第五話
休日明け、もう授業が始まってから一週間が経った。未だに敬語が抜けきれていないので、友達と話すときに変な日本語になることが度々ある。その友達の一人である茜さんの可愛いもの好きは入学当初と変わらないどころか、趣味の合う人に出会ってしまったせいで拍車がかかってしまい、想定以上の大変な事態になってしまっている。それと七海さんの胸に対するコンプレックスの対応が分からない僕は、体育の時にただでさえ慣れていない女子更衣室で、気を使いながら着替えているので、体育なのに体力よりも気力の方が疲れている。
「いつも気遣ってくれてありがとね」
「そんなこと気にしなくていいよ」
昼休み、申し訳なさそうにお礼を言ってくれた。きっちりしている七海さんらしいが、そういう風なことを言われると照れ臭い。自分はこんなことくらいしか出来ないので、対人関係に関係する能力が高ければ、上手く立ち回ることができたかもしれない。
「そうだよ。細かいことなんて気にしなくていいよ」
「あんたはスイッチが入ったら周りが見えなくなるのは、どうにかならないの」
「それは私の周りに可愛い子がいるのが悪い」
自分は悪くないという言い訳をしていた。普段は人が通りそうな時に道を譲ってあげたりとか、ドアを開けてあげたりしている分、周りが見えないときの行動は嫌でも目立ってしまっている。自制をなるべくしているらしいが、そんな感じは全く伝わってこない。
「それよりも、今度の土曜日遊びに行こう」
僕はやることがないし、人生初めての遊びのお誘いなので、もちろん行く。だが七海さんが浮かない顔をしていたので、気になってしまった。
「どうしたの?」
いち早く察した茜さんが心配した様子で、何か事情があるのか聞いていた。何かあったんじゃないかと思うのは分かるが、それでも身を乗り出しすぎだ。こういうことに関しては真剣になりすぎというか、考えすぎになっている気がする。だが、こういう仲間思いなところが好きで、今まで仲良くしていけたのだと思う。
「まさか遊園地に行くの?」
何か心配事でもあるのだろうか。予定があるならずらせばいいだけだし、行きたくないなら無理に行かなくても、別の場所にすればいいだけだから気軽に言ってくれてもいいのに。僕が言える立場でもないけど。
「違う方がいい?」
「私はいいけど、空ってああいうアトラクションとか苦手そうだから」
確かに高い所は得意ではないが、それよりも友達と遊べるという喜びで、恐怖心なんて吹き飛ばせる……と思うから、僕は大丈夫。
「二人が行きたい場所なら、私はどこでもいいよ」
僕の意見よりも、二人の行きたい場所に行って楽しみたいので、そんなに気を遣ってもらわなくてもいい。それに、僕が二人の仲に入れてもらっている立場なので、あまりワガママを言うのは気がひける。
「私は二人で遊びに行くのに付いて来てほしいんじゃなくて、三人で遊びに行きたいの。だから、そーちゃんがどうしたいか言ってほしいな」
さっきの言い方だと、確かにそんな風に捉えられても仕方ない。気を遣うつもりが逆に気を遣われてしまう結果になってしまったので、二人がどう思うかは分からないけど、僕にも意見を言わせてもらうことにした。
「遊園地はちょっとやめてほしいかな」
遊園地の醍醐味であろうジェットコースターとか怖い乗り物に乗りたくないので、あまり気は乗らない。できればまったりできる場所でゆっくり過ごしたいので、人が混み合うところは、できるだけ避けてほしい。
「じゃあ、買い物する?」
「いいけど、空を着せ替え人形にする気でしょ」
茜さんが七海さんを見つめていた。これはどういう意味で捉えたらいいのだろう。僕から見たら下心を隠して、やましいことなんて考えてないよとアピールしているように見える。だから、僕を着せ替え人形にする気満々なのだろう。
「買い物は却下で」
「えー」
やっぱり思った通りだった。七海さんは茜さんとの付き合いが長いから僕でも分かるくらい見え透いた考えを見抜くことは容易いだろう。
「ななみんの家でゆっくり過ごそっか」
人の家に行くんだったら、マナーとしてお土産とか持っていった方がいいんだろうか。あまり分からないけど、友達の家にお邪魔するのに、何も持って行かないのは失礼にあたる気がする。逆にそこまですると、また気を遣いすぎと言われそうなので、どうすればいいんだろうか。
「それなら、何か持っていった方が……」
「気持ちは嬉しいけど、そこまでしなくてもいいよ」
七海さんが明るく答えてくれた。それなら変にプレッシャーが掛からないから安心だ。だけど、それこそ会って数日の僕がお邪魔してもいいのだろうか。
「じゃあ、ななみんの家で決まり。当日は学校に集合ね」
不安を口にする前に話題が終わってしまった。話を戻すという行為はやりづらいので、そのまま聞きたいことは聞けずじまいになった。
「前から思ってたんだけど、空って弁当の量少なすぎない?」
周りを見てみると、茜さんも七海さんも僕より大きい。元から食べるほうじゃなかったが、女の子になって、すぐにお腹いっぱいになってしまうので、僕はこれで十分だ。
「ちゃんと食べないと倒れちゃうよ」
「これでお腹いっぱいになっちゃうんだ」
「それならいいんだけど、そんなに少ないと心配で」
そういえば、女の子になってから一週間くらい経った後、食が細いことに家族から心配されていたことを思い出した。仕方ないこととはいえ、食欲があっていろんなものを食べられる人が羨ましい。
「こんなに少ないと、私が食べ過ぎみたい」
茜さんの弁当箱を見ると、僕が男の時に食べていた量と同じくらいだった。こうしてみると、男の時でも女の子と同じ量くらいしか食べられていなかったのかと、軽くショックを受けた。
「男子が標準と思ってる女子の食事の量ってそーちゃんくらいなのかな」
「もしそうなら、幻想抱きすぎだけどね」
僕もその一人だった。女の子は男子よりも食べられる量が少ないって聞いたから、僕より少ないんだと思い、お姉ちゃんの食べる量は多いと思っていた。だけど、この二人に加えて、周りの人たちも同じような量の人が多かったので、お姉ちゃんの食べる量は普通だったんだと、この学校で知った。
「そういえばさ、この学校って実力テストとかあるのかな」
「無いはずだよ。予定表に書いてなかったし」
「良かった〜。他の学校に行ってる友達が実力テスト面倒くさいって言ってたから怖くて」
書いてなかったからといって、テストが無いとは限らないと思う。あくまで実力を測るものだけど、成績には入らないとは思えないし、こういうのはいきなりやるのが普通と思ってるので、いつやるかは分からないが対策はしておいたほうがいいだろう。
「でもこういうのって、実力を見るためっていう理由で予告なしでするかもしれないから、やっといて損は無いかもよ」
やはり七海さんも僕と同じ考えをしてるみたいだ。いつかくるであろう日にむけて頑張って勉強はしておいて、万全な状態にしておくことは大事だ。
「大丈夫。私もちょっとは勉強してるから」
ホントに勉強してるか疑わしいけど、一応してると思っておこう。僕は中学で習った内容をちゃんと覚えてるか不安なので、帰ったら復習をきちんとしないといけないかも。
「少ししたところで点数なんてとれないけどね」
じゃあ、なんで毎日勉強しないんだと言いそうになったところを我慢した。
でも、自分が心配してると言っておきながら、余裕があるように見えるのはなぜなんだろうか。僕にも楽天的な考え方ができる脳があれば、不安に感じることも少なくなっただろうから、茜さんの性格は羨ましい。
「そういえばさ、雅紀が告白されたらしいよ」
「雅紀のくせに生意気」
付き合いが長いからこそ言える言葉だが、それにしてもひどい言いようだ。僕は正義感があって、顔もカッコいいからモテても不思議じゃないと思うが、今までを見てきた人たちは評価が違うのだろうか。
「太川くんから写真と一緒に送られてきた。こっそり撮ったから小さくて見えないかも、とか書いてたけど、はっきり顔が見えるくらい写ってた。今度撮影方法教わろうかな」
やっぱり残念なイケメンだ。普通にしていたら爽やかな感じがするのに、やってることが全く爽やかじゃない。
「写ってた子がすごく可愛かったの。私もこんな子と付き合いたいのに、なんで誰も寄って来ないの?」
思い当たる節がありすぎて、どこから指摘したらいいのだろう。この人には暴走してる自覚がないのだろうか。
「とりあえず可愛い子で遊びたいという邪な感情を捨てたらいいんじゃない」
「何を言ってるの。そうなったら私じゃなくなるじゃん。素の私のままでモテたいの」
「じゃあ諦めるしかないね」
「え〜、そんなこと言わないでよ〜」
茜さんのワガママに七海さんが呆れた様子で返答した。その返答で軽くショックを受けたのか、茜さんは机に突っ伏しながら残念そうなトーンで反応していた。
「絶対に可愛い子と付き合ってやるんだから」
声に気合いが入っているのが分かる。こんなことに力を入れないで、もっと他のことに注力してほしいし、こういうことを言ってるうちは宣言を叶えることは無理だろう。
「私の希望としては、そーちゃんと一番付き合いたいけどね」
「じゃあ私は茜みたいな人に空が穢されないように守っていかないとね」
背中から一瞬寒気がしたが、七海さんの言葉でなんだか安心した。なんか僕の周りには性格というのか性癖というのか、そういうもので損してる人が五人中二人もいる。可哀想な気もするが、本人たちはイキイキとしているので、気にしてないんだろう。
楽しい昼休みが終わり、授業を真剣に受けていると、茜さんが集中して机に置いているノートで何かしていた。放課後、何をしていたか聞いてみると、絵を描いていたらしい。
「何のために」
「可愛い子がこっちを見て私を褒めてくれるのが最高の癒しだから」
そう言うと、茜さんはスケッチブックを僕に見せてくれた。中身は可愛い女の子や女の子にしか見えないような男の子が描いてあり、彼女を慰めるようなことがセリフとして書かれてあった。
「どう?」
「絵描くの上手ですね」
あまりの驚きに思わず敬語になってしまった。これは彼女の闇の部分を見てしまった気がする。こんな人でも思ったことをなんでも言えるわけではないんだなと、この絵を見て感じた。
「アレ見ちゃったんだ」
後ろから七海さんが話しかけてきた。やはりこの行動は昔からだったんだ。
「私も初めて見た時、怖すぎて引いちゃったもん」
「私には何が怖いのかさっぱり」
そして自覚がないという、一番恐ろしいパターンのものだ。茜さんにも弱い部分があるのだと理解した僕は、これ以上は絵について触れないというか、怖くて踏み込めなかった。
そして翌日、授業が全部無くなって実力テストが実施された。意外と覚えていないものもチラホラとあったが、自分で納得できるくらいの出来のようには感じる。だが、茜さんはテストが終わった後、意気消沈していた。
「全然分からなかった。入試の時より出来てないかも」
「私もちょっと忘れてる部分、増えてたかも」
やっぱり分からないところは入試の頃よりも増えてるんだなと思いつつ、下駄箱のロッカーを開けると、後ろから喜ぶ声が聞こえてきた。
「有希だって!名前からして絶対に可愛い子じゃん。放課後、屋上で待ってますだって。どんな子なのか楽しみだなぁ」
彼女はウキウキしながら、階段を一段飛ばしで上がっていった。どれだけテンションが上がってるんだと思いつつ、七海さんと話しながら待っていると、がっかりした様子で戻ってきた。
「どうだったの?」
「普通に体格の良い男子だった。バスケ部に入ってるらしいから、私みたいじゃない女子には人気ありそうな感じだった」
いわゆる普通の女の子には人気がありそうな感じだったっていうことか。確かに茜さんの好みとは対極にありそうな人だ。
「なんで私には可愛い子が寄ってこないんだよー」
学校中に響き渡るような大きい声で、魂からの叫びを放っているような感じがした。裏切られたと思っているのが痛いくらい伝わってきた。
「今日は付き合ってあげるからね」
「ありがとう」
七海さんも傷心している茜さんを背中をさすって慰めながら帰って行っていた。こういう光景を見ると、相手のことを大切に思っているんだなと感じる。