第二十一話
学校での苦手な行事の一つに、体力テストというものがあり、今日はそれが実施される日だ。しかも、学校側の配慮か都合かは分からないが、午後の授業全てを使って計る。もちろん全ての測定が終えたら終了だが、中学の時は自分の番がくるまで永遠のように感じた。
「元気ないね」
テストの時間が近づくにつれて憂鬱な気分が増していく。昼休みの頃には二人の話が全く耳に入らず、ただでさえ食べるスピードが遅いのに、いつもより箸が進まなかった。そのことに気が付いたのか、七海さんが肩を叩いて心配してくれている。
「運動できないから怖くて」
自分で言っていて幼稚だなと思うが、皆の前で恥をかきそうで不安なのだ。誰も僕のことなんて気にしていないと分かっているが、もしかしたらという考えが出てくる。
「大丈夫。そんなのが居たら懲らしめるから」
こういうことを言ってくれるのは非常に頼もしい。そのおかげでさっきまでの不安や憂鬱が嘘だったかのように吹っ切ることができ、同時になんでこんなことで思い悩んでいたのだろうとも思えてきた。
昼休みが終わり、一年生全員が体育館へ集まる。まず二人一組にならないといけないので、七海さんと組むことにした。
「やればできるじゃん」
ほとんどの種目では平均を大きく下回るだろうが、反復横跳びだけは記録が上がっており、恐らく女子の中ではトップクラスだと思う。これだけずば抜けているのは、危ないことをしてくる茜さんのおかげだろう。あと反復横跳びを含めた跳ぶ種目や走る種目が終わった直後は、少し俯きながら真顔で何か呟いており、話しかけづらかった。
「そーちゃん見てたよ。凄かったね」
全ての種目が終わり、体育館の中でゆっくりしていると、茜さんが一緒に組んでいた女の子を連れてきた。これは面倒事に巻き込まれそうだと最大限の警戒をしていると、その女の子が僕の隣に座ってきた。
「陸上部のマネージャーになって下さい」
思っていた通り、事態の全く読めないことが降りかかってきた。話がどう転んだのだろうか分からないので、茜さんを睨むようにして見つめ、説明を要求する。
「勧誘されちゃって」
断る口実のために僕を引き合いに出したということだろうが、嫌ならキッパリと断ればいいと思う一方、マネージャー姿を見てみたいという考えもあるのではないだろうか。
「お願いします」
熱意のこもった姿を見せられると、断りづらくなってくる。どんな風にすれば穏便に済ませられるのだろう。
「付きまとわれるかもよ」
七海さんから耳打ちされる。悪魔の囁きかもしれないが、彼女なら僕に何回も頭を下げてくる可能性は高い気がする。結局折れてしまうのなら、潔く一回で覚悟を決めた方がいいだろう。
「分かりました」
根負けする自分を想像すると、精神的に疲れている姿が映し出された。彼女のように元気で素直そうな人を断り続けるのは罪悪感が湧いてくる。茜さんもそのカテゴリに入るのかもしれないが、心の綺麗さが全く違う。
「記録係をしてくださりますか」
タイムを計ったりするだけなら大丈夫だろうと思いながら、グラウンドへ出ていく。僕以外にもマネージャーらしき人が居ないか探してみると、少なくとも十人は居るように見えた。
「これをお願いしますね」
陸上部特有の練習着は無いのか、彼女は体操服で来た。ノートを渡されたので、中を拝見させてもらうと、今までの記録が一日一ページ間隔で書かれていた。筆記者の人数は四人くらいだったので、恐らくそれがマネージャーの人数だろう。
「名前ってなんて言うんですか」
ノートを見ているうちに、彼女の名前を聞いていなかったことに気づく。まだストレッチしている最中だったので、すぐには返事がこなかった。
「山野咲です」
山野さんの記録を見てみると、一年生なのにも関わらず、短距離を走っている陸上部員の中でも速いほうだった。
「凄いですね」
元から速かった訳ではなく、計測の度にタイムを縮めていっていた。最初は同級生の中でも中位だったのが、今では上級生を含めても上位に差し込むくらいだ。
「でも山城さんは私より速かった」
中学の時は陸上部だったらしいけど、少なくとも半年間の空白があるので、現役より速いなんて信じられない。
「お待たせ」
グラウンドに入ってきた茜さんが僕達に楽しそうな声色で挨拶をする。
「早速やりましょうか」
ストレッチが終わった瞬間に勝負を申し込んでいた。僕はスターターを任され、もう一人はゴール横に立ち、体力テストで使ったところを競走する。仲良くさせてもらっている身ではあるものの、茜さんより山野さんのほうに勝ってほしい。
「位置について、よーいドン」
一仕事を終えて、少し安心する。二人の様子を見てみると、そんなに差は無いようにみえるが、果たしてどうだろうか。
「相手にすらならなかった」
二人が戻ってくると、山野さんが悔しそうにしていたが、茜さんは息がちょっとあがっていること以外は平常運転だ。
「何やってんの」
僕が居ることを不思議に感じたのか、雅紀くんが駆け寄ってきた。詳しく事情を説明すると、慰められるような感じで肩をトントンと叩かれる。
「化け物が本気出すなよ」
からかわれた茜さんが雅紀くんを追いかけ回している。微笑ましい情景だが、部活前に大丈夫なのかと思ってしまう。
「仲が良いですね」
周りの音が大きく聞こえる中、山野さんが話しかけてくれる。彼女のいるほうへ振り向くと、向こうも僕に顔を向けていた。
「あの二人は幼馴染ですから」
小さい頃からの付き合いというのは、ああいうものなんだろうか。そういう存在が居ないので、あの距離感が羨ましかったりする。
「異性の友達ってどんな感じですか」
こういうことを聞かれるということは、そういう人が居ないということなんだろうか。きちんと自立していて、誰とでも仲良くなれそうな人なのに、なぜなんだろう。
「思ってたより緊張しません」
中学生の頃、女の子に話しかけるなんて凄いと思っていたけど、いざ自分がその立場になったら、想定していたハードルより遥かに低かった。彼女の動機は何であれ、話しかけてくれたことには感謝している。
「皆集合」
その声が聞こえた途端、山野さんを含め大人数が集まる。凛々しくて意志が固そうな人と表情が柔らかそうな人の二人が前に立っている。部のまとめ役だろうから、恐らく三年生だろう。
「山城さん、中川さんは前に出てきてください」
基本的には前を向いてるが、チラチラと見られて居心地が悪い。仕方ないとは思いつつも、もう少し我慢してほしいとも思う。
「自己紹介をお願いします」
入学したての頃を思い出す。あの時は同級生だけだったが、今は上級生も居るので、緊張感は昔とは比べ物にならない。
「山城茜です」
もっとしゃべるのかと思ったが、名前を言って一礼するだけだった。思っているより早く順番が回ってきたが、それだけでもいいんだという安心感から、あまり焦ることはなかった。
「中川空です。よろしくお願いします」
僕も彼女と同じように挨拶をする。物足りないかもしれないが、余計な事を言わなくて済んだのはよかった。
「分からなければ聞いてくださいね」
一番後ろに戻った後は、今日の予定を発表していた。今日は僕らを試すためなのか、短距離と長距離の人で分かれて、タイムを計測するようだ。
「ではお願いしますね」
ストップウォッチを渡されると、使い方を教えてもらった。担当するコースのゴール横に立つと、教えてくれた人が向こうにいる人へ合図を送る。二人同時で走る競走形式なので、どれだけ相手との差があるか、嫌でも分かる仕組みとなっている。
最初の走者が茜さんと集合の時に前で立っていた愛想が良さそうな人だった。上級生であろう人と走るのは酷ではないかと思うが、本人はそんなこと気にしていないだろう。
空砲のような音が鳴り、二人が思い切り走ってくる。当然ながら僕とは全く違って、風を切るという表現がぴったりなくらい速く、さすが陸上部という感じだ。
でもそれより驚きだったのは、その速さに茜さんが引けをとっていないということだ。多少遅れてはいるものの、馬の鼻差と言っても過言ではないくらい接戦になっていた。
計測していた彼女は信じられないといった表情で茜さんを見ていた。
「陸上やらないともったいないよ」
一緒に走っていた彼女からも勧誘されていた。このまま入らないのは、確かにもったいないが、時間は足りるのだろうか。
「ありがとうございます」
誰にも負けたくないという気持ちからか、お礼を言いながらも、悔しそうな顔を浮かべている。
女子も男子もタイムを測り終わり、トレーニングの時間になった。その間に顧問の先生が来て、タイムを測っていた彼女がその人と話している。
「初めてで大変だろうけど、頑張ってね」
わざわざ先生が僕に労いの言葉を掛けにきてくれた。人と話した後だと何かあるのではないかと勘繰ってしまうが、生徒への思いやりの一つだろう。
先生が何をしに来たのか気になり、目で追っていると、茜さんのところへ行き、何やら話している。部員だけなく顧問までも正式に入部してほしいのだろうか。
「誘われたの?」
「そうだよ」
陸上部は茜さんが入ってくれることを歓迎するらしい。外堀を埋めにきているから、僕にも火の粉が降りかかるかもしれない。
「負けっぱなしも嫌だから入ろうかな」
あれだけお願いされて断るのも勇気がいるし、無下にはできないだろう。
「そーちゃんはどうする」
やってみてもいい気はするが、成績が落ちるかもしれない。今のところは記録をとるだけで済んでいるけど、慣れてくると他のこともやらないといけなくなるだろうから、それで慌ててしまいそう。
「今日だけでいい」
会話を終わらせると、彼女もトレーニングを始めた。部員を見ていると、よくそこまで体力が持つなと感心する。
「今日はここまで」
全員をグラウンドの端に集めて、解散の挨拶を済ませる。メンバーは更衣室へ向かっていったが、マネージャーは校舎の中へ入っていく。空き教室に行くと、記録の載っているノートを出してと催促される。
「書き方分かる?」
他の三人に見守られる中、見よう見真似で書いてみる。トレーニングの名前といった分からないところを聞きながら、一ページにまとめる。
「綺麗な字だね」
元気そうな女の子が声をかけてくる。丁寧に書くことを意識したことはあるが、そうやって褒められると嬉しい。
「ホントだ。香澄とは全然違う」
「何を〜」
二人が走り回っている姿を見ていると、太ももの方から重さを感じた。下を向いてみると、いつの間にか椅子を並べて寝転がっていた。
「胸が邪魔で顔が見えない」
確かに顔の半分くらいは見えなくなってしまってるから、下から見れば全く見えないのかもしれないが、そんなことは言わなくていい。
「嘘はいけないよ」
そう言いながら、一人ずつ僕の太ももの上に頭を乗せてきた。姿勢を維持しないといけないから、早く終わらしてほしい。
「柔らかくて気持ちいい」
恥ずかしさと脚の痺れがきたから、そろそろ起き上がってくれないだろうか。
「気持ちよかった」
全員が満足気になっているが、僕は色んな意味で疲れた。それになぜか茜さんが紛れ、皆と同じように膝枕をさせられた。
「羨ましかったから」
彼女に睨みをきかせると、楽しそうな女の子の声が聞こえて、我慢できなかったと正直に白状してくれた。でもそんな理由では、僕の胸を下から揉んだ言い訳にはならない。
「可愛くてもセクハラしちゃダメだよ」
元気そうな子に咎められて、なぜか理由も聞いてないのに、許してあげないといけないような雰囲気になっている。
「これからは気をつけてね」
残りの二人に肩を叩かれ、どちらも僕に向かって頷く。その全員からの圧力に負けてしまい、謝罪を聞かずに許してしまった。
「皆の名前って聞いた?」
マネージャーの名前を聞かれたが、紹介してもらうのを完全に忘れていた。
「皆の名前教えて」
僕の表情を見て察したのか、代わりに聞いてくれた。変態的なところがなければ、こういう気遣いができて完璧なのに。
「私は阪口香澄」
「山中凛です」
山中さんはつり目なので、結構とっつきにくいのかなという印象があったけど、そんなことはなさそうだし、阪口さんは見た目通り明るくて楽しい。
「松山綾」
静かな印象だけど、急に僕の脚を膝枕にしたりするから、言動の割に行動が大胆で驚いた。
「入部ありがとう」
松山さんが僕の横に来て、腕のところを両手でがっしりと掴まれ、座らされたかと思えば、目の前に入部届のプリントが置かれた。
「今週中に決めてくれればいいから」
阪口さんが松山さんを僕から離れさせ、優しく言ってくれた。
「癒されるから入ってほしいけどね」
最後に本音のようなものが漏れていたが、僕自身はそんなことないと思う。
自分の部屋に行き、入部するか考える。とても楽しかったから、これから続けてもいいかなと思ったが、熱意のない人間が入っても迷惑なだけなので、入部はやめておくことにする




