第三話
春休みが終わり、今日から期待と不安でいっぱいの高校生活が始まる。制服を着る練習を両手で数え切れないくらい何回もしたので、もう着替えはお手の物だ。
そして、言葉遣いも気をつけろと言われていて、女言葉は話せなくてもいいが、一人称は絶対に私と言えと言われているので、うっかり僕と言わないよう、常に敬語で話しておけば大丈夫だろう。
「空、準備終わった?」
「うん」
それにしても、お姉ちゃんがスーツを着ているなんて、僕からすれば違和感の塊だ。初めてその姿を見た時は思わず吹き出して笑ってしまった。
お姉ちゃんも僕と家を出る時間が同じなのだが、向かう方向が逆のため、家の前でお互いに別れの挨拶をしてから出かける。
距離が近いから選んだ訳ではないが、僕の通う高校は家から近い方なので、徒歩とまではいかないが、自転車で通える位置にあるから結構楽だ。
学校に着き、駐輪場に自転車を止めて鍵を閉めると、自分が所属するクラスへと足を運んでいたのだが、朝から僕の精神をへし折ろうとするイベントが起こった。
「この入学式が終わったら、どっか遊びに行かない?」
これが俗にいうナンパというやつなのだろう。せっかく話しかけてくれたのに、嫌ですと直球で断るのも相手に悪い気がする。でも遠慮しすぎて、回りくどい言い方をして僕が断ったことに気づかずに、話しかけられ続けるのも精神衛生上よろしくない。さて、どう返答すればいいのだろうか。
そんなことを考えていると、後ろから男子生徒が話に割り込んできた。
「この子、嫌がってるので諦めてもらえますか」
代わりに断ってくれるのは嬉しいが、こんな威圧的な言い方をすると、相手が逆上して怒ってくることがありそうだから、もう少し言葉や態度には気を遣ってほしい。
「俺は君じゃなくてこの子に話しかけてるんだけど。邪魔だからどいてもらえるかな」
ナンパをしてきた男子生徒は、僕の方を指で指しながら、少し怒り気味で話していた。喧嘩一歩手前みたいになるという、予想通り面倒なことになってきたが、逃げ出すこともできずに、僕は石像のように体が固まって立ち尽くすことしかできなかった。何かしないといけないのだろうが、下手に行動すると事態を悪化させてしまう恐れが大いにある。あまり期待できないが成り行きに任せるしかない。
すると、後ろから女の子が近づいてきて、指を指してきた男子生徒の肩を叩き、僕から離れたところへ行って、何かを話したかと思えば、この場から逃げるように一目散に校舎の中へ走っていった。
「相変わらず凄いな」
「困っている人が居たら助ける。当たり前のことをしたまでよ」
今回は運が味方についてくれたおかげで助かった。今時こんな優しい人たちがいるだなと感心してしまった。
「で、本音は?」
「さっきも言ったじゃない。それが本音よ」
おっと、考え事をしてる場合じゃなかった。きちんとお礼をしないと。それにしても仲良さそうに見える。もしかしてお付き合いしているのだろうか。もしそうだったら、僕みたいなお邪魔虫はさっさとこの場から離れた方が良さそうだ。
「あ、ありがとうございましゅ」
この場から早く立ち去らないといけないと思いすぎて、ちょっと焦ってしまった。でもきちんとお礼はしたので、早歩きで自分のクラスへ行った。
行っている途中、なぜか背中から寒気がした。誰か僕の噂でもしているんだろうか。もしそうなら、きっとお姉ちゃんかお母さんに違いない。だって他の人が僕のことを知ってるわけないし、仲が良い人が居なかったから、あの二人しかありえない。
そして、しばらく経った後に今度は寒気だけじゃなく、身の危険を感じた。ナンパの件はもう終わっているはずなのになぜだろう。なんか妙に顔を上気させながら獣のように理性が失った状態で服を持って襲ってくるビジョンが鮮明に浮かんできた。
なんか今日は怖いことばかり起きるな。何か僕が悪いことを知らない間にしていたんだろうか。教室に入って自分の席に座ると、もうグループが出来上がっているように見え、もう友達を作るのに失敗したのかと落胆していると、目の前にも一人で座っている人が居て、少し安心した。
「あの人スタイル良くない?」
「おい、お前話しかけて来いよ」
周りからのヒソヒソ話が聞こえてきた。確かに僕の前に座っている人はスタイルも良いし、身長も周りの男子生徒と比べても、大差ないどころか、この人の方が少し高いんじゃないかと思えるくらい高い。僕からしたら何センチか譲ってほしいくらい羨ましい。
「ななちゃ〜ん、久しぶり〜」
「久しぶりって、昨日も一昨日も遊んだじゃない」
「そうだっけ?」
先ほどとは打って変わって、同じ人とは思えないくらい楽しく会話していた。そして、その会話の相手が、僕をナンパから守ってくれた女の子だった。
「同じクラスって知った時、飛び跳ねるくらい嬉しかった」
「本当に……」
そのナンパから助けてくれた女の子と目が合った。その人の目はキラキラしていて、ちょっとトロッとしていて目の焦点が合っているのか不安になるくらいだったので、怖くて目を逸らせなかった。
「ナンパされてた子だよね?」
「そうですけど」
「怖かったよね。これからは私が全部守ってあげるから安心してね」
この人からお姉ちゃんと同じ匂いがする。きっと身の危険を感じたのも、そのせいだったんだろう。
「この子、あなたみたいな子を見ると興奮して周りが見えなくなるから気をつけてね。そうなると誰も止められないし、助けられないから」
そう言ってきた女の子は、耳打ちした後に視線を下に向けた途端、少し落ち込んでいた。
「私もあなたのように背が高くなりたいんですから、お互い様ですよ」
「背が大きいより、胸が大きいほうが良いに決まってじゃん」
これは僕が喋れば喋るほど追い込んでしまう気がする。どうやっても逆効果になるだろうし、何をすれば元の状態に戻せるのか考えていたが、もっとややこしい事態が起きた。
「もう抱きしめたくなっちゃう」
横から僕のお腹に抱きつき、嫌でも僕の胸が強調されるかたちになってしまい、それが偶然、目に入ってしまったのか、もっと落ち込ませてしまった。
もうどうしようかと焦って周りを見渡してみると、皆こっちを向いて呆然としていた。
注目されることさえ慣れてないのに、こんな恥ずかしい姿を見られるなんて耐えられない。頭が真っ白になるどころか考えることを拒否していて、そのまま時が過ぎるのを待つしかなかった。
いつの間にか意識が失っていて、気がついたら担任であろう先生が教壇の上に立って話していた。机の上にはプリントが配られており、先生はそのプリントの説明をしているようだった。
「入学式始まるから、各自体育館に集合」
話聞いてなかったから、何のことを話していたのか気になるけど、聞く相手も居ない。どんだけ寂しいんだと思いつつも体育館に向かっていると、声が聞こえてきた。
「あの子と一回付き合ってみたいな」
「確かにな」
周りを見ると、結構美人や可愛い子がちらほらと居るので、恋人にしたい人は多いかもしれない。だけど、僕が今の状態で女の人と付き合うと同性愛になってしまうし、かといって男の人が恋人なんて何か嫌なので、誰かと恋愛に発展するなんて考えられない。
体育館に入ると、新入生がこんなに人が多いことに驚いてしまったり、元気な人だったり真面目そうな人だったりといろんな人を見て、周りの景色を観察したりしていた。
校長先生や生徒指導の人など、いろんな話を聞いた後、教室に戻ってゆっくりしていると、僕がさっき傷つけてしまった女の子が話しかけてきた。
「さっきはごめんなさい。悪気はなかったんだけど、胸が大きい人を見ると、羨ましすぎて卑屈になっちゃうときがあるの」
きちんと謝ってくれた。おそらく地雷さえ踏まなければ良い人なんだろうなというのは伝わってきた。僕の場合は大量に地雷が埋めてあるところにいるだろうから、踏まないよう努力しても無駄かもしれないけど、一応頑張ろう。
「大丈夫ですよ。むしろ私のせいで気分を害されたんですから、こちらこそ気遣い出来なくてすみません」
椅子に座りながらは失礼かもしれなかったけど、頭を下げて謝った。
「そんな改まらなくてもいいよ」
気を遣ってくれたのだろうが、その心遣いが逆に申し訳なさを感じてしまう。もっと自分にコミュニケーション能力があったら、こんなことにはならなかっただろう。
「さっきはごめんね。まさか気絶するとは思わなかったから」
「いいですよ」
本当は色々言いたかったが、今回は引きづらずに水に流しておけのが一番良いだろうと思い、許した。
先生が着き、皆座っていた席に座った。
「帰る時間まで余裕があるから、一人ずつ自己紹介していって」
そう言った後、次々と話す順番がまわっていき、ついに僕をセクハラした人が話す順番がきた。
「私の名前は山城茜。可愛いものが大好きなので、よろしくです」
山城さんっていうんだ。身を危険に晒さないよう忘れないようにしておこう。
「田島七海です。これからよろしくお願いします」
随分と淡白な自己紹介だなと思いつつ、自分も同じような紹介をする。
「中川空です。一年間よろしくお願いいたします」
自分の席を立ち、自己紹介を済ませた後に深々とお辞儀をして席に座りなおした。
クラス全員の自己紹介が終わり、帰る時間になったので、僕はここから一刻も早く立ち去りたかったので、すぐに教室から出て行って帰宅した。
家には誰も居なかったが、一人で勉強して気を紛らわすには最適だった。これから習うところを予習し、中学の範囲の復習をしていると、あっという間に時間が過ぎていき、夕ご飯の時間になった。
「高校生活はどう?」
「刺激があって楽しいね」
自分が思っていることを素直に伝えなかった。刺激があったのは事実だが楽しくはなかった。でも思い出したくない出来事を話すのは嫌なので、楽しかったと言うしかない。
今日は色々と疲れたので、お風呂からあがった後は、すぐに自分の部屋に入って寝た。