第二十三話
休み時間や授業中にチラチラ見たり、教室から出たときにはストーカー紛いのこともしたが、文化祭前日の今日まで不自然な行動は全くなく、むしろ僕の方が不審だった。当然ながら手を打つことは出来ず、祈るしか方法がなくなる。
「大丈夫かなぁ」
なぜかテスト前以上に不安が押し寄せてくる。自分のことではないにしろ、明日のことを思うと何かすべきだったのかもしれないと、今頃になって思う。
もう時間が遅いので、寝転がって目をつむってはいるものの、考え事を止められない。この状態なら眠れると思っていたが、全く意識が薄れていかないので、感じていることを寝落ちするまでノートに書きつらねた。
いつの間にか寝落ちしたようで、窓を見ると日光がカーテンを隔てて入ってきていた。今日は何も持っていく必要はないが、カバンの中に筆記具だけは入れておく。
学校に入る前にため息が自然と出る。校門には装飾がなされており、中には屋台がずらりと連なっていて、準備している人達は楽しそうに笑っていた。水を差すようなことをしてしまっていると頭では分かっていても、気分を明るくすることはできない。自分のクラスの階の廊下で、茜さんと七海さんが二人掛りで部屋に連れ込まれていた。助けようと思って部屋の前に立つが、なかなか勇気が出ず、ドアの隙間から見るだけになる。
案の定、両腕をがっしりとホールドされ、身動きを取れないようにされていた。茜さんが女性服を着させると、体を通したところから女性化していき、着替え終えた頃には完全に女の子になっていた。
「どうしたの?」
いきなり姿が変わっても、パニックになっている様子は全くなく、何事も無かったかのように話しかけてきた。口調もいつもより柔らかく、あの二人よりも女の子らしく感じる。
「やけに落ち着いてると思いまして」
ほとんど面影がないせいか、他人と話しているような気分だ。メイド服を着させられているにも関わらず、不快感を示すどころか満足しているように見える。
「普段から着てるから当たり前じゃない」
意地でも着たくないと言っていたものを着慣れている訳がない。この服には性別と人格を操作する効果でもあるのだろうか。
「空も着たら、私の気持ちが分かるよ」
いつも見せないような怪しい笑みを浮かべた瞬間、抵抗する隙も無いくらい、素早く手を掴まれ、部屋の中に連れ込まれた。
二人に両腕をがっしりとロックされると、茜さんがいかがわしい衣装を近づけてくる。
「あぁー」
言葉にならない叫びをあげると、一気に顔を上げた。周りを見回すと、見慣れた風景が広がっていることに安心する。こんな悪夢を二度と見ないように、これからは椅子に座りながら眠るのは止めよう。
束の間の静寂の後、ドタドタ音が近づいてきたかと思えば、お姉ちゃんがドアを開けていた。
「大丈夫?」
慌てた様子で心配しており、今にも僕のところへ駆け寄って来そうだった。悪いことしてしまったと思いつつ、大丈夫だよと返事をすると、体の力が抜けていくかのように、お姉ちゃんの足下が崩れ、地べたに尻もちをつける。
「腰抜けちゃった」
僕の肩を貸し、無理やり立たせると、脚をガクガクさせている。そのままケガ人の補助をしているような状態でリビングまで連れていくと、僕達の朝ごはんが用意されていた。
「心配しすぎじゃないの」
朝食を食べながら他愛のない話をしていると、お姉ちゃんの話題になった。確かに昔から僕のことを気に掛けてくれていたけど、安心して腰を抜かすなんて出来事は記憶になく、女の子になってから過保護になってきているような気はしないでもない。
「このくらい普通だよね。空」
普段と変わらない声であるにも関わらず、なぜか脅迫されているように感じる。当然ながら、それに打ち勝つことはできず、半強制的な同意に首を縦に振った。
「それよりも、さっきの声は何なの」
お母さんのことを察したのか、僕の方に話を振ってきた。そのまま時が過ぎるのを祈っていたが、そんな都合良くいくはずもなく、夢のことを仕方なく話す。すると、二人とも笑いだしたので、恥ずかしくなって下を向く。
「一回くらい見てみたい気はするけどね」
その気持ちも分からないではないが、これを期に雅紀くんがまた幼少の頃みたいに何回も女装させられるだろう。下手をすれば水希くんと一緒に何かをやらされそうな未来も見える。
「休みだし行ってみようかな」
朝食を食べ終えると、楽しそうな感じでリビングから出ていった。文化祭という学校の一大イベントだが、お姉ちゃんと違って全く気分が高揚しない。
「大丈夫か?」
憂鬱な気分で学校の校舎内に入ると、下駄箱のところで雅紀くんと会った。今朝起こったことを話すと、僕と全く同じ夢を見たらしいので、一緒に盛り上がることができ、少し気が紛れた。
「じゃあね」
何もないことを祈りつつ、手を振って別れる。教室の中に二人の姿はないので、自分の席で仮眠をとろうと、両腕を枕にした状態で伏せ寝しようとしたところ、胸が邪魔になって息苦しく、全く眠れそうにない。仮に睡眠までいけたとしても、今朝と同じような悪夢にうなされてしまうだろう。試行錯誤した結果、両肘を着けて前屈みの姿勢に落ち着いた。
「私への当てつけだよね」
目が覚めた音はチャイムではなく、脅しめいた声だった。目の前には二人がいたが、笑顔で僕の寝顔を覗きこむようにしている茜さんに対し、七海さんは立ちながら睨み付けるようにして見ている。一体何が悪いのか辺りを見回すと、机の上に胸を置いているような感じになっており、大きさがより強調されていた。謝らないといけないと思いつつ、恥ずかしさから頭が真っ白になって言葉が出てこなくなった。
「そーちゃんも隅に置けないねぇ」
その言葉で余計に顔が熱くなるのを感じたと同時に、ビンタでもしてやろうかと手を上げたが、変に喜ばれる光景がよぎったので、ゆっくりと手を下ろした。こんな風に動揺している今でも予測できるのに、なぜ平静なときに気付かなかったのだろうか、と今になって思う。妙に肩が軽くて楽になったときに、ベストな体勢を見つけたと内心で喜び、いつもなら気にするであろう周りの目に気を配れなかった自分を殴りたい。
「で、いつまでそのポーズなの」
急いで姿勢を変えたら、面接を受ける時のような座り方になってしまった。その姿を見るやいなや、二人とも吹き出すように笑いだされて、また下を向いてしまう。だが、それをきっかけにチャイムまで三人で楽しく話したので、結果的には良かったのかもしれない。
文化祭が始まると、マネージャーの三人といつもの二人と共に、待ち合わせ場所である校門へ楽しそうに歩いていく。その間、茜さんは話を途切らせることなく、水希くんの可愛さについて語っており、阪口さん達も盛り上がっているように見える。
「おーい、水希くーん」
一番前を歩いていた茜さんが校門に居る彼を呼ぶ。それに気付いたのか、彼の方も僕らの方へ歩いてきて、初対面であろう三人に軽い会釈をする。服装は中学校の制服ではなく、男女どちらが着ても違和感が無さそうな服装だった。
「この子が水希くん?」
目の前に居る人が男の子と思えないのか、山中さんは確認するように七海さんの方へ振り向く。それに返事するように彼女が頷くと、再び正面を向いて、じっと水希くんを見ている。ずっと見られることに耐えられなかったのか、恥ずかしそうにしながら下へ俯くと、松山さんに息を耳に吹きかけられ、彼はビクッとすると同時に顔を上げる。
「嘘よくない」
さっきの反応を見て、松山さんは僕らを睨みつけてくる。確かに女の子らしいのは認めるし、疑ってかかる気持ちも十分に理解できるが、嘘は一切ついていない。でも正直に言っている証拠を示すことが出来ないので、どうしようか悩んでいるところ、阪口さんが水希くんに抱きつき、笑顔で頬をスリスリする。
「はい終了でーす」
そう言いながら山中さんが阪口さんの両肩をロックして引き離す。戻されている間、ずっと水希くんの方へ手を伸ばしながら、もっと触れていたそうな顔をしていたが、耳打ちをされると、絶望感を漂わせながら石のように完全に固まってしまった。
「雅樹くんのところに行こっか」
妙に茜さんがウキウキしているところを見て、心の中で黙祷をする。移動している間は水希くんの話で持ちきりで、その中でも盛り上がった話題が体育の時の着替えのことだ。プールに行った時は水着の上に服を羽織っていたが、学校ではそうもいかないので、どんな感じなのか気になることではある。
「女子更衣室使ってたりして」
冗談ぽく阪口さんが言うと、水希くんは図星をつかれたような顔をしたので、ちょっとしたパニック状態に陥ってしまう。周りも開いた口が塞がらないといった感じだったが、七海さんが頭にチョップをしてくれたおかげで、さっきのものが演技と分かってホッとする。何回も茜さんの設定に付き合ってきたからか、全く嘘っぽい感じはなかったように見え、そこを見抜けたのは、さすが七海さんという他ない。
「面白そうだったので、やってしまいました」
すみません、と言いながら頭を下げて謝っている。だがその時に、騙されたのにも関わらず、全く怒りが湧かないどころか、罪悪感を感じてしまっている自分がいた。守ってあげたくなる可愛さというのも理由の一つかもしれないが、七海さんとは違った恐ろしい人心掌握の才能を持っているように思える。
「お詫びに僕の写真見せてもいいですよ」
本人から公認をもらい、嬉々として水希くんの女装写真を三人に見せながら話しているが、許可しなくても見せていただろう。それを見越して許しの材料として使い、実質無害で仕返しを果たす。
「むちゃくちゃ可愛い」
目を輝かせながら色々な衣装を着ている写真を見せている。そのテンションと同程度くらいで反応しているのは阪口さんだけだが、他の二人も興味は持っているようだ。それにしても、茜さんが自分のどんな姿を見せていようと、全く気にする素振りすら見せない。そのメンタルの強さを見ると、素直に凄いと思うと同時に、七海さんと血が繋がっているんだなと感じる。自分の写真も見せられていると思い、恥ずかしがって顔を熱くしている僕とは大違いだ。
「二人はお金貰ってるの?」
そう聞かれた途端に七海さんは茜さんの肩を叩き、手の平を上にしながら差し出した。
「今まで以上のこと、していいんだね」
急いで手を引っ込め、何事も無かったかのように歩き出す。見てる僕としては少し面白かったが、これでお願いされることが少なくなればいいなとも思っていたので、もっと粘ってほしかった。
「今日は賑やかだね」
楽しく歩いていると、雅紀くんのクラスが催しをしている階の廊下で太川姉弟に鉢合わせる。
「彼女じゃないんですね」
マネージャーの三人と楓さんの挨拶が終わると、山中さんが話を切り出す。恋人のように見られていたのが嬉しかったのか、少し照れているようだ。それから、教室に入るまで大学のことなどの質問を途切れなくされ、とても大変そうだった。
「いらっしゃいませ」
男女ともに居たので、女の子の格好で浮いている人を見つけようとしたが、そんな人は居なかった。あまりキョロキョロしてると不審に見えてしまうので、探したい気持ちを抑えて机に向き合う。すると、茜さんが注文しようと手を上げると、一人の女の子が可愛らしい声でこちらに来た。綺麗な見た目とはギャップがあり、とても印象が良いが、気になるのは茜さんと七海さんがニヤついていることだ。
「これをお願いします。意外と可愛い声なんですね」
「私も同じの。それとスマイル」
精一杯であろう笑顔を見た後、注文をとりに来た人とは別の女の子に向かってグーサインをする。恐らくあの人に吹き込み、雅樹くんを女装をさせたのだろう。二人に辱しめを受けたにも関わらず、不満が行動から表れることはなく、その後も他の客と同じように接してくれた。
「あのまま脱げなかったらいいのに」
教室を後にして、雅樹くんのことなどで談笑しながら目的もなく歩く。その時に茜さんが自分の言葉に添えるように発したものだったが、なぜか目だけは笑っていないように見え、冗談っぽくしているだけで本音を言っているように感じたからか、記憶に焼き付いた。
色々なところを巡っていて、そろそろだと思い携帯で時間を確認してみると、思った通りの時間だった。
「もう時間なんじゃない」
言えずにいた僕のことを察してくれたのか、七海さんが代わりに言ってくれた。そこで皆と別れて、茜さんと自分のクラスの屋台へ向かっている途中で、彼女は携帯を見ながらにやけている。
「あの娘はさすがだね」
隠し撮りしていた写真を見せてきて、雅樹くんに所作や振る舞い方を教育したであろう人物を話していた。熱弁している彼女には申し訳ないが、後半の方から頷いているだけで、言葉としてでなく環境音として聞いていたので、内容は全く頭に入っていない。
「遅れてごめんね」
担当している人と代わり、茜さんは商品の受け渡しと金銭の計算、僕は料理を作ってパック詰めをすることとなっている。昼時ということもあり、朝とは比べ物にならないくらい屋外は人で溢れていた。
数分後、列がみるみるうちに長くなっていき、休む暇どころかペースを上げないといけない状況になる。麺をさっきよりも大量に鉄板の上に置いて作っていく。予想以上に必要な力と鉄板から襲ってくる熱気と湯気で体力が削られるが、お客さんをベテランのレジのように速く捌いているところを見ていると、自分も負けていられないという気持ちが膨れあがってくる。
「お疲れ様。結構売れたね」
時間を忘れて作業していたため、あっという間に終わったように感じた。でも緊張の糸が切れたからか、どっと疲れが襲ってきたり、汗で服がまとわりついて気持ち悪かったりするが、安堵と達成感の方が大きい。時間帯も相まって、恐らく僕達が一番売れているだろう。
「まあ私は手渡してただけだけど」
僕の方が頑張ってたと激励してくれているのは分かるけど、あまり謙遜してほしくない。作るのは大変だったけど、お客さんの対応をするのが楽ではないはずだ。お釣りの計算や常に愛想を良くしないといけなかったりといった、僕には出来ない芸当をしていたのだから、そういう言い方はやめてほしい。
「はい、あーん」
自分から率先して唐揚げ代を出したのにも関わらず、買った後から交換条件を提示され、仕方なく彼女のおかずを僕が食べさせている。公衆の面前で恥ずかしいが、注意を払わなかった自分が悪いので、甘い罠に掛かった罰と思って耐えている。
「二人で熱々だね」
田島姉弟と雅樹くんが一緒に来ると、茜さんは水希くんの方をじっと見つめる。
「あんたにはあげないから」
茜さんは七海さんに近づき、顔をスリスリしながら懇願している。可哀想だなと思いつつも、困っているところを見ると笑いがこみあげてくる。
「また雅樹に着せればいいじゃん」
「クール成分足りないからそうする」
悪魔のような提案を快く受ける彼女に対し、絶対にもうやらないと否定している彼だが、それをあまのじゃくと都合の良いように解釈して、スケッチブックを開いて話し合っている姿は楽しそうだった。




