第二十五話
もうすぐ学校の大きな行事の一つである体育祭の時期がやってくる。それに合わせて様々なクラスが競技の練習を本番さながらの緊張感をもってしている。
「そこ遅れてる」
僕もそれに漏れず、追い付こうとするだけでも精一杯なダンスをやっている。立候補する人が少なく、抽選という運任せの方法で選ばれてしまった。やるからには本気でないと周りに迷惑をかけてしまうので、輪を乱さないように頑張っているつもりであるものの、体が思い通りに動かない。
あまりこういうことは考えないようにしているのだが、まだ同じように踊れない人がポツポツといることに安心している自分がいる。
「移動もやってみよっか」
団長がそのように指示を出し、団員全員に口頭でフォーメーションの説明をする。練習初日に配られた冊子を見ながら聞いている人がほとんどだが、記憶力に自信があるのか、中には開かない人もいた。ダンスが他の人より上達が遅いのは分かっていたので、模試が終わった時から、何度も読み直して脳内でシミュレーションを繰り返し、頭に刷り込んできたつもりだが、覚えきれている自信は全くない。
「それじゃいくよ」
音楽が始まって数秒後、一斉に移動していくものの、一発でスムーズにできなかった。自分がどこに行くかを覚えていないのか、てきぱきと動けなかったり、体がぶつかってしまったりしている人がほとんどであり、僕もその一人だ。
「時間掛かっていいから、位置覚えて」
何回も練習を繰り返していくうちに、行き先に迷う人が居なくなっていき、それと比例するように接触することが少なくなり、すんなりといけるようになる。といっても、これは数回ある中の一つなので、まだまだなのには変わらない。
「今日はここまで」
次の移動までの振り付けを練習し、お開きとなった。辺りは暗くなり始めており、体操服や練習着を着た人達が更衣室へ入ってくる。その中に陸上部員が居ないことを祈り、着替えを始めると、茜さんの声が聞こえてきた気がした。幸いなのかは分からないが、僕の両隣にも人が居るので、ここで紛れられるかもしれないし、バレていたとしても変なことはされないだろう。
「友達も頑張ってますからね」
敬語で親しく話している声が後ろから聞こえ、彼女に対して失礼なことを思った自分が恥ずかしい。もう部活内では打ち解けているらしく、学年関係なく楽しそうにしているところを見ると、ムードメーカーになっていることが伺える。
「中川さん、どうしたの」
いつの間にか隣にいた団長が話しかけてきたが、服を脱ぎかけて下着が見えている状態だったので、一瞬で目を逸らした。女の子だけだから恥ずかしくないのだろうが、心臓に悪いからやめてほしい。
「なんでもありませんよ」
そんな心配されるようなことではないので、わざわざ気にかけてくれなくてもいい。それに、僕達の為に頑張ってくれている人に、余計な負担をかけさせるわけにはいかない。
「それならいいけど」
僕の返事を聞くと、彼女は着替えを再開させる。そのまま帰ってもいいのだが、偶然とはいえ茜さんに会ったので、そのまま突っ立ったまま待つ。何もせずにいようとすると、いつの間にか考え事にふけっていて、何となく茜さんが居た方向を見ると、もう姿はなかった。
「ひゃあ」
いきなり後ろから抱きつかれて、みっともない声を出してしまった。それが原因かは分からないが、太ももを脚らしきもので擦られ、だんだん場所が上になってくる。暴力に頼るのは嫌だけど、そのまま抵抗しないと思われるのも癪なので、覚悟を決めて肘打ちする。それが運悪くみぞおちに当たってしまい、声にならない声で悶えながら膝をついた。
「ご、ごめんなさい」
慌てて頭を下げて謝ると、周りの先輩方からの笑い声が聞こえた。何がなんだか分からない状態になり、笑っている三人を見回す。その間に茜さんが苦しみながらも立ち上がり、正面にいる僕の肩に手を置く。
「こっちこそごめんね」
慣れてきているからか、あの行為に対して度が過ぎた反撃をしてしまった気がするので、素直に謝ってくれるのは嬉しいが、同時に罪悪感も出てきた。
「凄い後輩を持ったね」
団長と茜さんの先輩の一人は小学生からの友達らしく、校門に行くまでの間は二人が前を歩いていた。学年は違っているが、壁があるような話し方ではなかったので、敬語を使ってはいるものの、砕けた関係であることは伺える。
「次期エースですよ」
僕らと同じ列に居た先輩が話に介入する。次期という部分を強調して言っているので、この人が今一番速く、引退するまで抜かされるつもりは全くないのだろう。
「すぐ抜きますから」
両者がメラメラと対抗心を燃やし、目を合わせてバチバチしているところを見ると、負けず嫌いなのが伝わってくる。
「山城さんって、どんな感じなの」
団長が僕の方へ振り向き、後ろ向きで歩く。どんな感じと言われても、今のような感じと言う他ないが、それでは彼女の意図に沿わないので、少し仕返しをしてやろう。
「社会人より稼いでると思います」
復讐心が先行してしまい、質問の答えとして合ってるかは疑問だが、これで僕もやられっぱなしじゃないところを見せられたと思う。
「じゃあ今度奢ってもらおうかな」
「後輩にたかるなんて、エースとしてどうなんですか」
先輩がからかうように言うと、茜さんは嫌味たらしく煽るようにして返す。それをきっかけに二人でじゃれあったり、皆で冗談などを言い合ったりして楽しかった。僕が話すことは少なかったが、あまり学年の壁を感じることはなく、一緒に笑ったりして心地よい一時を過ごせて良かった。
「何かあったら言ってね。中川さん」
「変な奴が出たら、私が吹っ飛ばしてあげるから」
頼もしい先輩方と別れ、茜さんと帰路につく。記憶が間違っていなければ、彼女と二人で帰るのは初めてかもしれない。それに、部活後は雰囲気が前までと違って、なぜか凛々しく感じてしまう。
「そーちゃんなら大歓迎だよ」
彼女を見ていると、それを察したのか、こっちを見てきた。そして、趣味全開の一言でさっきまで感じていたものが消え去る。少し残念な気もするが、こちらの方が安心感があっていい。
「遠慮しておきます」
そう言うと茜さんがわざとらしく悔しそうにしていた。
「格好いい感じに振る舞ったのに」
打算的にやろうとしても、欲を抑えきれずにボロを出してしまうのは、彼女らしい。そして、しばらく話さない時間が続いたが、居心地は悪くなかった。
「悩み事でもあるの?」
いきなり話しかけられて、肩が一瞬だけビクッとなる。悩み事という範疇になるかは分からないが、ダンスを出来ていないので、いずれ周りの人の足を引っ張ってしまうんじゃないかという不安はある。でもそれは、選ばれた全員が感じていることだろうし、わざわざ口に出すようなことでもないように思う。
「着替えの時、こっち見てたから」
羨ましいと思いながら見ていただけで、決して相談したいことがあるからアイコンタクトをしていたわけじゃない。
「大丈夫」
出来る限り軽い感じで返事をすると、僕の顔を横から覗き見てくる。心配させまいとしたことが裏目に出てしまったのか、柔和な表情をしながら疑いの目を向けられた。
「そーちゃんは無理するからなぁ」
やはり信じられていないらしく、気を遣っていると思われているのだろう。確かに、着替えの時からの言動や行動を振り返ると、何か隠していると考えるのが自然だ。僕が彼女の立場なら、口には出さないで態度に出すという非常に鬱陶しいことをしていた気がする。
「まぁいいよ。でも頑張りすぎないでね」
僕のことを察してくれたのか、追及することはなく労いの言葉をくれた。いつもこんな感じだといいのにと思うが、普段とのギャップがあるからこそ良く見えるのかもしれない。
「倒れたら、あの保健室だよ」
茜さんの疲弊しきった顔を思い出すと、絶対に倒れないよう気を付けようと思う。でもなぜ、公私混同してるような人が問題にならないのだろうか。
「じゃあ、また明日」
彼女と別れて家まで一人で帰る。さっきまで賑やかだったのに、街の音が耳の中に入ってくると寂しくなる。
「ただいま」
家に着いた途端に疲れがどっと押し寄せてきて、リビングのソファへもたれ掛ける。制服のままで気持ち悪いが、それよりも眠気が勝り、目を開けるとお姉ちゃんが肩を叩いて起こしに来ていた。
「晩ごはんだよ」
美味しそうな臭いが漂っているが、寝起きと疲れのせいで食欲が湧いてこない。一瞬だけ抜こうとも考えたものの、せっかく作ってもらったものを残すのも嫌なので、おかずを白ご飯なしで食べきった。女の子になって少食になったのに、さらに食が細くなるとは思わなかった。
「ふぅー」
お風呂がこんなに天国だと思ったのは初めてかもしれない。ついウトウトしてしまいそうになるが、湯船で意識が飛んだら危ないので、十数分であがって脱衣場に出る。
パジャマに着替えて自分の部屋で授業とダンスの復習をする。でも部屋の中で踊ることはできないので、冊子とにらめっこしてイメージトレーニングで頭に完成形を叩き込んでいると、時間が思った以上に過ぎていた。不安は残っているが、疲れを翌日に持ち越さないためにも、眠ることにした。
その翌日以降、昨日までの復習をした後に新しい箇所の練習にとりかかる。日が進むにつれて種類が増して難しくなっていき、全ての項目を終えた時点で一通りできる人は指で数える程だった。しかし、反復回数の多い中盤までは出来る人が多いので、ついていけるよう頑張らないといけない。
「ちゃんと休んでる?」
練習が終わってから団長に話し掛けられた。そういってくれる気持ちは嬉しいが、そんなに疲れているように見えるのだろうか。気持ちに余裕は持てていないかもしれないが、出来る限り万全に近い形で練習に挑んでいるつもりだ。そもそも体力が人並み以下なので、きちんと英気を養わないと最後までもたない。
「ごめんね。お節介しちゃって」
僕のことを察したのか、気を使われて謝られた。先輩にそんなことをさせるつもりはなかったので、どう返そうか迷う。どんな風にしても嫌味っぽくなったり、余計な一言になりそうな気がするが、黙るのも何か違う。こういう時、茜さんや七海さんだったら、どうしているんだろうか。
「そうだ、連絡先交換しよっか」
携帯の連絡先を交換し、確認の為に団長から初メールをもらう。内容は畑中奏という、彼女自身の名前であろうものが書かれてあった。
「私の名前、覚えてないかと思って」
彼女の言っている通り、初日に言っていたことは覚えていたが、名前自体は記憶になかった。これを期に頭に刻んでおこうと思いつつ、僕の名前を畑中さんに送った。
「カッコいい名前だね」
あまり意識したことないが、名前は男の子だったときの名残なのかもしれない。性別が変わる奇病が出てきて、法律で戸籍変更の際に名前も変えられるようになった。僕のように女の子に付けても自然なものであればいいが、太郎などといったものだと違和感しかないから、当然といえば当然の話だ。僕は翌日から違う名前にされると混乱しそうだから、役所の人に提案されても断ったが、新しい人生のスタートを切ったりだとか、心機一転や転機として名前を変える人も多いらしい。
「もっと可愛らしい感じかと思った」
可愛らしい名前というと、どんなものだろうか。思い付く限り考えたが、どれも名前負けしていそうで、自分にはもったいないものばかりだ。
「それじゃあね」
着替えを済ませて、校門のところで手を振る。練習をした後なのに、元気に振る舞っていて凄い。それに彼女は三年生だから、受験勉強をしながらやっているのだとしたら、よく体力が持つなと思う。
翌日、家に帰って自分の部屋に入ると、いつもより疲れが溜まっているように感じ、吸い寄せられるようにベッドに行き、横から仰向けに倒れるみたいにして寝転ぶ。
「空、大丈夫?」
パジャマ姿のお姉ちゃんが入ってきて、心配そうな顔をしていた。晩ごはんの時に体を揺すっても起きなかったので、先に食べたらしい。こんな風になることはなかったので、想像以上に負担をかけてしまっているのだろう。
「無茶しちゃダメだよ」
一人で立ち上がって一階に向かうときに、後ろから声が聞こえた。不安にさせていることに罪悪感を感じながら、食卓の椅子に座る。料理は美味しいはずなのに、疲れなのか寂しいからなのか、あまり箸が進まない。いつもより時間を掛けて食べ終わり、お風呂に入って寝る準備を済ませて、復習せずに眠る。
翌朝、起きて立ち上がると、体が少しフラフラする。額に手を当てると、すごく熱く感じたので、まだ居るであろうお姉ちゃんに体温計を持ってくるようメールでお願いすると、事態を予測していたかのような速さで部屋にきた。
「ちゃんと休みなさい」
体温計を測り終えたので、少しでも皆から遅れをとらないように冊子を広げると、彼女に取りあげられた。僕一人になると、立っていたときよりもしんどくなり、眠るのにも時間が掛かる。
体育祭当日、僕達の演技する時間になり、簡易的に設置された入場門の前に集まる。音楽がかかり始め、各々の場所へ移動する。序盤はミスなく出来ていたが、段々歯車が狂い始めていき、焦りだけが頭を支配していく。今まで覚えていたものが無くなっていき、もうボロボロになりそうだ。
「随分うなされてたけど、大丈夫?」
今までのことは夢だったようだが、現実で起こりそうな悪夢は見たくなかった。でも僕の側にお母さんが昼ごはんを持ってきてくれているおかげで、磨り減った心が若干安らいだ。
「嫌な夢見ちゃって」
弱っているからか、一度話し出すと止まらなくなったが、それを遮ることなく相づちをうちながら聞いてくれた。
「ごめん、つい」
「気遣わなくていいよ」
話し終えてスッキリすると、勢いに任せて喋ったことを後悔する。でも嫌な顔一つせずに僕を慰めると、昼ごはんを食べさせてくれた。食事が終わって、お母さんが部屋から出ていくと、さっきまでの疲れが飛んで気が楽になったので、今のうちに眠ることにする。
「晩ごはん持ってきたよ」
お姉ちゃんが入ってきて、お粥を枕の横に置いた。僕はベッドの側面に移動し、椅子のように座って食事を始める。食欲が健全な状態に戻ったのか、食べ終わるのに時間はかからなかった。
「はい、これも」
食べ終わると風邪薬を出された。自分の中では治っている気がするが、悪化するかもしれないので、念のために飲んでおく。
翌日に体温を測ると、もう平熱に戻っており、痛む場所も全く無かった。ちょっとした疲労感は残っているように感じるが、許容範囲内だ。
食欲も通常通りになり、学校で不調を訴えることなく過ごして、練習にも力を入れられるようになった。
これからというもの、怪我や病気を一切せずに体育祭を迎え、無事にミスすることなく踊りきることができ、あの悪夢のような事態にならなくてよかった。




