身体が動かなくなってしまう。声が……出せなくなる。
お母さんの事は大好きだけど、それが余計に申し訳なくて顔を合わせられない。まさか自分の娘がそんな風になってるだなんて知られたくなかった。
イジメられる理由がお父さんの血の所為だなんて……そんな事思いたくないし理由だって説明出来なかった。
それにもうこうなると、今更家を出ても会った人達からきっと何か思われちゃうに違いない。
『――あの子、引きこもってるらしいよ?』
そんな事を囁かれそうで余計に表に出られなくなっていく。こう言うのを『デス・スパイラル』って言うらしい。
私が『学校に行きたくない』と行った時、お母さんは余り怒ったりはしなかった。いつもと同じ調子で『そっか。なら休みなさい』とだけ言ってくれた。
でも勉強はちゃんとする様に、身だしなみもきちんとしなさい、とだけ言われた。今になって思うと、もしかしたらお母さんは私が登校拒否になった理由を知ってたのかも知れない。
それでも……そう思ってもちゃんと言えない。話そうとすると声がでなくなってしまう。
――……このまま私、死ぬまで独りぼっちなのかなあ——。
そんな事を考え始める様になった時、出張中のお父さんから荷物が届いた。
少し大きな箱の中には綺麗なデザインのパソコンと小さな箱が入っていた。一緒に入れられていた、ちぎり取られたメモには一言だけ書き添えてあった。`
『To Marie. Hi dear. Let`s play it. :-P from Dad.』
(マリーへ。やあお嬢ちゃん。それをやってご覧。お父さんより)
私はよく分からないまま、その小さな箱を開けた。
パソコンのケーブルをコンセントに差して、電源を入れて。箱の中に入っているUSBメモリをパソコン本体に取り付けてみる。しばらくチカチカとランプが点滅する。すると……何もしていないのに勝手に映像が流れ始めた。
草原や雪山、密林が映し出されて風景が流れていく。中世ファンタジーっぽい人が大勢集まっているのが見える。
やがて画面が切り替わって、Registrationというページが開く。
――レジストレーション……登録、かぁ……。
私は名前の欄に『Marie Todo』、と入力した。
うちのダッド、お父さんは婿入りだ。お母さんと結婚して、お母さんの籍で日本国籍を取っている。
お母さんの名字の『藤堂』を選んだのは、日本だと英語やカタカナの名前は大変だからだそうだ。日本のお役所は日本語だと問題ないらしいけど、アルファベットだとトラブルが多いらしい。お父さんは三男で、元は日本で家を構えるつもりだったから問題なかった、って聞いてる。
普通なら日本語姓は発音が難しくて大変らしいけど、上手い具合にお母さんの実家は『藤堂』。英語になってもそれっぽく聞こえる名前だ。
『藤堂』と言う名字は英語で書くと『Todo』。つまり『する事』って言う意味になる。
名字がそんな具合だったから、私の名前をつける時も日本、英語のどちらでも通用する名前を考えたらしい。
私の名前は『毬絵』と書いて『まりえ』と読む。漢字で書くとすごく難しい。でも英語だと『Marie』。これは『マリー』とも読める。
ある意味ワールドワイドで世界的な名前だけど、私は閉鎖的……クローズドだ。そんな事を思わず考えてしまって、私は少し凹んだ。
住所まで入力して登録が終わると、そのまま次の画面があらわれた。画面には『Build New Character』(新規キャラクター作成)と書かれている。
真ん中に男女が並んで立っているのが見える。うーん……なんだか男女どっちも絵面が濃ゆい。
取り敢えずちょっぴりマシに見える女性を選んでみた。すると今度は調整するツマミみたいなパネルが表示された。細かく色々出来るっぽいけれど、私には良く分からなかった。
……なんだか、面倒っぽいなぁ……。
そう思って画面を見ていると、すみっこに『Randomize』と言う文字が見えた。私はぼんやりしながらそのボタンを押してみた。
画面の中の女性がボタンを押すたび、いろんな年齢、人種、髪型や色に変化していく。それと一緒に『Character Name』と言う項目も勝手に変わる。ああ、楽ちんでいいなぁ……そう思いながら二十分ほど延々と押していた。
そんな時だった。
突然画面に、今までに見た事が無い位小さな子どもの姿が現れた。
あ……なんだか可愛い……かも。
私はボタンから手を離すと、画面に顔を近づけてその姿を眺めた。何もしていないと画面の中で小さな女の子が勝手にその場で足踏みして走ったり歩いたり。その動作にあわせて肩くらいまである金髪がふわふわ揺れている。
……すごく元気な女の子、って感じ?
それはまるで童話かお話に出てきそうな綺麗な金髪の、可愛らしい女の子だった。
他の人の絵は女性でも妙にマッチョだったり、声が乱暴だったり。そんな変なのばかりで、その中だと珍しくて思わずじっと眺めていた。
――そういえば、この子、名前は何て言うんだろう?
そう思って名前の欄を見てみると『Maria』と言う文字が表示されている。英語の名前だととてもメジャーな名前だ。そういえばボタンを押していた時も何度か表示されていたっけ。私が生まれて名前をつける時に候補の中にもあった、と言う話を小学生の時に両親から聞いた事がある。
……うーん……まあ、他のに比べるとまだ可愛らしいし。それに他の人はどれもたくましすぎる感じで、ちょっとアレだし……この子にしよう。名前だって今の私と一文字違うだけだし、私の名前候補にもあった名前だし。
特に何も考えず、私はそのまま右下に表示されている『Create(作成)』と書かれたボタンを押した。
*
画面を眺めながら、私はちょっぴり後悔していた。と言うのも……始まったのはいいんだけど、その後の映像が……ちょっと……。
あたたかそうなランプの光の中。木目が目立つ家具がある部屋の中で、小さな女の子――マリアが椅子に座っていた。テーブルに肘を付いて、頬杖をついている。椅子がちょっぴり高いみたいで、足をぶらぶらさせているのが凄く可愛らしい。楽しそうで一生懸命何かを話している姿がとっても子どもらしかった。
映像の中のマリアはさっき見た時よりももっと小さい女の子だった。楽しそうに何かを話しているマリアの視線の先には質素な服装の女の人がいる。多分……お母さんかな? きっとそうだよね。
裕福じゃないけど平和な晩御飯のひとときみたい。なんだかほのぼのしていいなあ。名作劇場とかのアニメみたい。女の人が笑顔でシチューを木製の器によそって、マリアがいるテーブルまで運んでくる。
そんな時だった。いきなりけたたましい音楽と、騒音が流れ始めたのは。
部屋の窓がパリン、と言う音を立てて砕ける。そこからニョキっと現れる棍棒。それと一緒にモンスターが部屋に入ってきた。
床の上にシチューがぶちまけられて、そのすぐ向こうでマリアが床に座り込んでいる。お母さんの姿は見えない。見えない――んだけど。マリアの姿に重なって人影が動いているのが見えた。
……うわー……これ……絶対、お母さん……やられちゃってる……よ、ね……。
私は思わず顔をしかめた。のんびりした平和な世界だと思ったら全然そうじゃなかった。
怯えるマリアの顔がアップになっていく。どんどん、どんどん……そのままマリアの目が画面一杯に広がった。
その瞬間、いきなり画面が切り替わった。家の扉を蹴破って、壮年っぽい感じの男の人が入ってくる。勇ましい鎧を着ていて手には剣を持っているのが見える。その男の人は大きなトカゲ人間と闘った末についにやっつけた。
次のシーンは村が燃えているシーンだった。すぐそばの丘の上。生き残ったらしい人達が呆然とした顔で燃える村を眺めていた。殆どが大人ばかり。そんな中で子どもはマリアたった一人。膝を抱えて不安そうに、寂しそうに座っているのが見える。
たった一人――ひとりぼっちで。きっと……あのお母さん、殺されちゃったんだろうな……。
マリアの目に燃える村が映り込んで。限界までその目がアップしていくとそのまま真っ黒な画面に変わった。そこに浮かび上がる文字。
『Five Years Later.....』(五年後……)
だけど……私はそれ以上、見ていられなかった。そっとパソコンを閉じて、机から離れてベッドに倒れ込む。
もっと平和で優しいのかと思ってたのに……可哀想すぎて見てられない。
――お父さん……ちょっとこれ、酷いよ……。もうべっこべこだよ……私、女の子なんだよ? なんでこんな乱暴なの送ってきたのよ――。
ブルーな気持ちになったまま、私はそのまま寝てしまった。
*
朝、起きてから最初にシャワーを浴びて、それから勉強を始めた。
英語は……まあ、うちの場合は家族の関係もあるから、そんなに難しくない。日本の学校は英語の文法にすごく厳しいからそれだけはちょっぴり大変だけど。
でも、それよりも……私は数学が特に苦手だった。
『数学は必ず答えがある。それがいい』――そんな事を言う人もいる。だけど私はその理由があまり好きじゃなかった。一つしか答えがないのはそれ以外が無いって事だから。
血液型占いみたいな物だ。血液型は変える事が出来ない。だから占いの結果も変えられない。一つしか答えが出せない、それしか答えが無いのはまるで他になれる可能性なんて無いと言われている気がして嫌だった。
まあ、それは我儘みたいな物だって分かってるけど。
でも、小学校の算数と違って数学になると凄く難しくなってしまう。それでも勉強をしている時は煩わしい事を考える事がなくて気が楽だった。
——ああ。もしかしたらそれで勉強しろ、ってお母さんは言ったのかな?
そんな事を思いながら、私は勉強を続けた。
こうしてみると学校で習うのは『教えてもらえる』利点がある。だけど家で自主的に勉強している方が学校でやるよりもずっと多くやっている気がする。
それに勉強していれば少しは食欲も湧いてくる。頭を使うと甘い物が欲しくなるって良く言うけど、でも気が紛れるし下手にいらない事を考えないから気持ちが凄く楽だ。
何もしていないと同じ事ばかりぐるぐると考えてしまってダメだ。こうしていると学校の事とか、まるで遠い世界の話みたいな気がしてくる。
そして数学が終わって、社会の勉強をしていた時だ。昔の生活とかを勉強していた時、不意に昨日やったアレの事を思い出した。
そう言えば……あの後、マリアちゃんはどうなっちゃったんだろう? 目の前でお母さんを殺されて、助かってから五年後。気になり始めるともう勉強が手に付かない。
机の脇に置いたパソコンをそっと開いてみる。画面の電気が入って表示される。画面は昨日ほったらかしにした時のままだ。よく見ると……画面の下の方に『Click』の文字が点滅している事に気がついた。
……うーん、どうしよう……だけど続きが気になって、勉強をする気持ちに全然なれない。
ええい、やっちゃえ!
私は思い切ってクリックしてみた。
*
そこは――緑に溢れる自然豊かな世界が広がっていた。画面の中に見える空には雲が流れていてまるで本物みたい。風が吹いて揺れる樹の枝や葉っぱ。こうして見ているだけでも全部が全部、本物みたいだった。
そんな草原の中でエプロンスカート姿のマリアちゃんは一人だけで立っていた。風に揺れる金髪を眺めていて私はハッと気がついた。
……あれ? そう言えばこれ、どうやって動かせるんだろ?
矢印のカーソルを動かしてみるけど何の反応もない。画面の端から端まで見てみると隅っこに『F1:Help』と言う文字が見えた。
えっと……F1って、どれだろ……?
キーボードの上を探してボタンを押すと画面一杯に簡単な操作説明が表示される。
WがFront(前進)、SがBack(後退)、AとDがTurn(旋回)。QとEがFace Turnと書いてあった。私が取り敢えず『W』を押してみるとマリアが草原の中で歩き始めた。
まっすぐ歩くと、向こう側に見えている樹が少しずつ近づいてくる。マリアは草原の草むらをざわざわと踏み分けながら歩き続けた。画面の中では手前に見えている少し小さな樹がどんどん近くに迫ってくる。
Wを押しながら、今度は『A』や『D』を恐る恐る押してみると方向が変わった。あ、旋回って左右に向く事かぁ……じゃあ『フェイスターン』はどうなんだろ?
そのまま私はQを押すと、歩く方向はそのままでマリアは左側に顔を向けた。画面もちゃんと左側へ向いて、だけどマリアは元のまま真っ直ぐに歩き続けている。
ああ……そっか、これって顔を向けるだけって事なのね。まるで人形遊びで直接人形を動かしているみたいな、そんな感覚だ。
……これ、ちょっとおもしろいかも。
昨日開けた小さい箱の中に確か、タペストリーっぽいハンカチが入っていた筈だ。そこにQuick Manualとか印刷されていたのを思い出して引っ張りだした。
スペースを押すとJump。実際に押してみるとマリアがぴょんぴょんと飛び跳ねる。小さな声で『やっ』『はっ』『たっ』と言う子供の掛け声みたいな物が聞こえてくる。そうやって私は一時間くらい、ずっとマリアを動かし続けた。
うごかしてみると案外面白くて、やっている内にキーを組み合わせればちょっと違ったことが出来る事に私は気がついた。
例えば……フェイスターンで顔を向けたまま、ジャンプすればその方向に身体がまっすぐ向く。
他にも短く二回、連続してボタンを押せばちょっぴり違う動き方になった。前に二回おせば前にぴょんと飛び跳ねる。後ろに二回押せば後ろにささっと飛び退く。
そんな風にただ動いているだけでも楽しくて、私はずっとマリアを動かし続ける。中でも特に面白かったのが『走る』事だった。SHIFTボタンを押しながら移動すればマリアが走り始めるのだ。
画面の中で、周囲の風景がすごいスピードでどんどん流れていく。画面の中央でマリアが一生懸命に走っている。
余り長い間は走っていられないみたい。少しするとマリアがぜいぜい肩で息を始めてしまう。
何度か走り回っている内に、画面の左上にあるStressと言う黄色い横線みたいなメーターが増えたり減ったりしている事に気がついた。これが一杯な内はマリアはずっと走り続けられる……と言う事みたい。
メーターが無くなってしまっても、無理して走る事が出来た。だけど黄色い帯が今度は真っ赤な色で横向きに塗りつぶされていく。それが一杯になってしまうとマリアは立っていられなくなった。その場に両手足を投げ出して大の字に寝転がって休憩してしまう。
――すごい。これ、本当にマリアが生きてるみたい。他にも……何か、出来るのかな――?
こうなってくると急に興味が湧いてきてしまう。私はハンカチを広げて眺める。
画面の向こう側で起き上がったマリアが、座ったままでこっちの方をじっと見ていた。
*
ハンカチに書いてあるだけじゃ物足りなくなって、私は小さな冊子を取り出して眺めていた。書いてある英語を眺めながらお皿に載ったお昼の残りのサンドイッチに手を伸ばす。
お母さんが『ちゃんと食べなさい』と言って作ってくれた物だ。ベーコンとレタス、それにスライスしたトマトが挟んである。他にもゆで卵のスライスも入っている。ベーコンの濃い塩味とパンに塗ってある辛子入りのマヨネーズがマッチして凄く美味しい。
……あんなに食欲がなくて食べられなかったのに……人間の身体って本当に不思議。
食べ終わった後、食器を持って誰もいないキッチンに入っていった。昔は……小学校の頃はシャルルがいて、病気で学校をお休みした時も寂しくなかった。
だけどシャルルはもう今はいない。私が中学校に入学する前に病気で死んでしまった。
シャルルはとても可愛い白い猫だった。小学校低学年の時、私が拾ってきた可愛らしい子猫。昔好きだった『ながぐつをはいた猫』の絵本から、私が『シャルル・ペロー』と名前を付けた。私の住んでいるマンションはペットがオッケーで本当に良かった。
……そういえばシャルルが死んじゃった時も私、ご飯が食べられなくなったっけ。あの時も悲しくて、辛くて、学校を休んでしまった位だった。
シャルルは最後に眠る前に小さく『みい』と鳴いて私の指を舐めてくれた。その時の事を思い出すだけで今でも胸の奥が苦しくなる。
……私は、ストレスとか……そう言うのにきっと凄く弱いんだと思う……。
私のお母さんは普段お仕事で出かけている事が多い。日中は家にいることが殆どなかった。
お父さんはサラリーマン……の筈なんだけど、実際はどういうお仕事をしているのか私は知らない。アメリカの会社であちこちの国に出張で出掛ける事が多いらしい。
お父さんはまるで子どもみたいな性格で私は大好きだ。あと……私にすごく甘い。いつも私の事を気にしてくれていて出張先から必ずいろんな何かを送ってくれる。
本当なら家族揃って一緒に暮らすのがいいんだろうけど二人は私の学校生活を優先してくれた。私が最低でも義務教育を終わるまでは引っ越しをしないって、それは二人が決めた事だった。
……その私は今、こうやって学校にもちゃんと行けてないんだけど……。
誰もいない静かなキッチンで一人、お皿とコップを洗う。乾燥機に食器を置くと私は部屋へと戻った。
*
開いた説明書にはActive Actions……『能動的な動作』が書いてあった。
戦ったりするのは嫌だから余りやる気はないんだけどな……だけど取り敢えず書いてある事は全部やってみる事にしよう。
そう思って、閉じていたノートパソコンを開くと……マリアは草むらで横になって眠っていた。
えー……え、なに? これ、ほっとくと勝手に寝ちゃったりするの!? わー何これ、可愛い……。
画面に顔を近づけた時に思わず手がキーボードに触れてしまう。その途端、画面の中でマリアが眠そうに目元をこすって身体をむくっと起こす。そのまま立ち上がって、最初に操作していた時みたいに後ろからみた画面に切り替わった。
そう言えばこれ、ご飯も食べないとダメみたいだし……本当にこの世界で生きてるみたい。そっか……説明を見てるとこれは『ネットを通じて大勢の人が集まって遊ぶゲーム』らしい。要するに皆で集まって、全員で『お人形遊び』や『おままごと』をする、って事なのかも?
……うん、そっか。うんうん。それなら何となく分かるし、面白そうかも。
となると、他にも色々出来ないとダメだよね。確か説明書によると……矢印のキーで何か出来た筈だ。
試しに私は左の矢印キーをぽん、と押してみた。その途端、画面の中でマリアの左手が可愛らしく突き出される。今度は右矢印。するとやっぱりマリアは右手を突き出した。ぽんぽんぽん、と左右の矢印を交互に押す。するとまるで小さい子がよくやるみたいに連続でポカポカ叩いているアクションを始めた。
説明書に書いてあるのを見て、今度は下矢印を押しながら左右を押してみる。するとマリアは……今度はパンチじゃなくてキックを始めた。子どもらしい短い足が伸びて、エプロンスカートがふわっと翻る。
……なんだか凄く弱そうだけど、でも可愛いし……別にいいかな?
私はマニュアルの開いたページに視線を落とした。そこには『Action is Changed by Equipment』と書いてある。これは『持ち物によって、動作が変わりますよ』と言う意味だ。と言う事は何か持ったり違う服に着替えれば変化する、と言う事なのかも。
そう言えば……マリアが今着ているエプロンドレス。これは最初のムービーで村が襲われた時とそれ程変わっていない。長袖のゆったりとした服で、エプロンスカートと言う姿のままだ。
折角マリアは可愛いんだしもっと可愛らしい服とか着せてあげたいなあ。だけど服とか一体どうすれば着替えさせられるんだろう? その辺りがいまいちまだよく分からない。
そこでやっと私は『今マリアがいる場所』が一体何処なのかと考えた。いきなり草原みたいな場所にいるけど……ここって何処だろう? 一体何をする為の場所で、どうしてこんな処にいるんだろう?
取り敢えずマリアを動かして、周囲を散策してみる事にした。そう言えば……さっきまでは動かす事がとにかく楽しくて周囲を全然見て無かった。
辺りを見回してみるとすぐ近くに小さな家……と言うより『小屋』が建っているのが見えた。そう言えば……最初、あの辺りから大きな樹に向かってまっすぐ歩いた気がする。よく分からないけど先ずはあそこまで戻ってみる事にした。
マリアが小屋の扉の前に立った。扉には小さいドアノブが付いていて引っ張れば開きそう……に見える。
……これ、どうやって開けるんだろ?
扉へ近づいていくと……画面の右下でいきなり、左右の矢印マークが点滅する表示が現れた。マークの下には小さく『Push Key』と言う文字が書いてあるのが見える。
もしかするとこれで開けられるのかな?
扉の右側にドアノブが付いているから、右手を……右矢印のキーを私は押した。するとマリアの右手があがってドアノブを掴んだかと思うと『ぎい』と言う音が聞こえた。
画面の中ではマリアが扉を開いている。
凄い、こんな風に実際に物とかも触れるんだ。
扉を開くと薄暗くて狭い部屋が一つだけあった。部屋の中央には木製のテーブルが置かれている。よく見ると壁にも道具が色々掛けてあってまるで山小屋みたいだった。
マリアを操作してテーブルの前までくると、その上に色々な道具らしい物が置いてあるのが見えた。
……なんだろう、これ? 何が置いてあるのかな?
そう思って近くまで寄ると、途端に道具の縁がうっすら緑色に明るくなった。左右に身体をターンさせると道具の縁が次々に緑色に変わる。どうやらマリアの正面にある道具だけが縁取りされるみたいだった。そんな時、いきなり画面の中央に大きな文字が表示された。
『Get Your Bag』
(あなたのカバンを入手しろ)
えっと……カバン? でも、カバンって言われてもどれだろ……?
しばらく部屋の中を探してまわっていると今度は小さなウインドウが表示される。そこには『Hint!』と書かれてあって、一緒に英語のメッセージが表示されていた。
『Push or Hold Control Key : Focus Items Name』
(コントロールキーを押すか、押しっぱなしでアイテムの名前が表示されます)
……ええと……コントロールキー?
私はキーボードを探してみるけれど、どれかよく分からない。それでも左下辺りに『Control』と小さくかかれたキーを何とか見つけた。試しに一度だけ押してみると、瞬間的に画面に文字が現れる。それで次はボタンを押しっぱなしにすると文字が浮かび上がったままになった。こうやって道具とか見る事が出来るのね。
正直、絵だけを見ても何なのかわかりにくかったから、こうやって文字で出てくれるとわかりやすくて助かる。そうしてやっと私は『Waist Porch (Small Bag)』と言う文字を見つけた。
カバンが正面になるようにして右矢印のキーを押してみるとマリアが右手でそれを掴み取った。だけど手にとった途端、いきなりファンファーレの音がなって私は思わずビクッとした。
……ああ、びっくりした……。
『Equip Your Bag』
(あなたのカバンを装備しろ)
今度はそんな文字が大きく表示されている。それと一緒に画面の右下で上矢印のマークがちかちかと点滅しているのが見えた。
……ああ。そっか、こう言う感じでやり方を説明してくれてるのね。
それが分かった私は指示に従って今度はキーボードの上矢印ボタンを押した。すると今度はずらっと画面上にリストが表示される。
上から順番に、
『[E]quip』(装備)
『[U]se』(使用)
『[B]ag』(バッグ)
『[T]hrow』(投げる)
『[C]ancel』(キャンセル)
沢山の文字の中から『Equip』と言う文字を選ぶ。すると今度はその横に新しくリストがずらっと現れた。
Body(身体)、Waist(腰)と言う文字があって、Waistを上下矢印のボタンを押して選択する。選んだ途端、画面の中でマリアがいきなりゴソゴソと動き出した。
しばらくすると腰にカバンを取り付けおわって、またファンファーレが鳴った。
……ふぅん……こうやって矢印の上を押して、色々使ったり出来るのか……。
説明書には『Open Menus』(オープンメニュー)と書いてあったけど、そう言う事みたいだった。カバンを取り付け終わると画面の左上で帯みたいなメーターに少しだけ色が付いた。
うーん、だけど……確かにエプロンドレスも可愛いといえば可愛いんだけど……マリアに、もうちょっと普通に可愛い服を着せてあげたいな……。
そんな事を考えた時だった。そう言えば……これ、服とかどうやって着替えるんだろう?
ふと思って私は何もない処で上矢印のボタンを押した。さっきの要領で『Equip』(装備)の項目を開いてみる。選んでみると、その中に『Wear』(服)と言う項目があった。更にその中には『Apron Dress』(エプロンドレス)と言う項目が表示されている。
……これ、選んだらどうなるんだろ……?
試しに押して見ると……いきなり画面の中でマリアがゴソゴソと動き始める。
……あっ! あっ、あっ、ダメだってば!
だけどマリアはスカートに手を掛けて、そのままガバッと脱いでしまう。シャツにドロワーズみたいな格好になって、手にエプロンドレスを持った状態になってしまった。
慌てて私はもう一度上矢印を押して、エプロンドレスを選択する。それで元通り、マリアはちゃんと服を着てくれた。
……これ、部屋の中で誰もいなかったから良かったけど……。た、試してみておいて、良かった……。
別に自分の事でもないのに、私は思わず胸を撫で下ろした。
*
マリアが服をちゃんと着直した後は同じ要領で部屋の中にある道具を次々に身に付けていくだけだった。
一体何に使うものか分からないような物までどんどんカバンに入れていく。マッチとか水筒とか、他には干し肉みたいな食べ物もある。腕につけるリストバンドみたいな『篭手』と言う物まであった。
そうやって身に付けるたびに左上の帯メーターが増えていく。もしかしたら重さとか、そう言う意味なのかもしれない。
そいて最後に『Choose Weapons』(武器を選べ)と言う文字が表示される。目の前には剣や弓、大きなカナヅチみたいな物まで並んでいる。それで私は思わず考え込んでしまった。
武器、って言われても……あんまり私はマリアに戦わせたくないんだよね。だってマリアはまだ子どもだし、お母さんあんな事になってるし。私だって戦ったりしたいとは思わないし。
だけどあのムービーみたいにモンスターが襲ってくる事があるかも。そう言う時に最低限、身を守れないとちょっと怖い気がする。だけど流石に剣とか、大きなカナヅチは危なすぎる気もするし……。
そうして並んでいる物を眺めているとその中に小さな丸い、トレイみたいな物があるのを見つけた。
説明を見てみると『Shield』、盾と書いてある。種類は『バックラー』と言う物らしい。
盾……んー、盾かあ……それならまだ、ちょっとマシかなあ……?
そう思って私は試しにマリアに『バックラー』を身に付けさせてみた。とても小さい丸いトレイがマリアの左腕に取り付けられる。
んー……まあ、これくらいならまだ妥協出来るかな。そんなに目立たないし、何より小さいし。
もしこれがもっと大きい物だったら私もちょっと嫌だったかもしれない。あんまりゴツゴツした物はマリアに付けさせたくない。だってマリアは小さいし可愛いもの。
……そう言えば装備してアクションすれば違う動作になるんだっけ。それで私は早速部屋の中で左矢印を押してみた。
短く『ちょん』と押すと、マリアはバックラーを付けた腕を振り回す。前みたいにパンチじゃなくて、腕を内側から外に振り回す感じに変わっていた。
今度は左矢印のボタンを押しっぱなしにしてみる。するとマリアは半身になって目の前で左腕を構えて腰を少し落とす。身体を小さくしてまるで何かに耐えるみたいな感じ。
うん……やっぱり戦ったりするよりも逃げられる様にする方が大事だよね。乱暴な事をするよりもちゃんと身を守れる様にしなきゃ。だってマリアは女の子なんだから。
そんな風に考えて私はこの『バックラー』と言うのを選んだ。他には道具として使えるナイフ以外、どれも選ばなかった。
身につけられる物を全部付けて、部屋の中を見回してみる。他にはもう何も必要そうな物は見当たらない。
……もう、いいかな?
そう思って小屋の扉に向かって歩いていく。そして扉に手を掛けた瞬間、画面の中央に小さな確認ウインドウが現れた。
『Go to Online FIelds? (Y/N)』
(オンラインのフィールドへ行きますか? 《はい / いいえ》)
オンラインのフィールド……それって要するに、小屋の外……だよね? こんな小さな小屋で部屋の中にずっといてもやることなんて無いし。
それにあの草原。他にももっと色んな場所があるのかも知れない。もっときれいな処や楽しい場所だってあるかも知れないし。
そして最後に私――マリアは部屋の中をもう一度だけ振り返って見回した。
……うん。もう表に行ってみよう。
そして私はキーボードの『Y』のボタンを押した。
……それがまさか少女マリアの生き方を決めてしまう事になるだなんて。その時の私はそんな事、思ってもいなかった。
鉄壁のマリア(了)