第二十話
「こうなれたのも、皆さんのおかげです」
二学期が始まって最初の休日、作戦を企てた三人と那月くんの家に来ていた。愛美さんが恋人のようにべったりとくっつき、逃げないようにとばかりに腕を絡ませていた。素直にさせるという意味では成功だけど、兄妹の仲が歪な形で深まってしまったのは、果たして上手くいったと言っていいのだろうか。
「もう誰にも渡しません」
あまり体格差がないからなのか、横から抱きつきながら、背伸びをせずに頬ずりをしていた。ちょっと前に僕もやられたことがあるので、今の那月くんのような苦笑いに近い反応をしていたのだろう。
「間違っても襲わないようにね」
そう言われた途端に、さっきまでの笑顔がなくなり、七海さんの方をじっと見つめながら黙ってしまった。どちらも互いに見つめ合っているが、忠告した彼女は愛美さんとは対照的に笑顔を崩さない。
「言われなくても分かってますよ」
表情を変えない彼女が怖くなったのか、再び笑顔を浮かべて理解を示す。精神面では圧倒的な差があるようで、腹の探り合いでは相手にすらなってないように感じる。下の子が居ると心臓が強くなるのか、それとも鍛え方があるのだろうか。
「七海さんは心配性ですね」
この状況で平静を装えるだけでも凄いと思うと同時に、心理戦は必要だったのか疑問ではある。もう人を追い込むのが趣味なんじゃないだろうか。
玄関からリビングに案内してもらい、カーペットの敷いてある床に座る。
「お茶淹れてくるね」
那月くんと愛美さんが、楽しそうに話しながら冷蔵庫の方へ向かっていた。その姿だけを見ると、ほのぼのとして微笑ましい。
「本当にお兄ちゃん大好きだね」
嬉しそうにしながら話しているが、異常な執着心を植え付けてしまったとは思わないのだろうか。僕にも非があっただろうが、筋書きを描いたのは、七海さんをはじめとした三人なので、少しくらい責任を感じてほしい。
「空には感謝しないと」
神経が無くなりそうになるくらいすり減らしてきたのだから、もっと言葉が欲しいくらいだが、我慢することにする。
「そーちゃんのこと、どう思ってた」
二人がお茶を僕達にも配られたので、いきなり踏み込んだ質問に驚き、完全に気を抜いていた僕は飲もうとしていたお茶を噴き出しそうになった。
「羨ましかったです」
一月前のことを思い出しているのか、寂しそうに返事をした。そんな言われ方をすると、いたたまれない気分になってしまうが、そう思ってしまうのも僕の行いのせいだろう。
「だから取られたくないと思いました」
真剣な眼差しで僕のほうを見ながら答える。それにどういった意図があるか完全には分からないが、固い意志があることは強く伝わってきた。
「那月くんが女の子になっても?」
七海さんが僕を少し見た後、愛美さんに目を向けて意地悪な質問を投げかける。
「当たり前です」
一瞬の迷いもないような速さで返事をしたが、気づかずに質問責めしてる光景が浮かんでくる。仮に気づいたとしても、那月くんが弄ばれる未来しか見えない。
「新たな姿を見られるので、むしろ好都合です」
そう言った途端に茜さんが悪巧みしてるような笑みを浮かべる。何を考えているか予想はつくし、おそらく今の状況では思惑通りになってしまう。
「じゃあ今から見てみようよ」
彼女の手にはスカートが掲げられていた。カバンから少し出ているものを見ると、セーラー服のようなものが入っており、他にも何種類か持ってきているだろう。助けたい気持ちは山々だが、この場に居る女子達を丸め込むことは出来ないだろうし、僕に飛び火するのも怖いので、流れに任せることにした。
「着てくれないかな」
獲物を狙っている獣のような目で那月くんに衣装を持ちながら迫っていく。愛美さんも同じような目になっているし、他の二人も面白そうと言わんばかりの表情をしている。
「断ってもいいけどさ」
お姉ちゃんが座りながら移動し、携帯を見せながら脅していた。追い討ちをかけて選択肢を無くすなんて良識を持った人間のやることじゃない。
「分かりました」
茜さんとお姉ちゃんが笑顔でハイタッチをしているところを見た後、顔をうつむかせながら目を閉じて、真剣に心の中で謝る。その間に茜さんが那月くんが居なくなっていたので、今頃は趣味に付き合わされているのだろう。罪悪感と共に女装姿を想像してしまうのは、この人達に毒されているからなのだろうか。
「私って怖い?」
机のほうを見ながら喋っているが、これは愛美さんに向けて聞いているのだろう。僕からすれば、同級生とは思えないし、どこで人を追い込む技術を学んできたのか教えてほしいくらいだ。
「風華さんと同じくらい」
人を自分の思っている方向へ誘導する上手さは伯仲していると思う。でも年上というだけあって、僕はお姉ちゃんのほうが圧力がかかっているように感じるが、どちらにも問い詰められたくない。
「でも私より怖い人が居るからね」
彼女は上の方を見ながら、思い出すかのように答える。
「それって人間ですか」
しれっと失礼なことを言っているが、そう思うのも仕方ないだろう。彼女でさえ自分が何の抵抗も出来なかった相手なのに、それ以上の人物が居れば、それが人なのか疑いたくもなる。
「どうだろうね」
もはや人間の皮を被った何かとでも言いたげな雰囲気だ。確かに動揺しているところは一度も見たことない気がするし、考えが読めないことにも同意はできるが、きっと良い勝負くらいにはなるはずだ。
「まぁ私じゃ敵わないよ」
天を仰ぎながら、溜息をつくように言葉を続けた。何が彼女をそう思わせているのか分からないが、あまりにも自信が無さすぎるように見える。静かになってから少し経った後、ノックの音がした。
「お待たせ」
まず茜さんがウキウキしながら部屋の中へ入ってきた後、恥ずかしそうに俯きながら、着替え終わった那月くんがテトテトとゆっくり歩いてきた。
「ちょっと細工しちゃった」
ロングヘアの髪型へ変わったことに目がいったが、目線をさげると胸の部分が少し膨らんでいた。元が中性的なのもあってか、風貌は完全に女の子になっている。でも可愛いというよりかは、キリっとして綺麗といった感じだ。本気になるのは分かっていたが、今回は水希くん以上に情熱がかかっている気がする。
「お兄ちゃん、綺麗」
愛美さんが勢いよく抱きついたからか、那月くんがよろめく。もう姉妹にしか見えないし、着替える前よりも密着しているように見える。
「じゃあ、皆で外出しよっか」
これを楽しみにしていたかのように茜さんが提案すると、全員がカバンを持って玄関に向かう。無理やり妹に連れていかれる後ろ姿は可哀想に感じた。
外に出て何をするかは聞かされていないし、もしかしたら提案した本人でさえ把握してないんじゃないかという気がしてきた。
どのくらい時間が経ったか分からないが、いつの間にか茜さんの家の前へ案内されていた。今すぐ立ち去りたいけど、失敗してしまうと何をされるか分からない。
「知ってたの?」
耳打ちするような小さな声で、隣にいた七海さんに聞く。中学校からの付き合いなら、周辺の景色を覚えていても不思議ではない。
返事はなかったが、少し笑みを浮かべている。恐らく面白そうだから言うのをやめたのだろう。一回くらい巻き込まれてしまえばいいのに。
「今回は全員でやろっか」
珍しく茜さんが自分も参加することを表明し、家の中へ入っていく。一人部屋であろう場所に案内されると、各々が好きな場所に座る。
「最初は愛美ちゃんから」
一人ずつ呼ばれていく形式なので、なんともいえない緊張感が襲ってくる。やられることは分かっているのに、何もできずに待っていないといけないというのは、思った以上に疲れる。
「次はそーちゃんね」
次々と呼ばれていく中、やっと僕の番が回ってきた。無理に着替えさせられるのは不本意だが、今回は七海さんもやられているからか、いつもよりは晴れやかな気分だ。
「そーちゃんはこれね」
手に持っていたのはテニスウェアだった。日常で着ることのない衣装なので、恥ずかしいことには変わりないが、もっと過激なものがくると思って身構えていたので、少し拍子抜けしてしまった。これで趣向がマシになったと思えるようになった自分が怖い。
「また大きくなってるね」
そんなことを言われて、反射的に胸の方を見てしまうのは、自分でも身長は伸びないと諦めてしまっているからだろう。
「そうかな」
確かに言われてみれば、下着がキツくなってきている気はするが、締め付けられているという感覚はない。お姉ちゃんが予め大きいサイズを買っていたとすれば、凄い早さで成長しているということになるが、そうでないことを信じたい。
スポーツで使うものだからか、思ったより抵抗感はなく、すんなりと着替えられた。
「ちょっと走ってみて」
どんな狙いで言っているかは分かるが、ここで断っても執拗に迫ってくるだけなので、反抗せず従うことにする。
「いい揺れ具合で眼福だよ」
やっぱり胸を注目して見ていたらしい。もっと理性を働かせることは出来ないのだろうか。
「お待たせ」
元いた部屋に戻り、しばらくしてから茜さんが着替えて戻ってきた。陸上部の衣装なのは、自分が着慣れているからだろう。
「身長が高くて羨ましいです」
お姉ちゃんはバスケ部、七海さんはバレー部であろう格好をしている。二人ともすらっとして似合っているし、違和感がない。
「愛美ちゃんは可愛らしくていいね」
「ありがとうございます」
お礼を言いながら照れている。決して小柄というわけではないのだが、纏っているチア衣装がそう思わせているのかもしれない。僕は服がもつ力というものを過小評価しすぎていたらしい。
「二サイズ大きいの選んだのに……」
僕の姿を見た途端に三人が落胆する。そして僕はお姉ちゃんの言葉を聞いて気分が落ち込んでしまう。食べた物の栄養分が胸の方へ全部流れていっているのではないだろうか。
「羨ましいです」
僕だって好きで大きくなったわけではないと言い返したいが、この状況でそんなことを言うと喧嘩を売っていることになりかねないので、喉まできた言葉をぐっと抑える。
「私にも分けなさい」
その言葉が聞こえた時には、正面から堂々と七海さんが揉みにきていた。動揺せずに何か言ってやろうと考えてはいるものの、何も思いつかず、ただ我慢するだけになってしまった。
「私も混ぜてよ」
背後から茜さんが抱きついてきたからか、七海さんが僕から離れていってくれた。そのまま事が終わればよかったのだが、そう上手くはいかず、耳の裏に息を吹きつけられた。突然のことにパニックを起こしながらも、彼女と一定の距離をとった。
「可愛い。いじめたくなっちゃう」
不敵な笑みが怖くて、助けてという意味を含ませた視線を皆に送る。でも周りを見回しても、誰も何もしてくれなかった。
「さて、どうしようかな」
僕に迫ってきた彼女の目は獲物を狙う肉食獣のようだった。胸を揉まれるのとは比較にならないほどの酷いことをやられ、写真のように、しっかりと記憶に刻み込まれた。
しばらく続いた地獄から開放されると、お姉ちゃんが隣に来て、僕の肩に手を置いてきたので、味方になってくれたと感じて嬉しかった。
「買い直しだね」
慰めてくれるのかと思っていたのに、処刑宣告で追い討ちをかけられてしまった。少しくらいは気に掛けてくれるだろうと期待したせいで、精神的にくるものが大きかった。
「凛々しくて綺麗」
愛美さんの声が聞こえたので、まだ話題に上がっていない那月くんのほうを向く。僕達の格好を考えると、ただの袴ではなく弓道の衣装だろう。髪型もさっきとは違って、後ろでまとめられており、和装が真面目で落ち着きのある雰囲気をより際立たせている。
「どうやって揃えてるんですか」
これだけの服を揃える為に、どれだけ出費しているのだろうか。
「全部自作だよ」
作っているものは趣味全開だけど、とても素人が手がけたものとは思えない。このレベルのものなら、お金をとることもできるだろう。
「作った服って売ってるんですか」
こんな大量に服を自作できるのは、どこからかの儲けがあるからに決まっている。
「依頼者に売ってる」
オークションなどではなく、契約でお金を貰っていることに驚く。独自の収入源を確保してるなんていう恐ろしい人が、友達に居るとは思わなかった。
「どのくらい稼いでるの?」
社会人としてのプライドがあるのか、真剣な眼差しをしている。収入面で高校生に負けたくないという気持ちからだろうが、あまり自分を追い込むようなことはしないほうがいい気がする。
「家は買えると思いますよ」
どのくらいの規模かは分からないけど、普通に考えると数千万は貯蓄している計算になる。お姉ちゃんは何も考えられなくなったのか、時間が止まったかのように動かなくなってしまった。
「売ってるのは服だけじゃないですから」
情報料を貰っているとしても多すぎる。一体どんな情報を取引しているのか気にはなるが、安易に踏み込んではいけないと質問するのをやめる。
周りが信じられないような能力を持っていると、自分が全く何も出来ない人間のように感じる。
「自分がおかしいのかな」
この人達がまともとは思えないが、卓越したものを持っているのは羨ましいし、一つくらい特化した能力は欲しい。
「周りが特殊なだけ」
お姉ちゃんがそう言ってくれるのは嬉しいけど、元気のない声で言われると現実逃避しているだけに聞こえる。
気持ちを切り替えるために、周りを見回してみると、妹がお兄さんに背後から恋人みたいに抱きついていた。服によって隠れる場所が多いので、元から細い体の線がより細く見える。それでスレンダー感が増し、余計に女の子らしさが出てきて、姉妹でスキンシップをとっているようにしか見えない。
那月くんが恥ずかしがっているところを茜さんが見逃すはずもなく、カメラをバッチリ構えて撮っていた。
「やることありませんね」
僕とお姉ちゃんの間に入って、急に話しかけてきた。何をしていいか分からないのは同意だが、驚かせてくるのはやめてほしい。
「とりあえず着替えましょうか」
着替えてこの空間から脱したい気持ちは山々だが、彼女の提案を安易に飲んではいけないことは今までの経験から知っている。なので、ここは行く振りをして難を逃れることにする。
「ちょっとトイレ」
途中でトイレらしき場所を見つけたので、断りなしに入るのは失礼と分かっていながらも、避難場所として使わせてもらう。案の定、足音がしてきたので、ここから通り過ぎてくれと教会の信徒のように祈っていると、無事に音が遠ざかっていったので、安堵しながら水を流す。これで何事も無かったかのように入れば完璧だ。
「人の家のトイレを勝手に使った罰ね」
安心しきった状態でドアを開けると、目の前に僕が着替えさせられるであろう服を持っている茜さんが立っていた。取ってつけたような理由だけど、これも計算の内だったのだろう。
さっきまでの行動を知られているかは分からないが、偶然にも僕に差し出されたものはシスターが着用するような修道院服で、スカート部分が膝上半分くらいまでしかなかった
「ここに寝転がって」
横向けで膝を少し曲げた状態に寝転がされて、スカートの中が見えるんじゃないかという角度から写真を撮られる。恥ずかしくてスカートを押さえる仕草をすると、シャッターを押される回数が増えていた。
イメージしやすい祈っている姿や手で髪を耳にかける動作、紙袋を抱くようにして笑顔で持ち歩くなど、色んなことをやらされた。
「可愛いのがいっぱい撮れた」
ウキウキしながら写真を見ているのをしながら、ぐったりと床に寝転がった。完全に気を抜いていたところの写真も撮られ、散々な一日だった。




